李衛公問対 / 卷下
所謂朝氣銳者,非限時刻而言也;舉一日始末為喻也。凡三鼓,而敵不衰不竭,則安能必使之惰歸哉?蓋學者徒謂空文,而為敵所誘。苟悟奪之之理,則兵可任矣。」太宗曰:「卿嘗言李勣能兵法,久可用否?然非朕控御,則不可用也。他日太子治,若何御之?」靖曰:「為陛下計,莫若黜勣,令太子復用之,則必感恩圖報,於理何損乎?」太宗曰:「善!朕無疑矣。」太宗曰:「李勣若與長孫無忌共掌國政,他日如何?」靖曰:「勣忠義,臣可保任也。無忌佐命大功,陛下以肺腑之親,委之輔相;然外貌下士,內實嫉賢。故尉遲敬德,面折其短,遂引退焉;侯君集恨其忘舊,因以犯逆,皆無忌致其然也。陛下詢及臣,臣不敢避其說。」太宗曰:「勿泄也,朕徐思其處置。」太宗曰:「漢高祖能將將,其後韓、彭見誅,蕭何下獄,何故如此?」靖曰:「臣觀劉、項,皆非將將之君。當秦之亡也,張良本為韓報仇。陳平、韓信皆怨楚不用,故假漢之勢,自為奮爾。至於蕭、曹、樊、灌,悉由亡命。高祖因之以得天下。設使六國之後復立,人人各懷其舊,則雖有能將將之才,豈為漢用哉?臣謂漢得天下,由張良借箸之謀,蕭何漕輓之功也。以此言之,韓、彭見誅,范增不用,其事同也。臣故謂劉、項皆非將將之君。」
新字:所謂朝気鋭者,非限時刻而言也;舉一日始末為喩也。凡三鼓,而敵不衰不竭,則安能必使之惰帰哉?蓋学者徒謂空文,而為敵所誘。苟悟奪之之理,則兵可任矣。」太宗曰:「卿嘗言李勣能兵法,久可用否?然非朕控御,則不可用也。他日太子治,若何御之?」靖曰:「為陛下計,莫若黜勣,令太子復用之,則必感恩図報,於理何損乎?」太宗曰:「善!朕無疑矣。」太宗曰:「李勣若与長孫無忌共掌国政,他日如何?」靖曰:「勣忠義,臣可保任也。無忌佐命大功,陛下以肺腑之親,委之輔相;然外貌下士,内実嫉賢。故尉遅敬徳,面折其短,遂引退焉;侯君集恨其忘旧,因以犯逆,皆無忌致其然也。陛下詢及臣,臣不敢避其説。」太宗曰:「勿泄也,朕徐思其処置。」太宗曰:「漢高祖能将将,其後韓、彭見誅,蕭何下獄,何故如此?」靖曰:「臣観劉、項,皆非将将之君。当秦之亡也,張良本為韓報仇。陳平、韓信皆怨楚不用,故仮漢之勢,自為奮爾。至於蕭、曹、樊、灌,悉由亡命。高祖因之以得天下。設使六国之後復立,人人各懐其旧,則雖有能将将之才,豈為漢用哉?臣謂漢得天下,由張良借箸之謀,蕭何漕輓之功也。以此言之,韓、彭見誅,范增不用,其事同也。臣故謂劉、項皆非将将之君。」
書き下し
所謂朝の気鋭しとは、時刻を限りて言ふに非ざるなり。一日の始末を挙げて喩へと為すなり。凡そ三たび鼓して、敵衰へず竭(つ)きざれば、則ち安んぞ能く必ず之をして惰帰せしめんや。蓋し学者徒らに空文を謂ひて、敵の誘ふ所と為る。苟も之を奪ふの理を悟らば、則ち兵任ずべし。」太宗曰く、「卿嘗て言ふ、李勣兵法を能くすと。久しく用ふべきや否や。然れども朕の控御に非ざれば、則ち用ふべからざるなり。他日太子治、若何(いかん)ぞ之を御せん。」靖曰く、「陛下の為に計るに、勣を黜(しりぞ)け、太子をして復た之を用ひしむるに若くは莫し。則ち必ず恩に感じて報いんことを図らん。理に於いて何ぞ損せんや。」太宗曰く、「善し。朕疑ひ無し。」太宗曰く、「李勣若し長孫無忌と共に国政を掌らば、他日如何。」靖曰く、「勣は忠義なり、臣保任すべきなり。無忌は佐命の大功あり、陛下肺腑の親を以て、之に輔相を委ぬ。