楽訓 / 巻之下・後論
一此世にありては、此世の樂を知らず。富貴にしては、我が力あるを以て善を行ひ、人をたすけて樂む道を知らず。淸福を得ては、淸福の樂を知らず。病なき時は、病なき樂を知らず。たとへばいねたる人の、夢是夢なる事を知らざるが如し。
新字:一此世にありては、此世の楽を知らず。富貴にしては、我が力あるを以て善を行ひ、人をたすけて楽む道を知らず。清福を得ては、清福の楽を知らず。病なき時は、病なき楽を知らず。たとへばいねたる人の、夢是夢なる事を知らざるが如し。
書き下し
一此世にありては、此世の楽を知らず。富貴にしては、我が力あるを以て善を行ひ、人をたすけて楽む道を知らず。清福を得ては、清福の楽を知らず。病なき時は、病なき楽を知らず。たとへばいねたる人の、夢是夢なる事を知らざるが如し。
現代語訳
この世にいては、この世の楽しみを知りません。富貴であっては、自分に力があることで善を行い人を助けて楽しむ道を知りません。清らかな幸い(清福)を得ていても、清福の楽しみを知りません。病気のない時は、病気のない楽しみを知りません。たとえば寝ている人が、夢がまさに夢であることを知らないようなものです。
解説
短いながら核心を突く一条です。人は現に手にしている幸いほど気づかない、富貴な者はその力で人を助ける楽しみを知らず、閑で心安らかな「清福」にある者もその価値を知らず、健康な者は健康のありがたさを知らない、と益軒は言います。寝ている人が夢を夢と知らないというたとえが鮮やかです。病気になって初めて健康の尊さを知るのが常ですが、その前に気づけるかどうかで日々の満足は大きく違います。感謝の習慣を持つことの大切さを示しています。
この章句が説くこと
幸い健康感謝楽しみ足る
関連する章句
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『楽訓』巻之上・総論一凡生けるもの、静にいとまあるはまれなり。富貴の人は、古より世ごとにおほけれど、心安くして憂苦なく、身閑にいとまありて、つねに楽む人は、世にまれなり。是を以て、清福の楽、富貴にまされること、はるかに越えたることを知るべし。おろかなる人は、清福を得ても、知らずして楽まず。又清福を知りても、身に清福なければ此楽なし。此清福を得る人、世にすくなきは、天の惜み給ふ所なれば、尤得がたしといへり。もし此清福の楽を知りて、清福を得たらん人は、世に類すくなき福なり。天の物を生ずる、二ながら全からず。花よきものは、実よからざるが如し。すでに清福を得たる人は、さらに富貴を願ふべからず。二ながら得んとするは、欲ふかくして、天命にそむけり。かかる楽を得ても、猶外をねがひ、富貴をうらやみて、自ら足る事を知らざるは、分を知らずして、楽をわするるなり。愚なるかな。
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『楽訓』巻之上・総論一世の人、まどしくしては憂ひ苦み、富貴をうらやみて楽なく、富貴にしてはおごり怠りて、欲をほしいままにし、財をつひやして、楽を求むれど、欲にやぶられて、かへりて自らくるしみ、人を苦ましむ。すべて富貴も貧賤も、其ねがひ外にありて、内に道を得ざれば、苦のみにて楽なし。
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『楽訓』巻之上・総論もし此理を知れらば、身の上につきて楽み、外を願ふべからず。貧賤にしても、患難にあひても、時となく所として、楽あらずといふ事なかるべし。坐には坐の楽あり、立には立の楽あり、行にも、臥にも、飲食にも、見るにも、きくにも、ものいふにも、楽あらずといふ事なし。楽はもとより心に生れつきて、身にそへるものなればなり。されど此楽を知りて楽む人すくなし。理くらければ楽を知らず、欲ふかければ楽をうしなふ。
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『養生訓』巻第一・総論上一およそ人の楽むべき事三あり。一には、身に道を行ひ、ひが事なくして善を楽むにあり。二には、身に病なくして快く楽むにあり。三には、命ながくして久しく楽むにあり。富貴にしても、此の三の楽なければ真の楽なし。故に富貴は此の三楽の内にあらず。もし心に善を楽まず、又養生の道を知らずして身に病多く、其のはては短命なる人は、此の三楽を得ず。人となりて此の三楽を得る計なくんばあるべからず。此の三楽なくんば、いかなる大富貴をきはむとも益なかるべし。
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『楽訓』巻之下・後論一我がともがら才もなく徳もなく、君を助け民をたすくるわざなけれども、一歩の田をつくらず、一本の麻をうゑずして、食に飽き、衣をあたたかに著、家に居て風雨にをかされず。是大なる幸なり。農夫は又日夜耕作に苦めども、うゑこごえを免れず、あはれむべし。是を思ひて、我が身まどしくとも、うれひなく楽むべし。外を求め上をねがふは、おごりて分を知らざるなり。古語に曰、上にたくらぶれば足らざれども、下にくらぶれば余あり。是を以て、我が身を楽むべし。
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『楽訓』巻之下・後論一万の事、はじめ、事のいまだ備らざりし時を思ひ、今にくらべなば、苦なく楽多かるべし。上古の時は、野に居り穴にすむ。五穀のはむべきなく、きぬ布の著るべきなし。もろもろの器なく、火食を知らず。其苦思ひやるべし。今の世の人は、上古にくらぶるに、事毎にそなはりて、楽むべし。又我がはじめ貧賤なる苦を思ひて、今の時にくらぶべし。戦国の時のうきことを思ひて、今の太平を楽むべし。
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