新論 / 長計
今誠欲去虚就實、則莫若乖其所之也、欲乖其所之、莫若使虜備我也、夫攻守一而已、古人有言、攻者守之機、我有攻之勢、則虜必備我、而權在於我也、今若守備已修、乘機而截虜外洋、則虜雖欲驚動邊境、而豈敢分少船寡卒、而公然睥睨海上哉、彼若群處衆行不敢分、則亦不能東西出沒以擾人、而我所備者約矣、彼久聚一處、則不能漁商以收其利、其勢亦不能常常停泊如今日、彼無恃以爲術、而恣睢無忌之心沮焉、且我居内地、以待敵者散地、而虜入未深者輕地也、法曰、散地吾將一其志、今能決一定之策、使民知所向、以一吾衆心、而撃其居散地者、破之不甚難、何憚而不講所以摧折之之術也、
新字:今誠欲去虚就実、則莫若乖其所之也、欲乖其所之、莫若使虜備我也、夫攻守一而已、古人有言、攻者守之機、我有攻之勢、則虜必備我、而権在於我也、今若守備已修、乗機而截虜外洋、則虜雖欲驚動辺境、而豈敢分少船寡卒、而公然睥睨海上哉、彼若群処衆行不敢分、則亦不能東西出没以擾人、而我所備者約矣、彼久聚一処、則不能漁商以収其利、其勢亦不能常常停泊如今日、彼無恃以為術、而恣睢無忌之心沮焉、且我居内地、以待敵者散地、而虜入未深者軽地也、法曰、散地吾将一其志、今能決一定之策、使民知所向、以一吾衆心、而撃其居散地者、破之不甚難、何憚而不講所以摧折之之術也、
書き下し
今誠に虚を去りて実に就かんと欲せば、則ち其の之く所を乖くに若くは莫し。其の之く所を乖かんと欲せば、虜をして我に備へしむるに若くは莫し。夫れ攻守は一のみ。古人言へる有り、攻は守の機なりと。我に攻むるの勢有らば、則ち虜必ず我に備へて、権我に在り。今若し守備已に修まり、機に乗じて虜を外洋に截たば、則ち虜辺境を驚動せんと欲すと雖も、豈に敢へて少船寡卒を分かちて、公然として海上に睥睨せんや。彼若し群処衆行して敢へて分かたずんば、則ち亦東西に出没して以て人を擾すこと能はずして、我の備ふる所の者約なり。彼久しく一処に聚まらば、則ち漁商して以て其の利を収むること能はず、其の勢亦常常停泊すること今日の如くなる能はず。彼恃みて以て術と為す無くして、恣睢無忌の心沮まん。且つ我の内地に居りて、以て敵を待つ者は散地なり、而して虜の入ること未だ深からざる者は軽地なり。法に曰く、散地には吾将に其の志を一にせんとすと。今能く一定の策を決し、民をして向かふ所を知らしめ、以て吾が衆心を一にして、其の散地に居る者を撃たば、之を破ること甚だ難からず。何ぞ憚りて之を摧折する所以の術を講ぜざらんや。
現代語訳
いま本当に虚を去って実に就こうとするなら、敵の向かうところをそらすのが一番である。敵の向かうところをそらそうとするなら、敵にわが方への備えをさせるのが一番である。そもそも攻めと守りは一つのものである。昔の人も「攻めは守りの要である」と言っている。わが方に攻める勢いがあれば、敵は必ずわが方に備えるので、主導権はこちらにある。いまもし守備がすでに整い、機に乗じて敵を外洋で断ち切るなら、敵が辺境を騒がそうとしても、どうして少ない船や兵を分けて、公然と海上をにらみ回ることができようか。彼がもし群れて集団で行動し、分かれようとしなければ、東西に出没して人を騒がすこともできず、わが方の備えるべきところは絞られる。彼が長く一か所に集まっていれば、漁や交易で利益を得ることもできず、今日のようにいつも停泊していることもできなくなる。彼は頼みとする術を失い、ほしいままに振る舞う心もくじけるだろう。またわが方が国内にいて敵を待つのは散地(自国内の戦場)であり、敵がまだ深く入り込んでいないのは軽地(敵地の浅い所)である。兵法(『孫子』)に「散地では、わたしは兵の志を一つにしよう」とある。いま一定の策を決め、民に向かうべきところを知らせて人々の心を一つにし、散地にいる敵を討てば、それを破るのはさほど難しくない。何をためらって、敵をくじく術を研究しないのか。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『新論』長計後中国多故に属して、遠人至らず、廟堂遠大の略無く、土疆日に蹙まりて、神聖の天下を経営する所以の意熄む。近世の若きに至りては、則ち夷狄強梁にして、亦大勢に見る有り、素定の略を挟みて、以て其の呑噬を逞しくすること三百余年、傲然として敢へて糠を神州に舐め、神聖の夷狄を御する所以の略を倒用して、反つて以て中国を謀らんと欲す。而して中国未だ一定の策を画せず、朝野の論、一是一非、因循苟且にして、以て姑息の慮を為すを免れず。赫赫たる神明の邦を以てして、坐して腥羶の異類をして我が辺陲に陸梁せしむ、亦羞づべからずや。夫れ億兆に君師たる、其の気世を蓋ふに足り、胸臆四海を容るるに足り、従容として天下の事に処して余り有る者は、人を制する者なり。見る所目前の利害に過ぎざる者は、事多く思慮の外に出で、天下を胸中に運らすこと能はず、人に制せらるる者なり。海外の事、目の未だ嘗て見ざる所、故に黠虜以て吾が思慮の未だ及ばざる所を以て之を侮弄するを得。亦怪しむに足らざるなり。