然れども外貌は士に下り、内実は賢を嫉む。故に尉遅敬徳、面(まのあ)たり其の短を折(くじ)き、遂に引退す。侯君集は其の旧を忘るるを恨み、因りて以て逆を犯す。皆無忌其の然るを致すなり。陛下詢(と)ひて臣に及ぶ、臣敢へて其の説を避けず。」太宗曰く、「泄らす勿かれ、朕徐ろに其の処置を思はん。」太宗曰く、「漢の高祖能く将に将たり、其の後韓・彭誅せられ、蕭何獄に下る、何の故に此くの如きや。」靖曰く、「臣劉・項を観るに、皆将に将たるの君に非ず。秦の亡ぶるに当たりてや、張良本韓の為に仇に報ゆ。陳平・韓信は皆楚の用ひざるを怨む、故に漢の勢を仮りて、自ら奮ふのみ。蕭・曹・樊・灌に至りては、悉く亡命に由る。高祖之に因りて以て天下を得たり。設(も)し六国の後をして復た立たしめば、人人各其の旧を懐はん。則ち能く将に将たるの才有りと雖も、豈に漢の用と為らんや。臣謂(おも)へらく漢の天下を得たるは、張良の箸を借るの謀、蕭何の漕輓の功に由るなり。此を以て之を言へば、韓・彭の誅せらるると、范増の用ひられざると、其の事同じきなり。臣故に謂ふ、劉・項は皆将に将たるの君に非ずと。」
現代語訳
(李靖が続けた。)いわゆる朝の気は鋭いというのは、時刻を限って言っているのではない。一日の始めと終わりを挙げてたとえとしたのである。およそ三度太鼓を打っても、敵が衰えず尽きなければ、どうして必ず敵を怠らせ帰りたがらせることができようか。思うに学ぶ者はいたずらに空しい文字だけを口にして、かえって敵に誘われてしまう。もし気を奪う道理を悟れば、兵を任せることができる。」太宗は言った。「卿はかつて李勣(唐の名将)は兵法に長けていると言った。長く用いることができるか。しかし朕が制御するのでなければ、用いることはできない。後日、太子の治(のちの高宗)は、どのようにして彼を御せばよいか。」李靖は言った。「陛下のために計るなら、李勣を退け、太子に改めて彼を用いさせるのが最もよい。そうすれば李勣は必ず恩に感じて報いようと図るであろう。道理においてどんな損があろうか。」太宗は言った。「よし。朕に疑いはない。」太宗は言った。「李勣がもし長孫無忌(太宗の皇后の兄で重臣)とともに国政を掌れば、後日どうなるか。」李靖は言った。「李勣は忠義の人であり、臣が保証できる。長孫無忌は陛下の即位を助けた大功があり、陛下は肺腑の親、すなわち最も近い親族として、彼に宰相を委ねている。しかし外見は士にへりくだりながら、内心は賢者を嫉んでいる。だから尉遅敬徳(唐の猛将)は面と向かって彼の短所をなじり、ついに身を引いた。侯君集(唐の将軍)は彼が旧恩を忘れたのを恨み、そのために反逆を犯した。皆、長孫無忌がそうさせたのである。陛下が臣にお尋ねになったので、臣はあえてその説明を避けない。」太宗は言った。「漏らしてはならない。朕はゆっくりとその処置を考えよう。」太宗は言った。「漢の高祖(劉邦)は将に将たることができたと言われるが、その後、韓信・彭越は誅殺され、蕭何は投獄された。なぜこうなったのか。」李靖は言った。「臣が劉邦・項羽を見るに、どちらも将に将たる君主ではなかった。秦が滅びようとするとき、張良はもともと韓のために仇を討とうとしていた。陳平・韓信は皆、楚に用いられなかったことを怨み、だから漢の勢いを借りて自ら奮い立ったにすぎない。