李衛公問対 / 卷上
臣所以區區古制,皆纂以圖者,庶乎成有制之兵也。」太宗曰:「卿為我擇古陳法,悉圖以上。」太宗曰:「蕃兵唯勁馬奔衝,此奇兵歟?漢兵唯強弩犄角,此正兵歟?」靖曰:「案《孫子》云:『善用兵者,求之於勢,不貴於人,故能擇人而任勢。』夫所謂擇人者,各隨蕃漢所長而戰也。蕃長於馬,馬利乎速鬬;漢長於弩,弩利乎緩戰。此自然各任其勢也,然非奇正所分。臣前曾部蕃漢必變號易服者,奇正相生之法也。馬亦有正,弩亦有奇,何常之有哉?」太宗曰:「卿更細言其術。」靖曰:「先形之,使敵從之,是其術也。」太宗曰:「朕悟之矣。《孫子》曰:『形兵之極,至於無形。』又曰:『因形以措勝於眾,眾不能知。』其此之謂乎!」靖再拜曰:「深乎!陛下聖慮,已思過半矣。」太宗曰:「近契丹、奚皆內屬,置松漠、饒樂二都督,統於安北都護,朕用薛萬徹,如何?」靖曰:「萬徹不如阿史那社尒及執失思力、契苾何力,此皆蕃臣之知兵者也。因常與之言松漠、饒樂山川道路,蕃情逆順,遠至于西域部落十數種,歷歷可信。臣教之以陳法,無不點頭服義。望陛下任之勿疑。若萬徹,則勇而無謀,難以獨任。」太宗笑曰:「蕃人皆為卿役使。古人云:『以蠻夷攻蠻夷,中國之勢也。』卿得之矣。」
新字:臣所以区区古制,皆纂以図者,庶乎成有制之兵也。」太宗曰:「卿為我択古陳法,悉図以上。」太宗曰:「蕃兵唯勁馬奔衝,此奇兵歟?漢兵唯強弩犄角,此正兵歟?」靖曰:「案《孫子》云:『善用兵者,求之於勢,不貴於人,故能択人而任勢。』夫所謂択人者,各随蕃漢所長而戦也。蕃長於馬,馬利乎速闘;漢長於弩,弩利乎緩戦。此自然各任其勢也,然非奇正所分。臣前曽部蕃漢必変号易服者,奇正相生之法也。馬亦有正,弩亦有奇,何常之有哉?」太宗曰:「卿更細言其術。」靖曰:「先形之,使敵従之,是其術也。」太宗曰:「朕悟之矣。《孫子》曰:『形兵之極,至於無形。』又曰:『因形以措勝於衆,衆不能知。』其此之謂乎!」靖再拝曰:「深乎!陛下聖慮,已思過半矣。」太宗曰:「近契丹、奚皆内属,置松漠、饒楽二都督,統於安北都護,朕用薛万徹,如何?」靖曰:「万徹不如阿史那社爾及執失思力、契苾何力,此皆蕃臣之知兵者也。因常与之言松漠、饒楽山川道路,蕃情逆順,遠至于西域部落十数種,歴歴可信。臣教之以陳法,無不点頭服義。望陛下任之勿疑。若万徹,則勇而無謀,難以独任。」太宗笑曰:「蕃人皆為卿役使。古人云:『以蠻夷攻蠻夷,中国之勢也。』卿得之矣。」
書き下し
臣の区区として古制をば、皆纂(あつ)めて以て図にする所以の者は、有制の兵と成らんことを庶(こひねが)へばなり。」太宗曰く、「卿我が為に古の陣法を択び、悉く図にして以て上(たてまつ)れ。」太宗曰く、「蕃兵は唯だ勁馬奔衝す、此れ奇兵か。漢兵は唯だ強弩犄角す、此れ正兵か。」靖曰く、「『孫子』を案ずるに云ふ、『善く兵を用ゐる者は、之を勢に求めて、人に貴ばず。故に能く人を択びて勢に任ず』と。夫れ所謂人を択ぶとは、各々蕃漢の長ずる所に随ひて戦ふなり。蕃は馬に長じ、馬は速闘に利あり。漢は弩に長じ、弩は緩戦に利あり。此れ自然に各々其の勢に任ずるなり。然れども奇正の分かつ所に非ず。臣前に曾て蕃漢を部するに必ず号を変じ服を易ふるは、奇正相生ずるの法なり。馬にも亦た正有り、弩にも亦た奇有り、何の常か之れ有らんや。」太宗曰く、「卿更に細かに其の術を言へ。」靖曰く、「先づ之を形(あら)はし、敵をして之に従はしむ、是れ其の術なり。」太宗曰く、「朕之を悟れり。『孫子』に曰く、『兵を形はすの極は、無形に至る』と。又曰く、『形に因りて勝ちを衆に措くも、衆知ること能はず』と。其れ此の謂か。」靖再拝して曰く、「深きかな、陛下の聖慮、已に思ひ半ばに過ぎたり。」太宗曰く、「近ごろ契丹・奚皆内属す。松漠・饒楽の二都督を置き、安北都護に統べしむ。