李衛公問対 / 卷中
存之,則餘詭不復增矣;廢之,則使貪使愚之術,從何而施哉!」太宗良久曰:「卿宜祕之,無泄於外。」太宗曰:「嚴刑峻法,使人畏我而不畏敵,朕甚惑之。昔光武以孤軍當王莽百萬之眾,非有刑法臨之。此何由乎?」靖曰:「兵家勝敗,情狀萬殊,不可以一事推也。如陳勝、吳廣敗秦師,豈勝、廣刑法能加於秦乎?光武之起,蓋順人心之怨莽也,況又王尋、王邑不曉兵法,徒誇兵眾,所以自敗。臣案《孫子》曰:
新字:存之,則余詭不復增矣;廃之,則使貪使愚之術,従何而施哉!」太宗良久曰:「卿宜秘之,無泄於外。」太宗曰:「厳刑峻法,使人畏我而不畏敵,朕甚惑之。昔光武以孤軍当王莽百万之衆,非有刑法臨之。此何由乎?」靖曰:「兵家勝敗,情状万殊,不可以一事推也。如陳勝、呉広敗秦師,豈勝、広刑法能加於秦乎?光武之起,蓋順人心之怨莽也,況又王尋、王邑不暁兵法,徒誇兵衆,所以自敗。臣案《孫子》曰:
書き下し
之を存すれば、則ち余の詭復た増さず。之を廃すれば、則ち貪を使ひ愚を使ふの術、何に従りてか施さんや。」太宗良(やや)久しくして曰く、「卿宜しく之を秘し、外に泄らす無かるべし。」太宗曰く、「厳刑峻法、人をして我を畏れて敵を畏れざらしむ、朕甚だ之に惑ふ。昔光武孤軍を以て王莽の百万の衆に当たる、刑法の之に臨む有るに非ず。此れ何に由るや。」靖曰く、「兵家の勝敗は、情状万殊にして、一事を以て推すべからざるなり。陳勝・呉広の秦師を敗るが如き、豈に勝・広の刑法能く秦に加はらんや。光武の起こるや、蓋し人心の莽を怨むに順ふなり。況んや又王尋・王邑は兵法を暁らず、徒らに兵衆を誇る、自ら敗るる所以なり。臣『孫子』を案ずるに曰く、
現代語訳
(李靖が続けた。)これを残しておけば、それ以上の欺きが増えることはない。これを廃してしまえば、欲深い者を使い愚かな者を使う術を、何によって施せばよいのか。」太宗はしばらく黙ってから言った。「卿はこれを秘して、外に漏らさないようにせよ。」太宗は言った。「厳しい刑罰と峻烈な法で、人に自分を恐れさせて敵を恐れないようにさせるというが、朕はこれに大いに迷う。昔、光武帝(後漢の初代皇帝劉秀)は孤立した軍で王莽(前漢を簒奪した新の皇帝)の百万の軍勢に立ち向かったが、刑法で兵に臨んだわけではない。これは何によるのか。」李靖は言った。「兵家の勝敗は、事情や状況が千差万別で、一つの事例で推し量ることはできない。陳勝・呉広(秦末に最初に反乱を起こした農民)が秦の軍を破ったようなことも、どうして陳勝・呉広の刑法が秦に及んだからであろうか。光武帝が挙兵したのは、思うに人々の心が王莽を怨んでいたのに従ったのである。まして王尋・王邑(王莽の将軍)は兵法を理解せず、いたずらに兵の多さを誇ったので、自ら敗れたのである。臣が『孫子』を調べると、こう言う。
解説
関連する章句
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李衛公問対・卷下太宗曰く、「光武中興し、能く功臣を保全し、任ずるに吏事を以てせず。此れ則ち将に将たるに善きか。」靖曰く、「光武前構に藉(よ)りて、成功に易しと雖も、然れども莽の勢は項籍に下らず、寇・鄧は未だ蕭・張に越えず。独り能く赤心を推し、柔治を用ひ、功臣を保全す、高祖より賢ること遠し。此を以て将に将たるの道を論ずれば、臣謂ふ、光武之を得たりと。」太宗曰く、「古は師を出だし将に命ずるに、斎すること三日、之に授くるに鉞を以てし、曰く、『此より天に至るまで、将軍之を制せよ』と。又之に授くるに斧を以てし、曰く、『此より地に至るまで、将軍之を制せよ』と。又其の轂(こしき)を推して、曰く、『進退は唯だ時のみ。既に行かば、軍中但だ将軍の令を聞き、君命を聞かず』と。朕謂ふ、此の礼久しく廃すと。今卿と遣将の儀を定めんと欲す、如何。」靖曰く、「臣窃かに謂ふ、聖人の制作、斎を廟に致すは、威を神に仮る所以なり。斧鉞を授け又其の轂を推すは、委寄するに権を以てする所以なり。