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楽訓 / 巻之下・読書

一わがともがら、經史にちぎりを結べるえにし深ければにや、ふみに對すれば、いつとなく又なく樂しくおもほゆるは、天よりさいはひを厚くくだし給へるなり。およそ天の物を生じ給ふこと、二ながら全からず、かれこれ足ひぬるは稀なり。故にこなたを得れば、必かなたを失ふ。たとへば花うるはしければ實よからず、實よければ花うるはしからざるが如し。又千葉の花には實なし。此故に、才學ある人は多くはまどし。才學ありて又富貴ならば、二ながら足へるさいはひなり。是得がたき理なれば、かかる人は世にありがたかるべし。才學ある人の、富み貴くして、さいはひ竝びぬるは、天のをしみ給ふ所にして、いと難き事になん。又天のかゝる人を貧賤にして苦め給へるは、其人によりて、其德を玉にせんとし給へる理も有りぬべし。才學において幸あらば、貧賤にして時にあはざる事を憂ふべからず。わが輩かゝる愚なる心もて、もし富貴にして、さかんに奢怠にならひなば、文學をきらひ、道に志なくして、樂なかるべし。しかれば自ら貧を甘じて、富貴をうらやむべからず。

新字:一わがともがら、経史にちぎりを結べるえにし深ければにや、ふみに対すれば、いつとなく又なく楽しくおもほゆるは、天よりさいはひを厚くくだし給へるなり。およそ天の物を生じ給ふこと、二ながら全からず、かれこれ足ひぬるは稀なり。故にこなたを得れば、必かなたを失ふ。たとへば花うるはしければ実よからず、実よければ花うるはしからざるが如し。又千葉の花には実なし。此故に、才学ある人は多くはまどし。才学ありて又富貴ならば、二ながら足へるさいはひなり。是得がたき理なれば、かかる人は世にありがたかるべし。才学ある人の、富み貴くして、さいはひ並びぬるは、天のをしみ給ふ所にして、いと難き事になん。又天のかゝる人を貧賤にして苦め給へるは、其人によりて、其徳を玉にせんとし給へる理も有りぬべし。才学において幸あらば、貧賤にして時にあはざる事を憂ふべからず。わが輩かゝる愚なる心もて、もし富貴にして、さかんに奢怠にならひなば、文学をきらひ、道に志なくして、楽なかるべし。しかれば自ら貧を甘じて、富貴をうらやむべからず。

書き下し

一わがともがら、経史にちぎりを結べるえにし深ければにや、ふみに対すれば、いつとなく又なく楽しくおもほゆるは、天よりさいはひを厚くくだし給へるなり。およそ天の物を生じ給ふこと、二ながら全からず、かれこれ足ひぬるは稀なり。故にこなたを得れば、必かなたを失ふ。たとへば花うるはしければ実よからず、実よければ花うるはしからざるが如し。又千葉の花には実なし。此故に、才学ある人は多くはまどし。才学ありて又富貴ならば、二ながら足へるさいはひなり。是得がたき理なれば、かかる人は世にありがたかるべし。才学ある人の、富み貴くして、さいはひ並びぬるは、天のをしみ給ふ所にして、いと難き事になん。又天のかかる人を貧賤にして苦め給へるは、其人によりて、其徳を玉にせんとし給へる理も有りぬべし。才学において幸あらば、貧賤にして時にあはざる事を憂ふべからず。わが輩かかる愚なる心もて、もし富貴にして、さかんに奢怠にならひなば、文学をきらひ、道に志なくして、楽なかるべし。しかれば自ら貧を甘じて、富貴をうらやむべからず。

現代語訳

私たちが経書や史書と縁を結ぶ縁が深いからでしょうか、書物に向かうといつも何とも言えず楽しく思われるのは、天が幸いを厚く下さったからです。およそ天が物を生み出すとき、二つとも完全にはせず、あれもこれも満ち足りることはまれです。だからこちらを得れば、必ずあちらを失います。たとえば花が美しければ実はよくなく、実がよければ花は美しくないようなものです。また八重の花には実がなりません。それゆえ才能と学問のある人は多くは貧しいのです。才学があってそのうえ富貴であれば、二つとも満ち足りた幸いです。これは得がたい道理なので、そういう人は世にめったにいないでしょう。才学ある人が富み貴く、幸いが並ぶのは、天が惜しまれるところで、とても難しいことです。また天がそうした人を貧賤にして苦しめるのは、その人によってその徳を玉のように磨こうとされる道理もあるのでしょう。才学において幸いがあるなら、貧賤で時勢に恵まれないことを憂えてはなりません。私たちのような愚かな心で、もし富貴になって盛んに驕りや怠りに慣れたなら、学問を嫌い、道に志がなくなって、楽しみがなくなるでしょう。だから自ら貧しさに甘んじて、富貴をうらやんではなりません。

解説

天は物を生むとき二つとも完全には与えない、花の美しいものは実が劣る、という益軒好みのたとえで、才学ある人が貧しいのは道理だと述べます。むしろ貧しさは天が徳を玉のように磨こうとしている試練かもしれず、自分がもし富貴なら驕りと怠りに流れて学問を捨てただろう、と自らを戒めています。福岡藩の儒者として質素に暮らした益軒らしい言葉です。収入や地位で人と比べて落ち込むとき、自分がすでに持っている学びの喜びを数え直す視点を与えてくれます。

この章句が説くこと

学問貧賤富貴天命足る

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