李衛公問対 / 卷上
太宗俛首。太宗曰:「奇正素分之歟?臨時制之歟?」靖曰:「案曹公《新書》曰:『己二而敵一,則一術為正,一術為奇;己五而敵一,則三術為正,二術為奇。』此言大略爾。唯孫武云:
書き下し
太宗首を俛(ふ)す。太宗曰く、「奇正は素(もと)より之を分かつか、時に臨みて之を制するか。」靖曰く、「曹公の『新書』を案ずるに曰く、『己二にして敵一なれば、則ち一術を正と為し、一術を奇と為す。己五にして敵一なれば、則ち三術を正と為し、二術を奇と為す』と。此れ大略を言ふのみ。唯だ孫武云ふ、
現代語訳
(李靖の言葉に)太宗はうなずいた。太宗が言った。「奇と正はもともと分けておくものか、それとも時に臨んで定めるものか。」李靖が言った。「曹公(曹操)の『新書』(曹操の兵書)を調べると、『自軍が二で敵が一ならば、一つの部隊を正とし、一つの部隊を奇とする。自軍が五で敵が一ならば、三つの部隊を正とし、二つを奇とする』とある。これは大略を言っただけである。ただ孫武だけが(次のように)言っている、
解説
太宗は、奇と正はあらかじめ分けておくものか、その場で決めるものかと問う。李靖は曹操の『新書』を引く。自軍と敵の兵力比に応じて、何部隊を正に、何部隊を奇に振り分けるかという目安である。李靖はこれを「大略を言ふのみ」と評し、本当の答えは孫武の言葉にあるとして話を続ける。曹操は『孫子』に注をつけた人物としても知られ、本書はたびたびその説を取り上げては、足りないところを指摘する。比率で役割を割り振る方法はわかりやすく教えやすいが、それだけで現場の変化に応じられるとは限らない。マニュアルの配分表と、状況を読んで配置を変える判断とは別物であり、その違いを意識することが組織の運営でも欠かせない。
関連する章句
-
李衛公問対・卷上是を以て、素より分かつ者は教閲なり。時に臨みて変を制する者は、勝げて窮むべからざるなり。」太宗曰く、「深きかな、深きかな。曹公必ず之を知れり。但だ『新書』は諸将に授くる所以のみにして、奇正の本法に非ず。」太宗曰く、「曹公云ふ、『奇兵は旁(かたはら)より撃つ』と。卿謂ふこと若何(いかん)。」靖曰く、「臣曹公の『孫子』に註するを案ずるに曰く、『先に出でて合戦するを正と為し、後に出づるを奇と為す』と。此れ旁撃の拘りと異なれり。臣愚かにも謂へらく、大衆の合する所を正と為し、将の自ら出だす所を奇と為す。烏(いづく)んぞ先後・旁撃の拘り有らんや。」太宗曰く、「吾の正は、敵をして視て以て奇と為さしめ、吾の奇は、敵をして視て以て正と為さしむ。斯れ所謂『人を形(あら)はす』者か。奇を以て正と為し、正を以て奇と為し、変化測る莫し。斯れ所謂『形無し』といふ者か。」靖再拝して曰く、「陛下の神聖、迥(はる)かに古人に出づ、臣の及ぶ所に非ず。」太宗曰く、「分合を変と為すとは、奇正安(いづ)くに在りや。」靖曰く、
-
李衛公問対・卷上太宗曰く、「黄帝の兵法、世に『握奇文』を伝へ、或いは謂ひて『握機文』と為す。何の謂ぞや。」靖曰く、「奇は音機なり、故に或いは伝へて機と為す。其の義は則ち一なり。其の詞を考ふるに云ふ、『四を正と為し、四を奇と為し、余奇を握機と為す』と。奇は余零なり、此に因りて音機なり。臣愚かにも謂へらく、兵は是れ機ならざる無し、安んぞ握りて言ふに在らんや。当に余奇と為すべくんば則ち是なり。夫れ正兵は之を君に受け、奇兵は将の自ら出だす所なり。法に曰く、