今陛下出師有る毎に、必ず公卿と議論し、廟に告げて後に遣はす。此れ則ち邀(むか)ふるに神を以て至れり。将に任ずる有る毎に、必ず之をして便宜に事に従はしむ。此れ則ち仮すに権重きを以てせり。何ぞ斎を致し轂を推すに与(あづか)らんや。尽く古礼に合し、其の義同じ、参定するを須(もち)ひず。」上曰く、「善し。」乃ち近臣に命じて此の二事を書せしめ、後世の法と為す。太宗曰く、「陰陽術数、之を廃するは可なるか。」靖曰く、「不可なり。兵は、詭道なり。之に託するに陰陽術数を以てすれば、則ち貪を使ひ愚を使ふ、茲れ廃すべからざるなり。」太宗曰く、「卿嘗て言ふ、『天官・時日は、明将は法らず、闇将は之に拘る』と。廃するも亦宜しく然るべし。」靖曰く、「昔紂は甲子の日を以て亡び、武王は甲子の日を以て興る。天官・時日、甲子は一なり。殷乱れ周治まり、興亡異なれり。又宋の武帝往亡の日を以て兵を起こす、軍吏以て不可と為す。帝曰く、『我往き彼亡ぶ』と。果たして之に克つ。此に由りて之を言へば、廃すべきこと明らかなり。
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李衛公問対・卷下故に営を安んじ地に拠るは、人事に便なるのみ。澗・井・陥・隙の地、及び牢羅の如き処の若きは、人事便ならざる者なり。故に兵家引きて之を避け、敵の我に乗ずるを防ぐ。丘墓・故城は、絶険の処に非ず、我之を得れば利と為す、豈に宜しく反つて之を去るべけんや。太公の説く所は、兵の至要なり。」太宗曰く、「朕思ふに凶器兵より甚だしきは無し。兵を行ひて苟も人事に便なれば、豈に避忌を以て疑ひと為さんや。今後、諸将陰陽拘忌を以て、事宜に失する者有らば、卿当に丁寧に之を誡むべし。」靖再拝して謝して曰く、「臣『尉繚子』を按ずるに云ふ、『黄帝徳を以て之を守り、刑を以て之を伐つ、是れを刑徳と謂ふ。天官・時日の謂に非ざるなり』と。然れども詭道は之に由らしむべく、之を知らしむべからず。後世の庸将は、術数に泥(なづ)む、是を以て多く敗る、誡めざるべからざるなり。陛下の聖訓、臣即ち諸将に宣告せん。」太宗曰く、「兵に分有り聚有り、各(おのおの)宜しきに適ふを貴ぶ。前代の事迹、孰(たれ)か此を善くする者と為す。」靖曰く、「苻堅百万の衆を総べて、淝水に敗る。此れ兵能く合して分かつこと能はざるの致す所なり。呉漢公孫述を討つに、副将劉尚と分屯し、相去ること二十里。述来たりて漢を攻む。尚出でて合撃し、大いに之を破る。此れ兵分かれて能く合するの致す所なり。太公云ふ、
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李衛公問対・卷中此れ蓋し先づ人情の本(もと)悪を為すに非ざるを料る、豈に予(あらかじ)め慮らざらんや。臣頃(このごろ)突厥を討ち、蕃漢の衆を総べ、塞を出づること千里、未だ嘗て一揚干を戮し、一荘賈を斬らず、亦た赤誠を推し、至公を存するのみ。陛下過聴し、臣を擢(ぬき)んずるに不次の位を以てす。若し文武に於いては、則ち何ぞ敢へて当たらん。」太宗曰く、「昔唐倹突厥に使ひし、卿因りて撃ちて之を敗る。人言ふ、卿倹を以て死間と為すと。朕今に至るまで疑ふ。如何。」靖再拝して曰く、「臣と倹とは肩を比(なら)べて主に事(つか)ふ。倹の説必ず柔服すること能はざるを料る。故に臣因りて兵を縦(はな)ちて之を撃つ。大悪を去りて、小義を顧みざる所以なり。人倹を以て死間と為すと謂ふは、臣の心に非ず。『孫子』の〈用間〉を案ずるに、最も下策と為す。臣嘗て論を著して其の末に云ふ、
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李衛公問対・卷中『尚書』は其の終はりを慎戒する所以にして、謀を始めに作(な)す所以に非ざるなり。故に『孫子』の法は、万代刊(けづ)らず。」太宗曰く、「卿蕭銑を平らぐるに、諸将皆偽臣の家を籍(ぼつ)して、以て士卒を賞せんと欲す。独り卿従はず、以為(おもへ)らく蒯通は漢に戮せられずと。既にして江漢帰順す。朕是に由りて古人の言有るを思ふ、曰く、