蕭何・曹参・樊噲・灌嬰に至っては、皆、亡命者の身から出た者である。高祖はこれらによって天下を得たのである。もし六国の子孫を再び立てていたならば、人々はそれぞれ旧主を慕ったであろう。そうなれば、たとえ将に将たる才があっても、どうして漢のために用いられたであろうか。臣が思うに、漢が天下を得たのは、張良が箸を借りて献じた謀と、蕭何が兵糧を水陸で運んだ功による。この点から言えば、韓信・彭越が誅殺されたことと、范増(項羽の参謀)が用いられなかったこととは、同じ事なのである。だから臣は、劉邦・項羽はどちらも将に将たる君主ではなかったと言うのである。」
解説
関連する章句
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李衛公問対・卷下太宗曰く、「光武中興し、能く功臣を保全し、任ずるに吏事を以てせず。此れ則ち将に将たるに善きか。」靖曰く、「光武前構に藉(よ)りて、成功に易しと雖も、然れども莽の勢は項籍に下らず、寇・鄧は未だ蕭・張に越えず。独り能く赤心を推し、柔治を用ひ、功臣を保全す、高祖より賢ること遠し。此を以て将に将たるの道を論ずれば、臣謂ふ、光武之を得たりと。」太宗曰く、「古は師を出だし将に命ずるに、斎すること三日、之に授くるに鉞を以てし、曰く、『此より天に至るまで、将軍之を制せよ』と。又之に授くるに斧を以てし、曰く、『此より地に至るまで、将軍之を制せよ』と。又其の轂(こしき)を推して、曰く、『進退は唯だ時のみ。既に行かば、軍中但だ将軍の令を聞き、君命を聞かず』と。朕謂ふ、此の礼久しく廃すと。今卿と遣将の儀を定めんと欲す、如何。」靖曰く、「臣窃かに謂ふ、聖人の制作、斎を廟に致すは、威を神に仮る所以なり。斧鉞を授け又其の轂を推すは、委寄するに権を以てする所以なり。今陛下出師有る毎に、必ず公卿と議論し、廟に告げて後に遣はす。此れ則ち邀(むか)ふるに神を以て至れり。将に任ずる有る毎に、必ず之をして便宜に事に従はしむ。此れ則ち仮すに権重きを以てせり。何ぞ斎を致し轂を推すに与(あづか)らんや。尽く古礼に合し、其の義同じ、参定するを須(もち)ひず。」上曰く、「善し。」乃ち近臣に命じて此の二事を書せしめ、後世の法と為す。太宗曰く、「陰陽術数、之を廃するは可なるか。」靖曰く、「不可なり。兵は、詭道なり。之に託するに陰陽術数を以てすれば、則ち貪を使ひ愚を使ふ、茲れ廃すべからざるなり。」太宗曰く、「卿嘗て言ふ、『天官・時日は、明将は法らず、闇将は之に拘る』と。廃するも亦宜しく然るべし。」靖曰く、「昔紂は甲子の日を以て亡び、武王は甲子の日を以て興る。天官・時日、甲子は一なり。殷乱れ周治まり、興亡異なれり。又宋の武帝往亡の日を以て兵を起こす、軍吏以て不可と為す。帝曰く、『我往き彼亡ぶ』と。果たして之に克つ。此に由りて之を言へば、廃すべきこと明らかなり。
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李衛公問対・卷中之を存すれば、則ち余の詭復た増さず。之を廃すれば、則ち貪を使ひ愚を使ふの術、何に従りてか施さんや。」太宗良(やや)久しくして曰く、「卿宜しく之を秘し、外に泄らす無かるべし。」太宗曰く、「厳刑峻法、人をして我を畏れて敵を畏れざらしむ、朕甚だ之に惑ふ。昔光武孤軍を以て王莽の百万の衆に当たる、刑法の之に臨む有るに非ず。此れ何に由るや。」靖曰く、「兵家の勝敗は、情状万殊にして、一事を以て推すべからざるなり。陳勝・呉広の秦師を敗るが如き、豈に勝・広の刑法能く秦に加はらんや。光武の起こるや、蓋し人心の莽を怨むに順ふなり。況んや又王尋・王邑は兵法を暁らず、徒らに兵衆を誇る、自ら敗るる所以なり。臣『孫子』を案ずるに曰く、