朕薛万徹を用ゐんとす、如何。」靖曰く、「万徹は阿史那社尒及び執失思力・契苾何力に如かず。此れ皆蕃臣の兵を知る者なり。常に之と松漠・饒楽の山川道路、蕃情の逆順を言ふに因り、遠くは西域の部落十数種に至るまで、歴歴として信ずべし。臣之に教ふるに陣法を以てすれば、点頭して義に服せざるは無し。望むらくは陛下之に任じて疑ふ勿れ。万徹の若きは、則ち勇にして謀無く、以て独り任じ難し。」太宗笑ひて曰く、「蕃人皆卿の役使する所と為る。古人云ふ、『蛮夷を以て蛮夷を攻むるは、中国の勢なり』と。卿之を得たり。」
現代語訳
臣が細々と古い制度を集めて図にしているのは、制度のある兵をつくりたいと願うからである。」太宗が言った。「卿は朕のために古の陣法を選び、すべて図にして献上せよ。」太宗が言った。「蕃兵はもっぱら強い馬で駆けて突撃する。これは奇兵か。漢兵はもっぱら強い弩(いしゆみ)で挟み撃ちにする。これは正兵か。」李靖が言った。「『孫子』を調べると、『よく兵を用いる者は、勝ちを勢いに求めて、人に頼らない。だから人を選んで勢いに任せることができる』とある。いわゆる人を選ぶとは、それぞれ蕃と漢の得意なところに従って戦わせることだ。蕃は馬に長じ、馬は速い戦いに利がある。漢は弩に長じ、弩はゆるやかな戦いに利がある。これは自然にそれぞれの勢いに任せるということで、奇正の区別ではない。臣が前に、蕃と漢を配置するとき必ず旗号を変え服装を替えると言ったのは、奇と正が互いに生じる法である。馬にも正があり、弩にも奇がある。何の決まった形があろうか。」太宗が言った。「卿よ、さらに詳しくその術を述べよ。」李靖が言った。「まずこちらが形を見せて、敵をそれに従わせる。これがその術である。」太宗が言った。「朕は悟った。『孫子』に『兵の形を示す極みは、無形に至る』とあり、また『形に応じて勝利を衆人の前に置いても、衆人はその理由を知ることができない』とある。このことを言うのだな。」李靖は再拝して言った。「深いことだ。陛下のお考えは、すでに半ば以上を悟っている。」太宗が言った。「近ごろ契丹(きったん)と奚(けい)がともに帰属した。松漠・饒楽の二つの都督府を置き、安北都護府に統べさせる。朕は薛万徹(せつばんてつ、唐の武将)を用いようと思うが、どうか。」李靖が言った。「万徹は阿史那社尒、それに執失思力(しっしつしりき)・契苾何力(けいひつかりき)に及ばない。この者たちはみな兵を知る蕃人出身の臣である。臣は常に彼らと松漠・饒楽の山川や道路、蕃人の心の向き背きを語ってきたが、遠くは西域の十数種の部落に至るまで、はっきりしていて信頼できる。臣が陣法を教えると、うなずいて道理に服さない者はなかった。どうか陛下は彼らに任せて疑わないでほしい。万徹のほうは、勇敢だが謀がなく、一人に任せるのは難しい。」太宗は笑って言った。「蕃人はみな卿に使われている。古人は『蛮夷をもって蛮夷を攻めるのが中国の勢いである』と言った。卿はそれを会得している。」
解説
関連する章句
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李衛公問対・卷上太宗曰く、「高麗(こうらい)数(しばしば)新羅を侵す。朕、使ひを遣はして諭すも、詔を奉ぜず。将に之を討たんとす、如何(いかん)。」靖曰く、「探りて知る、蓋蘇文(がいそぶん)自ら兵を知るを恃み、中国能く討つ無しと謂ふ、故に命に違ふと。臣請ふ、師三万もて之を擒(とりこ)にせん。」太宗曰く、「兵少なく地遥かなり、何の術を以て之に臨まん。」靖曰く、「臣は正兵を以てす。」太宗曰く、「突厥を平らぐる時は奇兵を用ゐたり。今正兵と言ふは何ぞや。」靖曰く、「諸葛亮の七たび孟獲を擒にせしも、他の道無きなり、正兵のみ。」