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『新論』長計且つ夫れ所謂攻むるの勢なる者も、亦豈に必ずしも兵を頓め軍を覆して以て其の城邑を争ひて、而る後乃ち之を攻と謂はんや。要は我自ら勝つべからざるを為して、以て敵の勝つべきを求むるのみ。誠に能く志気を恢廓にして大勢を観、外は以て謀を伐ち交を伐ち、形格勢禁の略を設け、内は以て大いに守禦の備へを修め、兵力以て虜を制するに足り、政教以て夷を変ずるに足らば、彼其れ辺を伺はんか、奮撃殲滅して、以て威を万里に揚げ、若し其れ帰順せんか、東漸西被して、以て化を四裔に弘め、而して蝦夷の諸島、山丹の諸胡をして、相踵ぎて内属せしめ、日に夷狄を斥け土宇を拓く。勝つべからざるを為す所以にして、未だ戦はずと雖も、隠然として必ず其の心を攻むるに足る者有り。而る後肮を批ち虚を擣き、機に相して之に乗じ、天より下るが如くす。其の勝つべきに応ずる所以にして、則ち虜我に備へざるを得ずして、客を変じて主と為すの術窮まらん。
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『新論』長計是れ所謂其の之く所を乖く者にして、実を変じて虚と為し、虚を転じて実と為す。此くの如くなれば、則ち神聖の夷狄を御する所以の略、彼倒用するを得ずして、彼の我を擾す所以の術、我将に之を倒用せんとす。然る後操縦の権、我より之を制す。廟謨既に定まり、上下心を同じくし、千塗万轍、必ず是の道に由りて変ぜず。是に於てか我の夷狄を御する所以の者は、即ち神聖の夷狄を御する所以にして、内に一定の略有りて、外に乗ずべきの虚無し。黠虜をして千群我を窺はしむと雖も、将た何を以て我が辺陲に陸梁するを得んや。(大猷公嘗て訳官島野兼了なる者を天竺に遣はす。兼了荷蘭の賈舶に乗り、諸国を周流し、遂に東海に往くこと三千里、一大国を得たり。以為へらく是の国宜しく神州に属すべしと。因りて碑を立てて題して日本国中と曰ふ。当時の規模の宏遠なること、亦見るべきなり。海東三千里なる者は、疑ふらくは即ち西夷の所謂亜墨利加洲なる者ならん。)
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孫子・形篇勝つべからざる者は守なり、勝つべき者は攻なり。守は則ち足らざればなり、攻は則ち余り有ればなり。善く守る者は九地の下に蔵れ、善く攻むる者は九天の上に動く。故に能く自ら保ちて勝を全うするなり。
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孫子・行軍篇敵近くして静かなる者は、其の険を恃むなり。遠くして戦いを挑む者は、人の進むを欲するなり。其の居る所の易なる者は、利あればなり。
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李衛公問対・卷下太宗曰く、「攻守の二事は、其の実一法か。『孫子』言ふ、『善く攻むる者は、敵其の守る所を知らず。善く守る者は、敵其の攻むる所を知らず』と。即ち敵来たりて我を攻むれば、我も亦之を攻め、我若し自ら守れば、敵も亦之を守るを言はず。攻守両(ふた)つながら斉(ひと)しき、其の術奈何。」靖曰く、「前代此に似て相攻め相守る者、多し。皆曰く、『守るは則ち足らず、攻むるは則ち余り有り』と。便ち足らざるを弱と為し、余り有るを強と為すと謂ふ。蓋し攻守の法を悟らざるなり。臣『孫子』を案ずるに云ふ、『勝つべからざる者は、守るなり。勝つべき者は、攻むるなり』と。
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