楽訓 / 巻之中・節序
一凡一とせの内、梅の咲きそめしより、菊にうつるまで、いくいろの花の盛にあひきつつ、なれて見しや、數知らず。此をりをりの樂も、亦思出少なからず。一秋は陰氣のなれる初なれば、空きよう澄みわたり、高くほがらかにして、月日の光明けく、四方にかへり見るに、茫々として廣く、風いとはだ涼しく吹き、其けしき人の心にしみて、感ぜしむること深し。春は唯花のひとへにさくばかり、物のあはれは秋ぞまされる。とよみしも、時にしたがひては、理にこそ聞ゆめれ。
新字:一凡一とせの内、梅の咲きそめしより、菊にうつるまで、いくいろの花の盛にあひきつつ、なれて見しや、数知らず。此をりをりの楽も、亦思出少なからず。一秋は陰気のなれる初なれば、空きよう澄みわたり、高くほがらかにして、月日の光明けく、四方にかへり見るに、茫々として広く、風いとはだ涼しく吹き、其けしき人の心にしみて、感ぜしむること深し。春は唯花のひとへにさくばかり、物のあはれは秋ぞまされる。とよみしも、時にしたがひては、理にこそ聞ゆめれ。
書き下し
一凡一とせの内、梅の咲きそめしより、菊にうつるまで、いくいろの花の盛にあひきつつ、なれて見しや、数知らず。此をりをりの楽も、亦思出少なからず。一秋は陰気のなれる初なれば、空きよう澄みわたり、高くほがらかにして、月日の光明けく、四方にかへり見るに、茫々として広く、風いとはだ涼しく吹き、其けしき人の心にしみて、感ぜしむること深し。春は唯花のひとへにさくばかり、物のあはれは秋ぞまされる。とよみしも、時にしたがひては、理にこそ聞ゆめれ。
現代語訳
およそ一年のうち、梅が咲き始めてから菊に移るまで、幾種類もの花の盛りに出会い続けて、見慣れてきたことは数知れません。この折々の楽しみも、また思い出が少なくありません。秋は陰気が成る初めなので、空は清く澄みわたり、高く晴れやかで、月日の光は明るく、四方を振り返って見ると、果てしなく広く、風はたいそう肌に涼しく吹き、その景色は人の心にしみて、深く感じさせます。「春は唯花のひとへにさくばかり、物のあはれは秋ぞまされる(春はただ花が一面に咲くだけで、物のあわれは秋の方がまさっている)」と詠んだのも、時節によっては道理にかなって聞こえます。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『楽訓』巻之中・節序四時ともに思出おほき此世なれど、取わき秋の月は、見ざらん後の世の光までも思ひやられ侍る。秋も半すぎ行けば、大空に、はつ鴈がねのつらなりて鳴き渡るも、亦めづらし。花は春とこそいへれど、秋もまた花おほかめる。殊さら野べにたてる秋草の、名も知らぬ花ども、おほく草むらにひもとき、錦をさらすが如く見ゆれば、秋の野いとましめづらし。秋の花の、久しきに堪へて散りがてなるは、春の花の見る程もなくて、早く散りぬるにまされり。およそ花のいとけやけきは、春は梅、桜桃李、海棠など、木々の花多きは、陽気はまづ空にのほれる故にや。秋は萩、女郎花、尾花、葛花、なでしこ、ふぢばかま、あさがほ、此七草の外、桔梗、りんだうなど、くさぐさの花猶も多かり。
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『楽訓』巻之中・節序一もろこしの人は、一とせの内、ことに春をめでて、ふみにも春を賞せし詞多し。我が国の人は、昔より秋に心をそめける。此争、いにしへ我が国の人、ふみにも多くあらはせり。春秋のことわり、陰陽ことなれど、其景色は何れもすぐれてめでたければ、此あらそひは、いみじき賢哲といふとも、わかちがたかるべし。況や人の心同じからざること、其面の如くなれば、其本性の好みによつて、春秋のおとりまさりありぬべし。我輩の心は、時につけつつ移り行けば、いづれをまされりと定めがたし。花紅葉の散れるも、いづれまさりて惜しと云ひがたし。
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『楽訓』巻之中・節序一長月の末になりぬれば、秋の花みな衰へ、虫の音も鳴きかれて、紅葉やうやう色づきぬれば、秋の暮れ行く物思も亦ふかし。秋は唯今日ばかりぞと眺むるも、名残いとをしむべし。春の尽くるにくらぶれば、草も木も、やうやう枯れはてて、行末の景色まで思ひやられて寂し。
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『楽訓』巻之中・節序秋はまづ陰気下へくだれる故ならずや。なでしこ、春は唯ひとつ草とのみ見ゆれど、夏より咲きそめて、秋の色をあらはせるは、唐のやまとの、いろいろの花ぞ咲くめる。長月の比は、秋の花も過ぎ、紅葉もまだしき折なるに、菊は百花におくれて、ひとり晩節をたもち、霜にほこりて、操の色をあらはし、なべての花に、時を異にするのみならず、色形匂ともに、殊にすぐれてあてやかなれば、此時もし花多くとも、わきてあはれむべきに、秋の末にひとり盛なれば、折にあひて、いとめでたし。元稹が菊を詠じて、是れ花の中に偏へに菊を愛するにあらず、此の花開き尽くれば更に花無しといへりしは、菊をめでし心猶うすし。此花万葉集にのらず。古今集には詠じたれば、奈良の御時まで、いまだ唐より来らざりしこと、今さら古を思ひやるにも、猶ことたらず、恨多し。
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『楽訓』巻之中・節序春の花は、いづれとなく開け出づる色、ことに目おどろかれぬるに、心みじかくて早く散りぬるはうらめし。九十の春光はいとながけれど、何くれと紛はし風雨も亦しげければ、為す事なく、はかなく過ぎて、とどめあへぬ春のかぎりの、けふの日の夕ぐれにさへなりぬ。落花寂々たる黄昏の時は、春の名残いとをしむべし。蘇子瞻が、青雲還一夢といへる、むべなるかな。吾がともがら、うき世のちりも、吾が心のきたなきも、花見るほどは忘られしに、今より後は如何せん。かかる折にふれては、殊更時の早く過ぎて、失ひやすき事、思ひ知られぬ。老いぬれば、今幾年か花もあひ見んと思へば、春の惜しさはいやまさりぬ。いとせめて樽酒余春を楽みて、老の憂を忘るべし。
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『楽訓』巻之中・節序すべて春の景色は、一とせの内すぐれていと艶なり。其うるはしきありさま、言ひつくすべくもあらねば、かかる拙き詞には、この片端だにかたはらいたし。雨風に花はあとなくなりはてて、空しき枝をのみ形身と見ぬれど、猶春の色は空に残りて、面影去らぬも、情ふかし。藤は又春にひとり立ちおくれ、夏に咲きかかりて、傍にならぶ花なければにや、ひとへに興ある様に見えて、春にわかれし物思も、すこし忘らるる心地ぞし侍る。
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