太宗曰く、「晋の馬隆、涼州を計(はか)るも、亦た是れ八陣図に依りて偏箱車を作る。地広ければ則ち鹿角車営を用ゐ、路狭ければ則ち木屋を為りて車上に施し、且つ戦ひ且つ前む。信なるかな、正兵は古人の重んずる所なり。」靖曰く、「臣突厥を討つに、西行すること数千里、若し正兵に非ずんば、安んぞ能く遠きを致さん。偏箱・鹿角は兵の大要にして、一は則ち力を治め、一は則ち前を拒ぎ、一は則ち部伍を束ぬ。三者迭(たが)ひに相用を為す。斯れ馬隆の得たる所の古法深し。」太宗曰く、「朕宋老生を破るに、初め鋒を交ふるや、義師少しく却(しりぞ)く。朕親ら鉄騎を以て南原より馳せ下り、横さまに之を突く。老生の兵後を断たれ、大いに潰え、遂に之を擒にす。此れ正兵か、奇兵か。」靖曰く、「陛下は天縦の聖武にして、学びて能くするに非ず。臣兵法を案ずるに、黄帝より以来、正を先にして奇を後にし、仁義を先にして権譎を後にす。且つ霍邑の戦ひ、師の義を以て挙がる者は正なり。建成馬より墜ち、右軍少しく却く者は奇なり。」太宗曰く、「彼の時少しく却きしは、幾(ほとん)ど大事を敗らんとす、曷(なん)ぞ奇と謂はんや。」靖曰く、
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李衛公問対・卷上是を以て、素より分かつ者は教閲なり。時に臨みて変を制する者は、勝げて窮むべからざるなり。」太宗曰く、「深きかな、深きかな。曹公必ず之を知れり。但だ『新書』は諸将に授くる所以のみにして、奇正の本法に非ず。」太宗曰く、「曹公云ふ、『奇兵は旁(かたはら)より撃つ』と。卿謂ふこと若何(いかん)。」靖曰く、「臣曹公の『孫子』に註するを案ずるに曰く、『先に出でて合戦するを正と為し、後に出づるを奇と為す』と。此れ旁撃の拘りと異なれり。臣愚かにも謂へらく、大衆の合する所を正と為し、将の自ら出だす所を奇と為す。烏(いづく)んぞ先後・旁撃の拘り有らんや。」太宗曰く、「吾の正は、敵をして視て以て奇と為さしめ、吾の奇は、敵をして視て以て正と為さしむ。斯れ所謂『人を形(あら)はす』者か。奇を以て正と為し、正を以て奇と為し、変化測る莫し。斯れ所謂『形無し』といふ者か。」靖再拝して曰く、「陛下の神聖、迥(はる)かに古人に出づ、臣の及ぶ所に非ず。」太宗曰く、「分合を変と為すとは、奇正安(いづ)くに在りや。」靖曰く、
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李衛公問対・卷上然れども臣愚かにも以謂(おも)へらく、漢の戍(まもり)は宜しく自ら一法を為すべく、蕃落は宜しく自ら一法を為すべし。教習各々異にし、混同せしむる勿れ。或いは寇の至るに遇はば、則ち密かに主将に勅し、時に臨みて号を変じ服を易へ、奇を出だして之を撃たしめん。」太宗曰く、「何の道ぞや。」靖曰く、「此れ所謂『多方以て之を誤らしむ』の術なり。蕃にして之に漢を示し、漢にして之に蕃を示す。彼蕃漢の別を知らずんば、則ち能く我が攻守の計を測る莫し。
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李衛公問対・卷上太宗曰く、「正に朕が意に合ふ。卿密かに辺将に教ふべし。只だ此の蕃漢を以て、便ち奇正の法を見さん。」靖再拝して曰く、「聖慮天縦にして、一を聞きて十を知る。臣安んぞ能く其の説を極めんや。」太宗曰く、「諸葛亮言ふ、
