酔古堂剣掃 / 集醒・十年書を讀まざりしを恨む
早知窮達有命,恨不十年讀書。
新字:早知窮達有命,恨不十年読書。
書き下し
早く窮達に命有るを知らば、十年書を讀まざりしを恨む。
現代語訳
困窮するか栄達するかは天命によるものだと早くから知っていたなら、と思うと、十年間じっくり書物を読まなかったことが悔やまれます。
解説
出世に奔走した日々への悔いを、わずか十二字で述べた句です。窮達は、困窮と栄達、つまり世に埋もれることと出世することを言います。出世できるかどうかは結局のところ天命に左右されるのだと早く悟っていれば、あくせくと立ち回るより、十年かけて本を読んで自分を養ったほうがよかった、という嘆きです。努力しても報われるとは限らない出世と違い、読書で得たものは誰にも奪われません。昔の読書人の多くが科挙に一生を費やしたことを思うと、この嘆きには重みがあります。思い通りにできない結果に心を奪われるより、確実に自分の糧になることに時間を使う大切さを教えています。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
読書天命窮達学問後悔
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