楽訓 / 巻之下・読書
一凡讀書の樂は、色を好まずして悅ふかく、山林に入らずして心閑に、富貴ならずして心ゆたけし。此故に、人間の樂、是にかふるものなし。天地陰陽を以て道の法とし、古今天下を以て、心を遊ばしむる境界として、其おもむき至て大にひろき事、きはまりなし。一日書をよむの樂至れるかな。聖賢のふみを見て、其こゝろを得て樂むは、樂しき事の至なり。其次に、古の事をしるせる史には、我が國は神武天皇より今年まで二千三百七十年、もろこしは黃帝より今まで四千四百年の間の事をのせたり。此故に、からやまとの史を見れば、遠き古のあと、目のあたりに明かに見えて、我が身あたかも其世にあへる心地して、數千年のよはひをたもてるが如し。此樂もまた大なるかな。
新字:一凡読書の楽は、色を好まずして悦ふかく、山林に入らずして心閑に、富貴ならずして心ゆたけし。此故に、人間の楽、是にかふるものなし。天地陰陽を以て道の法とし、古今天下を以て、心を遊ばしむる境界として、其おもむき至て大にひろき事、きはまりなし。一日書をよむの楽至れるかな。聖賢のふみを見て、其こゝろを得て楽むは、楽しき事の至なり。其次に、古の事をしるせる史には、我が国は神武天皇より今年まで二千三百七十年、もろこしは黄帝より今まで四千四百年の間の事をのせたり。此故に、からやまとの史を見れば、遠き古のあと、目のあたりに明かに見えて、我が身あたかも其世にあへる心地して、数千年のよはひをたもてるが如し。此楽もまた大なるかな。
書き下し
一凡読書の楽は、色を好まずして悦ふかく、山林に入らずして心閑に、富貴ならずして心ゆたけし。此故に、人間の楽、是にかふるものなし。天地陰陽を以て道の法とし、古今天下を以て、心を遊ばしむる境界として、其おもむき至て大にひろき事、きはまりなし。一日書をよむの楽至れるかな。聖賢のふみを見て、其こころを得て楽むは、楽しき事の至なり。其次に、古の事をしるせる史には、我が国は神武天皇より今年まで二千三百七十年、もろこしは黄帝より今まで四千四百年の間の事をのせたり。此故に、からやまとの史を見れば、遠き古のあと、目のあたりに明かに見えて、我が身あたかも其世にあへる心地して、数千年のよはひをたもてるが如し。此楽もまた大なるかな。
現代語訳
およそ読書の楽しみは、色を好まなくても喜びが深く、山林に入らなくても心が静かで、富貴でなくても心が豊かになるものです。だから人の世の楽しみで、これに代えられるものはありません。天地陰陽を道の手本とし、古今天下を心を遊ばせる世界とするので、その趣は極めて大きく広く、限りがありません。一日書を読む楽しみは、なんとすばらしいことでしょう。聖賢の書を読み、その心を会得して楽しむのは、楽しいことの極みです。その次に、昔のことを記した歴史書には、我が国は神武天皇から今年まで二千三百七十年、中国は黄帝から今まで四千四百年の間のことが載っています。ですから日本と中国の歴史書を読めば、遠い昔の跡が目の前にはっきり見えて、自分があたかもその時代に生きているような心地がし、数千年の寿命を保っているかのようです。この楽しみもまた大きなものです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『都鄙問答』卷之一・都鄙問答ノ段答ふ、厚き志し過分の至りなり。先づ今日教へをなす志しを語らん。孟子曰く、人の道有るや、飽食煖衣、逸居して教へ無ければ、則ち禽獣に近し。聖人之を憂ふること有り、契をして司徒たらしめ、教ふるに人倫を以てす。父子親有り、君臣義有り、夫婦別有り、長幼序有り、朋友信有り、と。此の五つの者を能くするを学問の功とす。これにて古人の学と云ふ者を知るべし。論語学而の篇にも、大抵皆本を務むることを多くせり。人倫の大原は天に出でて、仁義礼智の良心よりなす。孟子又曰く、学問の道は他無し、其の放心を求むるのみ、と。此の心を知りて後に、聖人の行ひを見て法を取るべし。君の道を尽くし玉ふは堯にあり、孝の道を尽くし玉ふは舜にあり、臣の道を尽くし玉ふは周公にあり、学問の道を尽くし玉ふは大聖孔子なり。此れ皆孟子の所謂性のままにして、上下天地と流れを同じくす。
