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李衛公問対 / 卷上

斯得之矣。安有素分之邪?若士卒未習吾法,偏裨未熟吾令,則必為之二術。教戰時,各認旗鼓,迭相分合,故曰:分合為變,此教戰之術爾。教閱既成,眾知吾法,然後如驅羣羊,由將所指,孰分奇正之別哉?

新字:斯得之矣。安有素分之邪?若士卒未習吾法,偏裨未熟吾令,則必為之二術。教戦時,各認旗鼓,迭相分合,故曰:分合為変,此教戦之術爾。教閲既成,衆知吾法,然後如駆羣羊,由将所指,孰分奇正之別哉?

書き下し

斯れ之を得たり。安んぞ素より之を分かつこと有らんや。若し士卒未だ吾が法に習はず、偏裨(へんぴ)未だ吾が令に熟せずんば、則ち必ず之が為に二術とす。戦ひを教ふる時、各々旗鼓を認め、迭ひに相分合す。故に曰く、分合を変と為すと。此れ戦ひを教ふるの術のみ。教閲既に成り、衆吾が法を知りて、然る後に群羊を駆るが如く、将の指す所に由らしむ。孰(たれ)か奇正の別を分かたんや。

現代語訳

(孫武の言葉こそ)要を得ている。どうして奇正をもともと分けておくことがあろうか。もし兵士がまだ我が法に習熟せず、偏裨(へんぴ、副将や部隊長)がまだ我が命令に慣れていなければ、必ずそのために二つの部隊に分ける。戦いを教える時は、それぞれが旗と太鼓を見分け、代わる代わる分かれたり合わさったりする。だから「分合を変とする」と言うのだ。これは戦いを教える術にすぎない。訓練がすでに成り、皆が我が法を知ったのち、羊の群れを追うように、将の指すところに従わせる。そうなれば誰が奇と正の区別を分けたりするだろうか。

解説

李靖は、奇正をもともと分けておくことなどないと言い切る。兵がまだ法に慣れず、部隊長が命令に習熟していないうちは、訓練のために二つの部隊に分け、旗と太鼓で分かれたり合わさったりする練習をさせる。これが「分合を変と為す」の意味であり、あくまで教えるための方法だという。訓練が完成し、皆が法を身につければ、将は羊の群れを追うように兵を動かせるので、誰も奇と正の区別を意識しない。型は初心者に教えるための足場であり、熟達すれば型を意識せずに動けるようになる、という考えである。職場の研修でも、役割分担や手順を最初は細かく決めるが、それは最終目標ではない。身についたあとの自在な連携こそが狙いである。

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