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楽訓 / 巻之中・節序

屈子が離騒に、梅を忘れし類なるべし。老杜が海棠を詠ぜざりしは、禮にかなへれば恨なし。菊は品たかくて、世はなれたる花なればにや、これを好む人すくなし。牡丹は富貴なる物なれば、近俗のますます耽ること、むべなり。歐陽子が、人の心は、其好むところを以て知るべしといへる、げにさる事ぞかし。

新字:屈子が離騒に、梅を忘れし類なるべし。老杜が海棠を詠ぜざりしは、礼にかなへれば恨なし。菊は品たかくて、世はなれたる花なればにや、これを好む人すくなし。牡丹は富貴なる物なれば、近俗のますます耽ること、むべなり。欧陽子が、人の心は、其好むところを以て知るべしといへる、げにさる事ぞかし。

書き下し

屈子が離騒に、梅を忘れし類なるべし。老杜が海棠を詠ぜざりしは、礼にかなへれば恨なし。菊は品たかくて、世はなれたる花なればにや、これを好む人すくなし。牡丹は富貴なる物なれば、近俗のますます耽ること、むべなり。欧陽子が、人の心は、其好むところを以て知るべしといへる、げにさる事ぞかし。

現代語訳

それは屈原が『離騒』で梅を詠み忘れたのと同じ類でしょう。杜甫が海棠を詠まなかったのは、礼にかなっているので恨みはありません。菊は品格が高くて、俗世を離れた花だからでしょうか、これを好む人は少ないのです。牡丹は富貴の象徴なので、近頃の世俗がますますこれにふけるのももっともです。欧陽脩が「人の心は、その好むところで知ることができる」と言ったのは、まことにそのとおりです。

解説

前段の菊の話を受けて、好む花に人柄が表れると説く短い段です。屈原の『離騒』に梅が出てこないことを、万葉集に菊がないのと同じ惜しさとして挙げます。杜甫が海棠を詠まなかったのは母の名を避けたためと伝えられ、礼にかなうので恨まないと言うのでしょう。品格の高い菊を好む人は少なく、富貴の象徴である牡丹に世間が夢中になるのは当然だと皮肉を込め、欧陽脩の言葉で結びます。何を好み何に心を惹かれるかは、その人の価値観を映します。自分の好みを見つめ直すきっかけになる一節です。

この章句が説くこと

菊牡丹心人柄好み

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