-
李衛公問対・卷上分合の出づる所は、唯だ孫武のみ之を能くし、呉起より下は、及ぶべき莫し。」太宗曰く、「呉の術は若何。」靖曰く、「臣請ふ、略して之を言はん。魏の武侯、呉起に両軍相向かふを問ふ。起曰く、『賤しくして勇なる者をして前み撃たしめ、鋒始めて交はりて北(に)げしめ、北ぐるも罰する勿れ。敵の進取を観るに、一坐一起し、奔北するも追はずんば、則ち敵に謀有り。若し衆を悉くして北ぐるを追ひ、行止縦横なれば、此れ敵人不才なり、之を撃ちて疑ふ勿れ』と。臣謂へらく、呉の術は大率此の類多く、孫武の所謂正を以て合ふに非ざるなり。」太宗曰く、「卿の舅(をぢ)韓擒虎、嘗て卿は与に孫・呉を論ずべしと言へり。亦た奇正の謂か。」靖曰く、「擒虎安んぞ奇正の極を知らん。但だ奇を以て奇と為し、正を以て正と為すのみ。曾て未だ奇正相変じ、循環して窮まり無き者を知らざるなり。」太宗曰く、「古人陣に臨みて奇を出だし、人の不意を攻む。斯れも亦た相変ずるの法か。」靖曰く、
-
李衛公問対・卷中太宗曰く、「朕諸(もろもろ)の兵書を観るに、孫武に出づるは無し。孫武の十三篇は、虚実に出づるは無し。夫れ兵を用ゐるに、虚実の勢を識れば、則ち勝たざる無し。今諸将の中、但だ能く『実に背きて虚を撃つ』と言ふのみ。其の敵に臨むに及びては、則ち虚実を識る者鮮し。蓋し人を致すこと能はずして、反って敵の致す所と為るが故なり。如何。卿悉く諸将の為に其の要を言へ。」靖曰く、「先づ之に教ふるに奇正相変ずるの術を以てし、然る後に之に語るに虚実の形を以てすれば、可なり。諸将多く奇を以て正と為し、正を以て奇と為すを知らず。且つ安んぞ虚は是れ実、実は是れ虚なるを識らんや。」太宗曰く、「『之を策りて得失の計を知り、之を作して動静の理を知り、之を形して死生の地を知り、之を角(くら)べて有余不足の処を知る』。此れ則ち奇正は我に在り、虚実は敵に在るか。」靖曰く、「奇正は、敵の虚実を致す所以なり。敵実なれば則ち我必ず正を以てし、敵虚なれば則ち我必ず奇を為す。苟も将奇正を知らずんば、則ち敵の虚実を知ると雖も、安んぞ能く之を致さんや。臣詔を奉じ、但だ諸将に教ふるに奇正を以てし、然る後に虚実自ら知らん。」太宗曰く、「奇を以て正と為すとは、敵其の奇を意へば、則ち吾正もて之を撃つ。正を以て奇と為すとは、敵其の正を意へば、則ち吾奇もて之を撃つ。敵の勢をして常に虚、我の勢をして常に実ならしむ。当に此の法を以て諸将に授け、暁(さと)り易からしむべし。」靖曰く、
-
李衛公問対・卷上斯れ之を得たり。安んぞ素より之を分かつこと有らんや。若し士卒未だ吾が法に習はず、偏裨(へんぴ)未だ吾が令に熟せずんば、則ち必ず之が為に二術とす。戦ひを教ふる時、各々旗鼓を認め、迭ひに相分合す。故に曰く、分合を変と為すと。此れ戦ひを教ふるの術のみ。教閲既に成り、衆吾が法を知りて、然る後に群羊を駆るが如く、将の指す所に由らしむ。孰(たれ)か奇正の別を分かたんや。
-
李衛公問対・卷上太宗曰く、「正に朕が意に合ふ。卿密かに辺将に教ふべし。只だ此の蕃漢を以て、便ち奇正の法を見さん。」靖再拝して曰く、「聖慮天縦にして、一を聞きて十を知る。臣安んぞ能く其の説を極めんや。」太宗曰く、「諸葛亮言ふ、
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る