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李衛公問対 / 卷上

分合所出,唯孫武能之,吳起而下,莫可及焉。」太宗曰:「吳術若何?」靖曰:「臣請略言之。魏武侯問吳起兩軍相向,起曰:『使賤而勇者前擊,鋒始交而北,北而勿罰。觀敵進取,一坐一起,奔北不追,則敵有謀矣;若悉眾追北,行止縱橫,此敵人不才,擊之勿疑。』臣謂吳術大率多此類,非孫武所謂以正合也。」太宗曰:「卿舅韓擒虎,嘗言卿可與論孫、吳,亦奇正之謂乎?」靖曰:「擒虎安知奇正之極,但以奇為奇,以正為正爾!曾未知奇正相變,循環無窮者也。」太宗曰:「古人臨陳出奇,攻人不意,斯亦相變之法乎?」靖曰:

新字:分合所出,唯孫武能之,呉起而下,莫可及焉。」太宗曰:「呉術若何?」靖曰:「臣請略言之。魏武侯問呉起両軍相向,起曰:『使賤而勇者前撃,鋒始交而北,北而勿罰。観敵進取,一坐一起,奔北不追,則敵有謀矣;若悉衆追北,行止縦横,此敵人不才,撃之勿疑。』臣謂呉術大率多此類,非孫武所謂以正合也。」太宗曰:「卿舅韓擒虎,嘗言卿可与論孫、呉,亦奇正之謂乎?」靖曰:「擒虎安知奇正之極,但以奇為奇,以正為正爾!曽未知奇正相変,循環無窮者也。」太宗曰:「古人臨陳出奇,攻人不意,斯亦相変之法乎?」靖曰:

書き下し

分合の出づる所は、唯だ孫武のみ之を能くし、呉起より下は、及ぶべき莫し。」太宗曰く、「呉の術は若何。」靖曰く、「臣請ふ、略して之を言はん。魏の武侯、呉起に両軍相向かふを問ふ。起曰く、『賤しくして勇なる者をして前み撃たしめ、鋒始めて交はりて北(に)げしめ、北ぐるも罰する勿れ。敵の進取を観るに、一坐一起し、奔北するも追はずんば、則ち敵に謀有り。若し衆を悉くして北ぐるを追ひ、行止縦横なれば、此れ敵人不才なり、之を撃ちて疑ふ勿れ』と。臣謂へらく、呉の術は大率此の類多く、孫武の所謂正を以て合ふに非ざるなり。」太宗曰く、「卿の舅(をぢ)韓擒虎、嘗て卿は与に孫・呉を論ずべしと言へり。亦た奇正の謂か。」靖曰く、「擒虎安んぞ奇正の極を知らん。但だ奇を以て奇と為し、正を以て正と為すのみ。曾て未だ奇正相変じ、循環して窮まり無き者を知らざるなり。」太宗曰く、「古人陣に臨みて奇を出だし、人の不意を攻む。斯れも亦た相変ずるの法か。」靖曰く、

現代語訳

分合から繰り出す妙は、ただ孫武だけがよくし、呉起(ごき、戦国時代の兵法家)以下は誰も及ばない。」太宗が言った。「呉起の術はどうか。」李靖が言った。「臣がかいつまんで言おう。魏の武侯が呉起に、両軍が向かい合ったときのことを問うた。呉起は言った。『身分が低く勇敢な者に前に出て撃たせ、刃を交えたらすぐ逃げさせ、逃げても罰しない。敵の進み方を観察し、座ったり立ったりと整然として、逃げる者を追わなければ、敵には謀がある。もし全軍で逃げる者を追い、進むも止まるも入り乱れていれば、その敵は無能であり、ためらわず撃て』と。臣が思うに、呉起の術はおおむねこの類が多く、孫武のいう『正をもって合う』ものではない。」太宗が言った。「卿の舅の韓擒虎(かんきんこ、隋の名将)は、かつて卿となら孫子・呉子を論じられると言っていた。これも奇正のことか。」李靖が言った。「擒虎がどうして奇正の極みを知っていただろうか。ただ奇を奇とし、正を正としただけだ。奇と正が互いに変じて、循環して窮まりないことを知らなかったのである。」太宗が言った。「古人は陣に臨んで奇を出し、敵の不意を攻めた。これもまた互いに変ずる法か。」李靖が言った。

解説

李靖は、分合から自在に奇を繰り出せるのは孫武だけで、呉起以下は及ばないと言う。その例として『呉子』から、身分の低い勇士にわざと負けて逃げさせ、敵の追い方で相手の力量を測るという術を引く。敵を試す巧みな方法だが、孫子のいう「正を以て合ふ」という根本からは外れる、というのが李靖の評価である。さらに李靖の舅で隋の名将である韓擒虎についても、奇を奇、正を正としか見ておらず、両者が互いに変わって循環することは知らなかったと語る。身内の名将にも遠慮のない評である。小手先の探りは役に立つが、全体の構えと結びつけられなければ一段浅い。技術を持つことと、技術同士の関係を理解することの違いを考えさせる章句である。

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