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李衛公問対・卷中太宗曰く、「五行陣は如何。」靖曰く、「本(もと)五方の色に因りて此の名を立つ。方・円・曲・直・鋭は、実は地形に因りて然らしむ。凡そ軍素(もと)より此の五者を習はずんば、安んぞ以て敵に臨むべけんや。兵は詭道なり、故に強ひて五行と名づく。之を文(かざ)るに術数相生相克の義を以てするも、其の実は兵の形は水に象(かたど)り、地に因りて流れを制す、此れ其の旨なり。」太宗曰く、「李勣言ふ、『牝牡・方円は、伏兵の法なり』と。古是れ有りや否や。」靖曰く、「牝牡の法は、俗伝に出づ。其の実は陰陽の二義のみ。臣范蠡を案ずるに云ふ、『後るれば則ち陰を用ひ、先んずれば則ち陽を用ふ。敵の陽節を尽くし、吾が陰節を盈たして之を奪ふ』と。此れ兵家の陰陽の妙なり。范蠡又云ふ、『右を設けて牝と為し、左を益して牡と為し、早晏以て天道に順ふ』と。此れ則ち左右・早晏、時に臨みて同じからず、奇正の変に在る者なり。左右は、人の陰陽なり。早晏は、天の陰陽なり。奇正は、天人相変ずるの陰陽なり。若し執りて変ぜざれば、則ち陰陽倶に廃す、如何。牝牡の形を守るのみ。故に之に形(あらは)す者は、奇を以て敵に示す、吾が正に非ざるなり。之に勝つ者は、正を以て敵を撃つ、吾が奇に非ざるなり。此れを奇正相変ずと謂ふ。兵の伏する者は、山谷草木に止まらず、伏蔵する所以を伏と為すなり。其の正は山の如く、其の奇は雷の如く、敵対面すと雖も、吾が奇正の所在を測る莫し。此に至りては、夫れ何の形か之れ有らん。」太宗曰く、「四獣の陣、又商・羽・徴・角を以て之に象るは、何の道ぞや。」靖曰く、「詭道なり。」太宗曰く、「廃すべきか。」靖曰く、「之を存するは能く之を廃する所以なり。若し廃して用ひざれば、詭愈(いよいよ)甚だし。」太宗曰く、「何の謂ぞや。」靖曰く、「之を仮るに四獣の陣、及び天地風雲の号を以てし、又商金・羽水・徴火・角木の配を加ふ、此れ皆兵家自古の詭道なり。
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李衛公問対・卷上周の一乗は、歩卒七十二人、甲士三人なり。二十五人を以て一甲と為し、凡そ三甲、共に七十五人なり。楚は山沢の国にして、車少なく人多し。分かちて三隊と為せば、則ち周の制と同じ。」太宗曰く、「春秋に荀呉狄を伐つに、車を毀ちて行と為す。亦た正兵か、奇兵か。」靖曰く、「荀呉は車の法を用ゐたるのみ。車を舎(す)つと雖も法は其の中に在り。一は左角と為し、一は右角と為し、一は前拒と為し、分かちて三隊と為す。此れ一乗の法なり、千万乗も皆然り。臣曹公の『新書』を案ずるに云ふ、『攻車は七十五人、前拒一隊、左右角二隊。守車は一隊、炊子十人、守装五人、廐養五人、樵汲五人、共に二十五人。攻守二乗、凡そ百人。兵十万を興すに、車千乗を用ゐ、軽重二千』と。此れ大率孫・呉の旧法なり。又漢魏の間の軍制を観るに、五車を隊と為し、僕射一人。十車を師と為し、率長一人。凡そ車千乗に、将吏二人。多多此に倣ふ。臣今の法を以て之を参用すれば、則ち跳盪は騎兵なり。戦鋒隊は歩騎相半ばす。駐隊は車乗を兼ねて出づるなり。臣西のかた突厥を討つに、険を越ゆること数千里、此の制未だ嘗て敢へて易へず。蓋し古法の節制、信に重んずべし。」太宗霊州に幸し、迴(かへ)りて、靖を召して坐を賜ひ、曰く、「朕道宗及び阿史那社尒等に命じて薛延陁を討たしむ。而して鉄勒の諸部漢官を置かんことを乞ふ、朕皆其の請ひに従ふ。延陁西に走る、後患と為らんことを恐る、故に李勣を遣はして之を討たしむ。今荒方悉く平らぐも、然れども諸部蕃漢雑処す。何の道を以てか経久し、両つながら全く之を安んずるを得しめん。」靖曰く、「陛下勅して突厥より回紇の部落に至るまで、凡そ駅を置くこと六十六処、以て斥候を通ず。斯れ已に策を得たり。
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