講孟余話 / 萬章下 第七章
此章官職アル者ノ君命ニ趨ト、庶人敢テ諸侯ニ見ヘサルト、義自ラ別ナルヲ論ス、但シ方今官職アル者ノ君命ニ趨カサルヲ患ヘズ、庶人敢テ諸侯ニ見サルノ風、断テナキコト、廉耻ナキノ世間、深ク憂フヘシ、古人モ忠臣ヲ求ムルハ孝子ノ門ニ於テス、事ニ臨ミ節ニ死スルノ士ヲ求ムルハ、平時直言ノ士ニ於テスヘシト云ヘハ、士氣ヲ培養スルハ、兎角平素ニ在ルコトナリ、平素廉耻ナキノ極、一旦変起ルコトアラハ、萬官奔竄鳥擇栖ニ至ルコト、鏡ニ掛テ見ルカ如シ、是憂フヘシトスル所以ナリ、是ヲ憂ヘハ他ナシ、千乘ノ國士ニ事フルノ故事ヲ脩スルニ若カス、是久遠ノ謀ナリ
新字:此章官職アル者ノ君命ニ趨ト、庶人敢テ諸侯ニ見ヘサルト、義自ラ別ナルヲ論ス、但シ方今官職アル者ノ君命ニ趨カサルヲ患ヘズ、庶人敢テ諸侯ニ見サルノ風、断テナキコト、廉耻ナキノ世間、深ク憂フヘシ、古人モ忠臣ヲ求ムルハ孝子ノ門ニ於テス、事ニ臨ミ節ニ死スルノ士ヲ求ムルハ、平時直言ノ士ニ於テスヘシト云ヘハ、士気ヲ培養スルハ、兎角平素ニ在ルコトナリ、平素廉耻ナキノ極、一旦変起ルコトアラハ、万官奔竄鳥択栖ニ至ルコト、鏡ニ掛テ見ルカ如シ、是憂フヘシトスル所以ナリ、是ヲ憂ヘハ他ナシ、千乗ノ国士ニ事フルノ故事ヲ脩スルニ若カス、是久遠ノ謀ナリ
書き下し
此の章、官職ある者の君命に趨くと、庶人敢へて諸侯に見えざると、義自ら別なるを論ず。但し方今官職ある者の君命に趨かざるを患へず、庶人敢へて諸侯に見えざるの風、断えてなきこと、廉恥なきの世間、深く憂ふべし。古人も忠臣を求むるは孝子の門に於てす、事に臨み節に死するの士を求むるは、平時直言の士に於てすべしと云へば、士気を培養するは、兎角平素に在ることなり。平素廉恥なきの極、一旦変起こることあらば、万官奔竄、鳥栖を択ぶに至ること、鏡に掛けて見るが如し。是れ憂ふべしとする所以なり。是を憂へば他なし、千乗の国の士に事ふるの故事を修むるに若かず。是れ久遠の謀なり。
現代語訳
この章は、官職にある者が君命に駆けつけることと、庶人があえて諸侯に会いに行かないこととは、その義がおのずから別であることを論じる。ただ今の世では、官職にある者が君命に駆けつけないことは心配ないが、庶人があえて諸侯に会いに行かないという気風がまったくないのは、廉恥のない世の中として深く憂えるべきである。古人も、忠臣を求めるなら孝子の家に求め、事に臨んで節に殉じる士を求めるなら、平時に直言する士に求めよと言っているから、士気を養うのはとにかく平素にあることだ。平素から廉恥がない極みでは、ひとたび変事が起これば、役人たちが逃げ散り、鳥がねぐらを選ぶように主を乗り換えるようになるのは、鏡に映して見るように明らかである。これが憂うべきだとするわけである。これを憂えるなら、ほかでもない、大国の君主が士に仕えたという故事を修め行うにしくはない。これは長い将来を見据えた計略である。
解説
この章句が説くこと
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