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李衛公問対・卷下故に営を安んじ地に拠るは、人事に便なるのみ。澗・井・陥・隙の地、及び牢羅の如き処の若きは、人事便ならざる者なり。故に兵家引きて之を避け、敵の我に乗ずるを防ぐ。丘墓・故城は、絶険の処に非ず、我之を得れば利と為す、豈に宜しく反つて之を去るべけんや。太公の説く所は、兵の至要なり。」太宗曰く、「朕思ふに凶器兵より甚だしきは無し。兵を行ひて苟も人事に便なれば、豈に避忌を以て疑ひと為さんや。今後、諸将陰陽拘忌を以て、事宜に失する者有らば、卿当に丁寧に之を誡むべし。」靖再拝して謝して曰く、「臣『尉繚子』を按ずるに云ふ、『黄帝徳を以て之を守り、刑を以て之を伐つ、是れを刑徳と謂ふ。天官・時日の謂に非ざるなり』と。然れども詭道は之に由らしむべく、之を知らしむべからず。後世の庸将は、術数に泥(なづ)む、是を以て多く敗る、誡めざるべからざるなり。陛下の聖訓、臣即ち諸将に宣告せん。」太宗曰く、「兵に分有り聚有り、各(おのおの)宜しきに適ふを貴ぶ。前代の事迹、孰(たれ)か此を善くする者と為す。」靖曰く、「苻堅百万の衆を総べて、淝水に敗る。此れ兵能く合して分かつこと能はざるの致す所なり。呉漢公孫述を討つに、副将劉尚と分屯し、相去ること二十里。述来たりて漢を攻む。尚出でて合撃し、大いに之を破る。此れ兵分かれて能く合するの致す所なり。太公云ふ、
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李衛公問対・卷下然り而して田単燕の囲む所と為る。単一人に命じて神と為し、拝して之を祠る。神言ふ、『燕破るべし』と。単是に於いて火牛を以て出でて燕を撃ち、大いに之を破る。此れ是れ兵家の詭道なり。天官・時日も亦猶ほ此のごとし。」太宗曰く、「田単は神怪に託して燕を破り、太公は蓍亀を焚きて紂を滅ぼす。二事相反す、何ぞや。」靖曰く、「其の機は一なり。或いは逆らひて之を取り、或いは順ひて之を行ふ是れなり。昔太公武王を佐け、牧野に至り、雷雨に遇ひ、旗鼓毀折す。散宜生卜して吉にして後に行かんと欲す。此れ則ち軍中の疑懼に因りて、必ず卜を仮りて以て神に問ふなり。太公以為(おもへ)らく腐草枯骨問ふに足る無しと。且つ臣を以て君を伐つ、豈に再びすべけんや。然れども散宜生の機を前に発し、太公の機を後に成すを観るに、逆順異なると雖も、其の理致は則ち同じ。臣前に所謂術数廃すべからずとは、蓋し其の機を未だ萌さざるに存するなり。其の成功に及んでは、人事に在るのみ。」太宗曰く、「当今の将帥は、唯だ李勣・道宗・薛万徹のみ。道宗の親属を以てするを除くの外、孰か大用に堪へん。」靖曰く、「陛下嘗て言ふ、勣・道宗の兵を用ふるは、大いに勝たず亦大いに敗れず、万徹は若し大いに勝たずんば即ち須(すべから)く大いに敗るべしと。臣愚かにも聖言を思ふに、大勝を求めず亦大敗せざる者は、節制の兵なり。或いは大いに勝ち或いは大いに敗るる者は、幸ひにして功を成す者なり。故に孫武云ふ、
