楽訓 / 巻之中・節序
一時節は、目に見えて早く立つとしも無けれど、日數かさなりゆけば、一年の過ぐるは程なし。人の一生を經るも、亦年やうやくかさなれば、老死にいたること遠からず。況や人の命は、いたりて危くして、朝夕を知らず、少壯といへど、老大に先だつ人多ければ、賴みなし。久しからざるうき世に、時のうつり行く事早ければ、あたら時日をむなしく過すべからず。
新字:一時節は、目に見えて早く立つとしも無けれど、日数かさなりゆけば、一年の過ぐるは程なし。人の一生を経るも、亦年やうやくかさなれば、老死にいたること遠からず。況や人の命は、いたりて危くして、朝夕を知らず、少壮といへど、老大に先だつ人多ければ、頼みなし。久しからざるうき世に、時のうつり行く事早ければ、あたら時日をむなしく過すべからず。
書き下し
一時節は、目に見えて早く立つとしも無けれど、日数かさなりゆけば、一年の過ぐるは程なし。人の一生を経るも、亦年やうやくかさなれば、老死にいたること遠からず。況や人の命は、いたりて危くして、朝夕を知らず、少壮といへど、老大に先だつ人多ければ、頼みなし。久しからざるうき世に、時のうつり行く事早ければ、あたら時日をむなしく過すべからず。
現代語訳
時節は、目に見えて早く過ぎるわけでもありませんが、日数が重なっていくと、一年が過ぎるのはすぐです。人が一生を過ごすのも、また年がしだいに重なれば、老いと死に至るのは遠くありません。まして人の命はたいそう危うくて、朝夕もわかりません。若く壮健だといっても、年寄りより先に亡くなる人も多いので、頼みにはなりません。長くないこの世で、時の移り行くのが早いのだから、惜しい時日をむなしく過ごしてはいけません。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『楽訓』巻之上・総論一人の命は限りあり、ひいて長くしがたし。限りある命の内の光陰ををしみ、楽みて月日を送るべし。しばしが間も、益なき事をなし、ひが事を行ひ、楽まずして、空しく過すべからず。況やうれひ苦み、怒りかなしみて、楽を失ふは、愚なり。なす事なく楽まずして、月日を空しく過さば、千年を経ともかひ無かるべし。
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『楽訓』巻之中・節序一冬の末つ方にも至りぬれば、今年の日かず残りすくなく、暦の軸あらはるるばかりにて、春のとなり既に近し。年の終るはをしむべく、齢のかさなるはうれはしけれど、新しき年を迎ふるは、珍かにて喜ぶべし。此ころは、世の中の人何くれといそがはしせきあへず、おほくののしりて、走りまどふを、ひとり静かに見る人は、楽むべし。一年は、はかなき夢の心地して過ぎぬれば、あとをかへり見て、せちに名残をしむべし。老の身は、月日もいとどたちやすく、何ほどもなき一年なるを、数へ添るもうらめし。されど人の世をふるは、思はずも変多き事なるを、一年の内、わざはひなくて過ぎぬる人は、また楽しからずや。春秋の暮行くだに、名残をしむべし。
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『楽訓』巻之上・総論一幼より、壮になり、老にいたり、衰へて死にいたるまで、百とせのよはひも、亦いくほどなし。人の世にある事、仮にやどれる旅人のごとし。東坡の詩に、一年は一夢の如く、百歳は真に過客なりといへるもむべなり。かく短き此世なれば、無用の事をなして時日をうしなひ、或はいたづらに為す事なくて此世暮れなんこと、をしむべし。つねに時日ををしみ、益ある事をなし、善をする事を楽みて過さんこそ、世に生けらんかひあるべけれ。
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『楽訓』巻之上・総論一人もしいとまあらば、心のどけく閑にし、日を永くして、いそがはしかるべからず。殊に老ては残れる齢やうやく少なく、時節のすぐる事殊に早ければ、時刻ををしみて、一日を以て十日とし、一月を以て一年とし、一年を以て十年として楽むべし。楽まずしてあだに月日を暮して、後に悔ゆべからず。
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『楽訓』巻之上・総論一梓弓はる立ちしより、年の暮れ行くまで、射るが如くにおもほゆれば、時日のはやく過ぎ行くは、止めあへず。むべもとしと名づけ、又ときと言へるならん。されば光陰箭の如く、時節流るるが如しといへるも、うける事にあらず。老にむかへば、猶更に年月の早く過ぐること、あたかも飛ぶが如し。あとをかへり見れば、五十のよはひを過来しも、さのみ久しからず。たとひ五十の後、又五十のよはひを経て、百年にいたるとも、猶行先の月日いよいよ早くして、ほどなく尽きなんこと、思ひやられ侍る。いくほどなき残れる齢を、たのしみてこそ過さまほしけれ。うれひ苦みて、むなしく過ぎなんは、いと愚なりや。としどしに花は相似たれど、としどしに人は同じからず。老かさなれば、一とせの内にも、やうやく衰へ行きて、今の昔にしかず、後の今にしかざる事を知りて、かねてより悔なからん事をおもひ、時日ををしみ、一日もいたづらに過すべからず。今日暮れて明日もありとて頼むべからず。今日の日の内を、日々にをしむべし。
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『楽訓』巻之下・後論一つくづくと思へば、楽おほき此世なるを、道を知らざれば、我と心をくるしめ、天をうらみ、人をとがむ。かく道を知らでうれひおほき人は、くれまどふ心のやみこそむげに愚なりといふべけれ。人の身金石にあらず、生けるもの終に死なざるはなし。又二たび生れくる身にしあらざれば、此世なる間は、楽みてこそありぬべけれ。くやしく過しむかしの事は、すべきやうなし。いくばくならぬ齢なれば、今よりのち、一日も早く日月ををしみ、先のひが事をくいて、飛驒たくみうつ墨なはにあらねども、唯一すぢに善をこのみ、道を楽みて過ぐさんこそ、此世に生けるかひあるべけれ。年老いては、同じことするならひなれば、あまのたくなはくりかへし、かくいひいひて、たまくしげあけくれ自ら心をいましめ、又人に楽をすすむるなかだちとするならし。かへすがへす、われも人も、かく生れつる楽を知らで、身をいたづらになし、さてもかひなく世に朽ちなん事うらむべし。もし朝に道を聞けらば、人となれるかひありて、夕に死ぬとも、また何をかうらみんや。
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