李衛公問対 / 卷上
然臣愚以謂漢戍宜自為一法,蕃落宜自為一法,教習各異,勿使混同。或遇寇至,則密勑主將,臨時變號易服,出奇擊之。」太宗曰:「何道也?」靖曰:「此所謂『多方以誤之』之術也。蕃而示之漢,漢而示之蕃,彼不知蕃漢之別,則莫能測我攻守之計矣。
新字:然臣愚以謂漢戍宜自為一法,蕃落宜自為一法,教習各異,勿使混同。或遇寇至,則密勑主将,臨時変号易服,出奇撃之。」太宗曰:「何道也?」靖曰:「此所謂『多方以誤之』之術也。蕃而示之漢,漢而示之蕃,彼不知蕃漢之別,則莫能測我攻守之計矣。
書き下し
然れども臣愚かにも以謂(おも)へらく、漢の戍(まもり)は宜しく自ら一法を為すべく、蕃落は宜しく自ら一法を為すべし。教習各々異にし、混同せしむる勿れ。或いは寇の至るに遇はば、則ち密かに主将に勅し、時に臨みて号を変じ服を易へ、奇を出だして之を撃たしめん。」太宗曰く、「何の道ぞや。」靖曰く、「此れ所謂『多方以て之を誤らしむ』の術なり。蕃にして之に漢を示し、漢にして之に蕃を示す。彼蕃漢の別を知らずんば、則ち能く我が攻守の計を測る莫し。
現代語訳
しかし臣が愚かながら思うに、漢人の守備兵はそれ自体で一つの法とし、蕃人の部落はそれ自体で一つの法とし、教練をそれぞれ異にして、混同させないのがよい。もし敵が来襲したら、ひそかに主将に勅命を下し、その時に臨んで旗号を変え服装を替えさせ、奇兵を出して撃たせる。」太宗が言った。「それはどういう道か。」李靖が言った。「これはいわゆる『多方面から仕掛けて敵を誤らせる』術である。蕃兵なのに漢兵と見せ、漢兵なのに蕃兵と見せる。敵が蕃と漢の区別を知らなければ、我が攻守の計略を測ることはできない。
解説
北辺の治め方を問われた李靖は、漢人の守備兵と蕃人の部落とで教練を分け、混同させないよう進言する。そのうえで、敵が来たときには主将にひそかに命じ、旗号や服装を入れ替えて奇兵を出させるという。蕃兵を漢兵のように、漢兵を蕃兵のように見せれば、敵は区別がつかず、こちらの攻守の計を読めなくなる。『左伝』に見える「多方以て之を誤らしむ」の術だと李靖は言う。平時にはそれぞれの長所を伸ばすために分けて育て、有事には見せ方を入れ替えて相手を惑わすという二段構えである。組織でも、専門ごとに育てたチームを、必要なときには役割を入れ替えて使える柔軟さを持てば、外から手の内を読まれにくくなる。
関連する章句
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李衛公問対・卷上太宗曰く、「正に朕が意に合ふ。卿密かに辺将に教ふべし。只だ此の蕃漢を以て、便ち奇正の法を見さん。」靖再拝して曰く、「聖慮天縦にして、一を聞きて十を知る。臣安んぞ能く其の説を極めんや。」太宗曰く、「諸葛亮言ふ、
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李衛公問対・卷上臣の区区として古制をば、皆纂(あつ)めて以て図にする所以の者は、有制の兵と成らんことを庶(こひねが)へばなり。」太宗曰く、「卿我が為に古の陣法を択び、悉く図にして以て上(たてまつ)れ。」太宗曰く、「蕃兵は唯だ勁馬奔衝す、此れ奇兵か。漢兵は唯だ強弩犄角す、此れ正兵か。」靖曰く、「『孫子』を案ずるに云ふ、『善く兵を用ゐる者は、之を勢に求めて、人に貴ばず。故に能く人を択びて勢に任ず』と。夫れ所謂人を択ぶとは、各々蕃漢の長ずる所に随ひて戦ふなり。蕃は馬に長じ、馬は速闘に利あり。漢は弩に長じ、弩は緩戦に利あり。此れ自然に各々其の勢に任ずるなり。然れども奇正の分かつ所に非ず。臣前に曾て蕃漢を部するに必ず号を変じ服を易ふるは、奇正相生ずるの法なり。馬にも亦た正有り、弩にも亦た奇有り、何の常か之れ有らんや。」太宗曰く、「卿更に細かに其の術を言へ。」靖曰く、「先づ之を形(あら)はし、敵をして之に従はしむ、是れ其の術なり。」太宗曰く、「朕之を悟れり。『孫子』に曰く、『兵を形はすの極は、無形に至る』と。又曰く、『形に因りて勝ちを衆に措くも、衆知ること能はず』と。其れ此の謂か。」靖再拝して曰く、「深きかな、陛下の聖慮、已に思ひ半ばに過ぎたり。」太宗曰く、「近ごろ契丹・奚皆内属す。松漠・饒楽の二都督を置き、安北都護に統べしむ。朕薛万徹を用ゐんとす、如何。」靖曰く、「万徹は阿史那社尒及び執失思力・契苾何力に如かず。此れ皆蕃臣の兵を知る者なり。常に之と松漠・饒楽の山川道路、蕃情の逆順を言ふに因り、遠くは西域の部落十数種に至るまで、歴歴として信ずべし。臣之に教ふるに陣法を以てすれば、点頭して義に服せざるは無し。望むらくは陛下之に任じて疑ふ勿れ。万徹の若きは、則ち勇にして謀無く、以て独り任じ難し。」太宗笑ひて曰く、「蕃人皆卿の役使する所と為る。古人云ふ、『蛮夷を以て蛮夷を攻むるは、中国の勢なり』と。卿之を得たり。」
