李衛公問対 / 卷上
孫武所謂『形人而我無形』,此乃奇正之極致。
書き下し
孫武の謂う所の『人を形せしめて我は形無し』とは、此れ乃ち奇正の極致なり。
現代語訳
孫武が言うところの「相手には態勢を露わにさせながら、自分は態勢を隠し通す」ということこそ、正と奇を使いこなす極意である。
解説
孫子の名句「形人而我無形」を引き、李靖は情報戦の本質を語る。相手の意図や手の内を見抜きながら自分の狙いは悟らせない、その非対称こそが奇正を使いこなす頂点だという指摘である。交渉や競争の場でも、自分の予定や弱みを先に見せてしまえば、相手に主導権を渡すことになる。逆に相手の動きをよく観察し自分は多くを語らずにいるだけで、選べる手の数は自然と増えていく。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
形人無形情報戦主導権
関連する章句
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孫子・始計篇能くしてこれを不能と示し、用いてこれを不用と示し、近くしてこれを遠しと示し、遠くしてこれを近しと示す。
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李衛公問対・卷上兵を善く用うる者は、先ず測る可からざるを為せば、則ち敵は其の之く所に乖く。
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『新論』長計是れ所謂其の之く所を乖く者にして、実を変じて虚と為し、虚を転じて実と為す。此くの如くなれば、則ち神聖の夷狄を御する所以の略、彼倒用するを得ずして、彼の我を擾す所以の術、我将に之を倒用せんとす。然る後操縦の権、我より之を制す。廟謨既に定まり、上下心を同じくし、千塗万轍、必ず是の道に由りて変ぜず。是に於てか我の夷狄を御する所以の者は、即ち神聖の夷狄を御する所以にして、内に一定の略有りて、外に乗ずべきの虚無し。黠虜をして千群我を窺はしむと雖も、将た何を以て我が辺陲に陸梁するを得んや。(大猷公嘗て訳官島野兼了なる者を天竺に遣はす。兼了荷蘭の賈舶に乗り、諸国を周流し、遂に東海に往くこと三千里、一大国を得たり。以為へらく是の国宜しく神州に属すべしと。因りて碑を立てて題して日本国中と曰ふ。当時の規模の宏遠なること、亦見るべきなり。海東三千里なる者は、疑ふらくは即ち西夷の所謂亜墨利加洲なる者ならん。)
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尉繚子・戰威善く兵を用うる者は、能く人を奪いて人に奪われず。
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尉繚子・戰權兵法に曰く、「千人にして権を成し、万人にして武を成す。権先づ人に加ふる者は、敵力交へず。武先づ人に加ふる者は、敵威接せず」と。故に兵は先を貴ぶ。此に勝てば、則ち彼に勝つ。此に勝たざれば、則ち彼に勝たず。凡そ我往けば則ち彼来たり、彼来たれば則ち我往き、相勝敗を為す、此れ戦の理の然るなり。夫れ精誠は神明に在り、戦権は道の極まる所に在り。有る者は之を無くし、無き者は之を有らしむ、安んぞ之を信ずる所あらん。先王の伝聞する所の者は、正に任じ詐を去り、其の慈順を存し、決して留刑無し。故に道を知る者は、必ず先づ止まるを知らざるの敗を図る、悪んぞ必ず往きて功有るに在らんや。軽く進みて戦を求むれば、敵復た止まるを図り、我往きて敵勝を制す。故に兵法に曰く、「求めて之に従ひ、見て之に加へ、主人敢へて当たらざるに之を陵げば、必ず其の権を喪ふ」と。凡そ奪はるる者は気無く、恐るる者は守るべからず、敗るる者は人無し、兵に道無ければなり。意往きて疑はざれば、則ち之に従ふ。敵を奪ひて前無ければ、則ち之に加ふ。明らかに視て高く居れば、則ち之を威す。兵の道極まれり。其の言謹み無ければ、偸みて失はしむ。其の陵犯節無ければ、破る。水のごとく潰し雷のごとく撃てば、三軍乱る。必ず其の危ふきを安んじ、其の患を去り、智を以て之を決す。之を高くするに廊廟の論を以てし、之を重くするに受命の論を以てし、之を鋭くするに踰垠の論を以てすれば、則ち敵国戦はずして服すべし。
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孫子・虚実篇孫子曰く、戦いを善くする者は、人を致して人に致されず。