導師導古典を学びたいすべての人に

楽訓 / 巻之下・後論

一天長く地久しくして、極りなし。人は天地と參となりながら、命のみじかき事、たとへば朝露の如く、一生の過ぎやすきこと、過客の如し。歲月は行きてとゞまらず、時節は去りて流るゝが如し。李白が詩に、人生大夢の如し、胡爲此生をくるしむと云へり。およそ人の命、上壽は百歲、中壽は八十、下壽は六十といへり。下壽をたもつ人もまた多からず。七十なるは稀なり。かゝる短きよはひの內を、一日も善を行はず樂まずして、あだに暮すべからず。古歌に、世の中をかくいひいひてはてはては、いかにやいかにならんとすらん。といへるは、今更おどろくべきにあらざれども、およそ人は皆あだにして定めなき身を持ちながら、死期の近き事を知らずして、平生あやまつて、百年のはかり事をなせり。

新字:一天長く地久しくして、極りなし。人は天地と参となりながら、命のみじかき事、たとへば朝露の如く、一生の過ぎやすきこと、過客の如し。歳月は行きてとゞまらず、時節は去りて流るゝが如し。李白が詩に、人生大夢の如し、胡為此生をくるしむと云へり。およそ人の命、上寿は百歳、中寿は八十、下寿は六十といへり。下寿をたもつ人もまた多からず。七十なるは稀なり。かゝる短きよはひの内を、一日も善を行はず楽まずして、あだに暮すべからず。古歌に、世の中をかくいひいひてはてはては、いかにやいかにならんとすらん。といへるは、今更おどろくべきにあらざれども、およそ人は皆あだにして定めなき身を持ちながら、死期の近き事を知らずして、平生あやまつて、百年のはかり事をなせり。

書き下し

一天長く地久しくして、極りなし。人は天地と参となりながら、命のみじかき事、たとへば朝露の如く、一生の過ぎやすきこと、過客の如し。歳月は行きてとどまらず、時節は去りて流るるが如し。李白が詩に、人生大夢の如し、胡為此生をくるしむと云へり。およそ人の命、上寿は百歳、中寿は八十、下寿は六十といへり。下寿をたもつ人もまた多からず。七十なるは稀なり。かかる短きよはひの内を、一日も善を行はず楽まずして、あだに暮すべからず。古歌に、世の中をかくいひいひてはてはては、いかにやいかにならんとすらん。といへるは、今更おどろくべきにあらざれども、およそ人は皆あだにして定めなき身を持ちながら、死期の近き事を知らずして、平生あやまつて、百年のはかり事をなせり。

現代語訳

天は長く地は久しく、極まりがありません。人は天地と並んで三才となりながら、命の短いことはたとえば朝露のようで、一生の過ぎやすいことは旅人のようです。歳月は行って止まらず、時節は去って流れるようです。李白の詩に「人生は大きな夢のようなものだ、どうしてこの生を苦しめるのか」と言っています。およそ人の寿命は、上寿は百歳、中寿は八十、下寿は六十と言います。下寿を保つ人もまた多くはありません。七十は稀です。このように短い年齢のうちを、一日でも善を行わず楽しまずに、むなしく暮らしてはなりません。古歌に「世の中をこう言い言いして果て果てには、いったいどうなってしまうのだろう」とあるのは、今さら驚くべきことではないけれども、およそ人はみなはかなく定めない身を持ちながら、死期が近いことを知らずに、ふだん誤って百年先の計画を立てています。

解説

天地の悠久と人の命の短さを対比し、朝露や過客(旅人)にたとえます。李白の「春日酔起言志」の「処世若大夢、胡為労其生」を和らげて引き、短い人生を苦しみで費やすなと説きます。上寿百、中寿八十、下寿六十という区分を示し、限りある命だからこそ一日も無駄にせず善を行い楽しめと言うのです。「いつかやろう」と先送りしがちな私たちに、人生の有限さを思い出させ、今日を大切に生きることを促す一節です。

この章句が説くこと

無常寿命時間楽しみ善

関連する章句

古典の入門書『人生の教科書』の表紙

人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。

古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。

本の中身を見る
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)+師導1か月=700円 本を見る