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李衛公問対・卷中臣当に此を以て諸将に教ふべし。」太宗曰く、「朕瑤池都督を置き、以て安西都護に隷せしむ。蕃漢の兵、如何にか処置せん。」靖曰く、「天の人を生ずるや、本蕃漢の別無し。然れども地遠く荒漠にして、必ず射猟を以て生く。此に由りて常に戦闘に習ふ。若し我恩信もて之を撫し、衣食もて之を周(すく)はば、則ち皆漢人なり。陛下此の都護を置く、臣請ふ、漢の戍卒を収め、之を内地に処(お)きて、糧饋を減省せん。兵家の所謂『力を治むるの法』なり。但だ漢吏の蕃情に熟する者有るを択び、散じて堡障を守らしめば、此れ以て経久するに足る。或いは警有るに遇はば、則ち虞卒出でん。」太宗曰く、「『孫子』の言ふ所の『力を治む』とは、何如。」靖曰く、
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李衛公問対・卷上斯れ之を得たり。安んぞ素より之を分かつこと有らんや。若し士卒未だ吾が法に習はず、偏裨(へんぴ)未だ吾が令に熟せずんば、則ち必ず之が為に二術とす。戦ひを教ふる時、各々旗鼓を認め、迭ひに相分合す。故に曰く、分合を変と為すと。此れ戦ひを教ふるの術のみ。教閲既に成り、衆吾が法を知りて、然る後に群羊を駆るが如く、将の指す所に由らしむ。孰(たれ)か奇正の別を分かたんや。
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李衛公問対・卷上周の一乗は、歩卒七十二人、甲士三人なり。二十五人を以て一甲と為し、凡そ三甲、共に七十五人なり。楚は山沢の国にして、車少なく人多し。分かちて三隊と為せば、則ち周の制と同じ。」太宗曰く、「春秋に荀呉狄を伐つに、車を毀ちて行と為す。亦た正兵か、奇兵か。」靖曰く、「荀呉は車の法を用ゐたるのみ。車を舎(す)つと雖も法は其の中に在り。一は左角と為し、一は右角と為し、一は前拒と為し、分かちて三隊と為す。此れ一乗の法なり、千万乗も皆然り。臣曹公の『新書』を案ずるに云ふ、『攻車は七十五人、前拒一隊、左右角二隊。守車は一隊、炊子十人、守装五人、廐養五人、樵汲五人、共に二十五人。攻守二乗、凡そ百人。兵十万を興すに、車千乗を用ゐ、軽重二千』と。此れ大率孫・呉の旧法なり。又漢魏の間の軍制を観るに、五車を隊と為し、僕射一人。十車を師と為し、率長一人。凡そ車千乗に、将吏二人。多多此に倣ふ。臣今の法を以て之を参用すれば、則ち跳盪は騎兵なり。戦鋒隊は歩騎相半ばす。駐隊は車乗を兼ねて出づるなり。臣西のかた突厥を討つに、険を越ゆること数千里、此の制未だ嘗て敢へて易へず。蓋し古法の節制、信に重んずべし。」太宗霊州に幸し、迴(かへ)りて、靖を召して坐を賜ひ、曰く、「朕道宗及び阿史那社尒等に命じて薛延陁を討たしむ。而して鉄勒の諸部漢官を置かんことを乞ふ、朕皆其の請ひに従ふ。延陁西に走る、後患と為らんことを恐る、故に李勣を遣はして之を討たしむ。今荒方悉く平らぐも、然れども諸部蕃漢雑処す。何の道を以てか経久し、両つながら全く之を安んずるを得しめん。」靖曰く、「陛下勅して突厥より回紇の部落に至るまで、凡そ駅を置くこと六十六処、以て斥候を通ず。斯れ已に策を得たり。
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李衛公問対・卷上是を以て、素より分かつ者は教閲なり。時に臨みて変を制する者は、勝げて窮むべからざるなり。」太宗曰く、「深きかな、深きかな。曹公必ず之を知れり。但だ『新書』は諸将に授くる所以のみにして、奇正の本法に非ず。」太宗曰く、「曹公云ふ、『奇兵は旁(かたはら)より撃つ』と。卿謂ふこと若何(いかん)。」靖曰く、「臣曹公の『孫子』に註するを案ずるに曰く、『先に出でて合戦するを正と為し、後に出づるを奇と為す』と。此れ旁撃の拘りと異なれり。臣愚かにも謂へらく、大衆の合する所を正と為し、将の自ら出だす所を奇と為す。烏(いづく)んぞ先後・旁撃の拘り有らんや。」太宗曰く、「吾の正は、敵をして視て以て奇と為さしめ、吾の奇は、敵をして視て以て正と為さしむ。斯れ所謂『人を形(あら)はす』者か。奇を以て正と為し、正を以て奇と為し、変化測る莫し。斯れ所謂『形無し』といふ者か。」靖再拝して曰く、「陛下の神聖、迥(はる)かに古人に出づ、臣の及ぶ所に非ず。」太宗曰く、「分合を変と為すとは、奇正安(いづ)くに在りや。」靖曰く、
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