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李衛公問対・卷下所謂朝の気鋭しとは、時刻を限りて言ふに非ざるなり。一日の始末を挙げて喩へと為すなり。凡そ三たび鼓して、敵衰へず竭(つ)きざれば、則ち安んぞ能く必ず之をして惰帰せしめんや。蓋し学者徒らに空文を謂ひて、敵の誘ふ所と為る。苟も之を奪ふの理を悟らば、則ち兵任ずべし。」太宗曰く、「卿嘗て言ふ、李勣兵法を能くすと。久しく用ふべきや否や。然れども朕の控御に非ざれば、則ち用ふべからざるなり。他日太子治、若何(いかん)ぞ之を御せん。」靖曰く、「陛下の為に計るに、勣を黜(しりぞ)け、太子をして復た之を用ひしむるに若くは莫し。則ち必ず恩に感じて報いんことを図らん。理に於いて何ぞ損せんや。」太宗曰く、「善し。朕疑ひ無し。」太宗曰く、「李勣若し長孫無忌と共に国政を掌らば、他日如何。」靖曰く、「勣は忠義なり、臣保任すべきなり。無忌は佐命の大功あり、陛下肺腑の親を以て、之に輔相を委ぬ。然れども外貌は士に下り、内実は賢を嫉む。故に尉遅敬徳、面(まのあ)たり其の短を折(くじ)き、遂に引退す。侯君集は其の旧を忘るるを恨み、因りて以て逆を犯す。皆無忌其の然るを致すなり。陛下詢(と)ひて臣に及ぶ、臣敢へて其の説を避けず。」太宗曰く、「泄らす勿かれ、朕徐ろに其の処置を思はん。」太宗曰く、「漢の高祖能く将に将たり、其の後韓・彭誅せられ、蕭何獄に下る、何の故に此くの如きや。」靖曰く、「臣劉・項を観るに、皆将に将たるの君に非ず。秦の亡ぶるに当たりてや、張良本韓の為に仇に報ゆ。陳平・韓信は皆楚の用ひざるを怨む、故に漢の勢を仮りて、自ら奮ふのみ。蕭・曹・樊・灌に至りては、悉く亡命に由る。高祖之に因りて以て天下を得たり。設(も)し六国の後をして復た立たしめば、人人各其の旧を懐はん。則ち能く将に将たるの才有りと雖も、豈に漢の用と為らんや。臣謂(おも)へらく漢の天下を得たるは、張良の箸を借るの謀、蕭何の漕輓の功に由るなり。此を以て之を言へば、韓・彭の誅せらるると、范増の用ひられざると、其の事同じきなり。臣故に謂ふ、劉・項は皆将に将たるの君に非ずと。」
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李衛公問対・卷下然り而して田単燕の囲む所と為る。単一人に命じて神と為し、拝して之を祠る。神言ふ、『燕破るべし』と。単是に於いて火牛を以て出でて燕を撃ち、大いに之を破る。此れ是れ兵家の詭道なり。天官・時日も亦猶ほ此のごとし。」太宗曰く、「田単は神怪に託して燕を破り、太公は蓍亀を焚きて紂を滅ぼす。二事相反す、何ぞや。」靖曰く、「其の機は一なり。或いは逆らひて之を取り、或いは順ひて之を行ふ是れなり。昔太公武王を佐け、牧野に至り、雷雨に遇ひ、旗鼓毀折す。散宜生卜して吉にして後に行かんと欲す。此れ則ち軍中の疑懼に因りて、必ず卜を仮りて以て神に問ふなり。太公以為(おもへ)らく腐草枯骨問ふに足る無しと。且つ臣を以て君を伐つ、豈に再びすべけんや。然れども散宜生の機を前に発し、太公の機を後に成すを観るに、逆順異なると雖も、其の理致は則ち同じ。臣前に所謂術数廃すべからずとは、蓋し其の機を未だ萌さざるに存するなり。其の成功に及んでは、人事に在るのみ。」太宗曰く、「当今の将帥は、唯だ李勣・道宗・薛万徹のみ。道宗の親属を以てするを除くの外、孰か大用に堪へん。」靖曰く、「陛下嘗て言ふ、勣・道宗の兵を用ふるは、大いに勝たず亦大いに敗れず、万徹は若し大いに勝たずんば即ち須(すべから)く大いに敗るべしと。臣愚かにも聖言を思ふに、大勝を求めず亦大敗せざる者は、節制の兵なり。或いは大いに勝ち或いは大いに敗るる者は、幸ひにして功を成す者なり。故に孫武云ふ、
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