尚書 / 周官
慎乃出令,令出惟行,弗惟反
書き下し
乃ち令を出すを慎め、令出でては惟れ行い、反すこと惟れ弗かれ。
現代語訳
命令を出すときは慎重にせよ。ひとたび命令が出たならばそれは実行されるべきであり、覆されてはならない。
解説
言葉として発したことは、後から簡単にひるがえしてはならないと説く一句である。約束や指示を軽い気持ちで口にし、都合が悪くなると撤回したり曖昧にしたりすれば、その場はしのげても、次第に自分の言葉そのものが信じてもらえなくなっていく。だからこそ、口に出す前にその内容が本当に実行できるものか、責任を持てるものかをよく確かめる必要がある。発言の重みを軽んじないことが、長い目で見た信頼につながっていく。なお、本篇は東晋期に伝わった古文尚書に属し、後世の編纂とみる説が有力である。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
言葉の重み一貫性信頼
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