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学則 / 学則七

夫六經殘缺矣。生於今世。孰見其全。命也。僻邑無師友。命也。家貧無書。命也。雖然。心誠求之。天其佑之。仕不優。無暇。命也。故己不能學者。喜人之學也。力能使人學者。使人學也。雖不學猶學也。何必才知德行出諸己。而後婾快乎。故命也者。不可如之何者也。故學而得其性所近。亦猶若是夫。達其財。成器以共天職。古之道也。故學寧爲諸子百家曲藝之士。而不願爲道學先生。

新字:夫六経残欠矣。生於今世。孰見其全。命也。僻邑無師友。命也。家貧無書。命也。雖然。心誠求之。天其佑之。仕不優。無暇。命也。故己不能学者。喜人之学也。力能使人学者。使人学也。雖不学猶学也。何必才知徳行出諸己。而後婾快乎。故命也者。不可如之何者也。故学而得其性所近。亦猶若是夫。達其財。成器以共天職。古之道也。故学寧為諸子百家曲芸之士。而不願為道学先生。

書き下し

夫れ六経は残欠す。今世に生まれて、孰か其の全きを見ん、命なり。僻邑に師友無し、命なり。家貧しくして書無し、命なり。然りと雖も、心誠に之を求むれば、天其れ之を佑けん。仕へて優ならず、暇無し、命なり。故に己れ学ぶこと能はざる者は、人の学ぶを喜ぶなり。力能く人をして学ばしむる者は、人をして学ばしむるなり。学ばずと雖も猶ほ学ぶがごとし。何ぞ必ずしも才知徳行己より出でて、而る後に婾快ならんや。故に命なる者は、之を如何ともすべからざる者なり。故に学びて其の性の近き所を得るも、亦た猶ほ是くのごときか。其の財を達し、器を成して、以て天職に共す、古の道なり。故に学は寧ろ諸子百家曲芸の士と為るも、道学先生と為るを願はず。

現代語訳

そもそも六経は欠けて不完全である。今の世に生まれて、誰がその全体を見ることができよう。それは天命である。辺鄙な土地に住んで師も友もいない、それも天命である。家が貧しくて書物がない、それも天命である。しかし、心から誠実に求めれば、天はきっと助けてくれるだろう。仕官して余裕がなく暇もない、それも天命である。だから自分で学べない者は、人が学ぶのを喜べばよい。人に学ばせる力のある者は、人に学ばせればよい。それは自分が学ばなくても学んでいるのと同じである。どうして才知や徳行が自分から出てこなければ満足できないことがあろうか。天命とは、どうすることもできないものである。だから学んで自分の性に近いものを身につけるのも、やはりこれと同じであろう。自分の才能を伸ばし、器を完成させて、天から与えられた職分に役立てる。それが古の道である。だから学問をするなら、むしろ諸子百家や一芸に秀でた者になるほうがよく、道学先生(朱子学者)にはなりたくない。

解説

『学則』の最終段である。六経は欠け、師も書も暇もないのは天命であり、どうにもならない。それでも誠に求めれば天は助けるし、自分が学べなければ人の学びを喜び、人に学ばせればよいと徂徠は言う。才知が自分から出なくても満足せよという言葉には、学問を独占しない度量がある。各自の器を成して天職に供するのが古の道であり、何でも語る道学先生より一芸に秀でた士たれ、という結びは痛快である。自分が全部できなくても、人を育て学ばせる立場の管理職にこそ響く一節である。

この章句が説くこと

天命学問天職人材器道学

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