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李衛公問対・卷上臣の区区として古制をば、皆纂(あつ)めて以て図にする所以の者は、有制の兵と成らんことを庶(こひねが)へばなり。」太宗曰く、「卿我が為に古の陣法を択び、悉く図にして以て上(たてまつ)れ。」太宗曰く、「蕃兵は唯だ勁馬奔衝す、此れ奇兵か。漢兵は唯だ強弩犄角す、此れ正兵か。」靖曰く、「『孫子』を案ずるに云ふ、『善く兵を用ゐる者は、之を勢に求めて、人に貴ばず。故に能く人を択びて勢に任ず』と。夫れ所謂人を択ぶとは、各々蕃漢の長ずる所に随ひて戦ふなり。蕃は馬に長じ、馬は速闘に利あり。漢は弩に長じ、弩は緩戦に利あり。此れ自然に各々其の勢に任ずるなり。然れども奇正の分かつ所に非ず。臣前に曾て蕃漢を部するに必ず号を変じ服を易ふるは、奇正相生ずるの法なり。馬にも亦た正有り、弩にも亦た奇有り、何の常か之れ有らんや。」太宗曰く、「卿更に細かに其の術を言へ。」靖曰く、「先づ之を形(あら)はし、敵をして之に従はしむ、是れ其の術なり。」太宗曰く、「朕之を悟れり。『孫子』に曰く、『兵を形はすの極は、無形に至る』と。又曰く、『形に因りて勝ちを衆に措くも、衆知ること能はず』と。其れ此の謂か。」靖再拝して曰く、「深きかな、陛下の聖慮、已に思ひ半ばに過ぎたり。」太宗曰く、「近ごろ契丹・奚皆内属す。松漠・饒楽の二都督を置き、安北都護に統べしむ。朕薛万徹を用ゐんとす、如何。」靖曰く、「万徹は阿史那社尒及び執失思力・契苾何力に如かず。此れ皆蕃臣の兵を知る者なり。常に之と松漠・饒楽の山川道路、蕃情の逆順を言ふに因り、遠くは西域の部落十数種に至るまで、歴歴として信ずべし。臣之に教ふるに陣法を以てすれば、点頭して義に服せざるは無し。望むらくは陛下之に任じて疑ふ勿れ。万徹の若きは、則ち勇にして謀無く、以て独り任じ難し。」太宗笑ひて曰く、「蕃人皆卿の役使する所と為る。古人云ふ、『蛮夷を以て蛮夷を攻むるは、中国の勢なり』と。卿之を得たり。」
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李衛公問対・卷中此れ蓋し先づ人情の本(もと)悪を為すに非ざるを料る、豈に予(あらかじ)め慮らざらんや。臣頃(このごろ)突厥を討ち、蕃漢の衆を総べ、塞を出づること千里、未だ嘗て一揚干を戮し、一荘賈を斬らず、亦た赤誠を推し、至公を存するのみ。陛下過聴し、臣を擢(ぬき)んずるに不次の位を以てす。若し文武に於いては、則ち何ぞ敢へて当たらん。」太宗曰く、「昔唐倹突厥に使ひし、卿因りて撃ちて之を敗る。人言ふ、卿倹を以て死間と為すと。朕今に至るまで疑ふ。如何。」靖再拝して曰く、「臣と倹とは肩を比(なら)べて主に事(つか)ふ。倹の説必ず柔服すること能はざるを料る。故に臣因りて兵を縦(はな)ちて之を撃つ。大悪を去りて、小義を顧みざる所以なり。人倹を以て死間と為すと謂ふは、臣の心に非ず。『孫子』の〈用間〉を案ずるに、最も下策と為す。臣嘗て論を著して其の末に云ふ、
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