-
『都鄙問答』卷之一・都鄙問答ノ段多しと雖も亦奚を以て為さん、と。専対するは心なり。詩三百を誦するは文なり。和漢ともに小事を見て、大事を見る者少なし。陋しいかな文学に伐る。文芸も道の助けとなれば、舎つることにはあらず。愚、文学拙きを以て悔ゆといへども、民間に産まれ、家貧しくして学ぶべき暇なく、四十余の比より此の道に志す。如何して文学までに至るべき。只恥づべきは、何方へ一簡の饋るとも、文字に於いて誤ることぞ多かるべし。見る人これを用捨有らんことを願ふ。
-
『都鄙問答』卷之四・學者ノ行狀心得難キヲ問ノ段答ふ、いかにも書物を読むことにて候。然れども書物を読みて、書の心を知らざれば、学問とはいはず。聖人の書は、自ら心を含め玉ふ。其心を知るを学問と云ふ。然るに文字ばかりを知るは、一芸なるゆへに、文字芸者と云ふ。曰く、書を読むは同じくして、汝今分けて二つとするは、証あることに候や。
-
『翁問答』序志学の年より、心に守り身に行べき、道理を求め得まく思ひ立て、禅門教門の釈教を、年経て学ふと雖、其言詖遁にして其道偏僻なり、其法亦人倫日用の受用に便りあらざる故に儒門に入て四書五経の真教を受て、切磋琢磨を励ませ共、三隅を反せざる程の下愚なれば、開悟の自得難及、既に道に立可き年をも空しく打過ぬ、愚者の誤る習ひなれば性の拙き事を忘て、却て師範の其人に非ざるかと疑ひ、明哲の先学もがなと寤寐に忘れず、
-
『翁問答』序隣里に天君とて逸民とおぼしき老翁ありけると友の語りし儘訪ひたづねて、杖を取て見へける、我眼力伯楽ならねば、騏駑の分ちは知らざれ共、威儀いとけだかく、人相和厚にして謙遜なれば、俗儒の意気たくましく、口気たかぶるに違ひ心ならず慕しく敬れて暇の日は常に傍にと雖、心に問べき貯へなければ、只山賤の花に向へるに異らず門下に体充とて俊秀なる人有て、平日疑問論難止む時なし、傍にて聞と雖、我心の及ばぬ際は記憶すること不能、心の粗通する事あれば、退て倭語にて書付け遺忘に備へぬ、斯くして年を積りぬれば、箇条も数多になり、心に守り身に行べき道理も少し、開悟に似たる様にあれば、若し又我如きの愚者あらば、万一工夫の助けにも成る可きかと改めうつして、翁問答と題号して、巾笥にかくし置ける、言いやしく理きこへがたけれ共、有道に付て正す可き程の事ならねば、只愚者の書付けたる儘にして、翁の本意に違ふ処多くあるべし、若読人あらば、辞にて志をそこなはずば、我人の大幸たる可き乎。
-
『翁問答』下卷之本体充問曰、世俗のとりさたに、学問は物よみ坊主衆あるひは出家などのわざにして、士のしわざにあらず、学問すぎたる人はぬるくて武用の役に立がたしなど云て、士のうちに学問する人あれば却てそしりぬ、箇様のあやまりは何れの迷ひよりおこりたる事にておはしまし候や。師の曰、それは贋の学問はかり時めきて風俗あしく、衆生の心汚濁にそまりて、書物をよむばかりを学問と思ふより迷ひたる評判なり、それ学問は心のけがれを清め身のおこなひをよくするを本実とす、
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る