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楽訓 / 巻之中・節序

春の花は、いづれとなく開け出づる色、ことに目おどろかれぬるに、心みじかくて早く散りぬるはうらめし。九十の春光はいとながけれど、何くれと紛はし風雨も亦しげければ、爲す事なく、はかなく過ぎて、とゞめあへぬ春のかぎりの、けふの日の夕ぐれにさへなりぬ。落花寂々たる黃昏の時は、春の名殘いとをしむべし。蘇子瞻が、靑雲還一夢といへる、むべなるかな。吾がともがら、うき世のちりも、吾が心のきたなきも、花見るほどは忘られしに、今より後は如何せん。かゝる折にふれては、殊更時の早く過ぎて、失ひやすき事、思ひ知られぬ。老いぬれば、今幾年か花もあひ見んと思へば、春の惜しさはいやまさりぬ。いとせめて樽酒餘春を樂みて、老の憂を忘るべし。

新字:春の花は、いづれとなく開け出づる色、ことに目おどろかれぬるに、心みじかくて早く散りぬるはうらめし。九十の春光はいとながけれど、何くれと紛はし風雨も亦しげければ、為す事なく、はかなく過ぎて、とゞめあへぬ春のかぎりの、けふの日の夕ぐれにさへなりぬ。落花寂々たる黄昏の時は、春の名残いとをしむべし。蘇子瞻が、青雲還一夢といへる、むべなるかな。吾がともがら、うき世のちりも、吾が心のきたなきも、花見るほどは忘られしに、今より後は如何せん。かゝる折にふれては、殊更時の早く過ぎて、失ひやすき事、思ひ知られぬ。老いぬれば、今幾年か花もあひ見んと思へば、春の惜しさはいやまさりぬ。いとせめて樽酒余春を楽みて、老の憂を忘るべし。

書き下し

春の花は、いづれとなく開け出づる色、ことに目おどろかれぬるに、心みじかくて早く散りぬるはうらめし。九十の春光はいとながけれど、何くれと紛はし風雨も亦しげければ、為す事なく、はかなく過ぎて、とどめあへぬ春のかぎりの、けふの日の夕ぐれにさへなりぬ。落花寂々たる黄昏の時は、春の名残いとをしむべし。蘇子瞻が、青雲還一夢といへる、むべなるかな。吾がともがら、うき世のちりも、吾が心のきたなきも、花見るほどは忘られしに、今より後は如何せん。かかる折にふれては、殊更時の早く過ぎて、失ひやすき事、思ひ知られぬ。老いぬれば、今幾年か花もあひ見んと思へば、春の惜しさはいやまさりぬ。いとせめて樽酒余春を楽みて、老の憂を忘るべし。

現代語訳

春の花は、どれもこれも咲き出す色に特に目を見張らされるのに、心短く早く散ってしまうのは恨めしいものです。九十日の春の光はたいそう長いのですが、あれこれと紛れ、風雨もまた多いので、することもなく、はかなく過ぎて、止めることのできない春の終わりの今日の日の夕暮れにさえなってしまいました。花が静かに散る黄昏の時は、春の名残をたいそう惜しむべきです。蘇子瞻(蘇軾)が「青雲還た一夢」と言ったのは、もっともなことです。私たちは、浮き世の塵も、わが心の汚れも、花を見ている間は忘れていたのに、これから後はどうしたらよいでしょう。このような折にふれると、ことさら時が早く過ぎて失いやすいことを思い知らされます。年をとったので、あと何年花を見られるだろうと思うと、春の惜しさはますます増します。せめて樽の酒で残りの春を楽しんで、老いの憂いを忘れるべきです。

解説

春の終わりを惜しむ段で、81歳の益軒自身の実感がにじみます。九十日もある春が、雑事と風雨にまぎれてあっという間に過ぎるという嘆きは、誰にも覚えがあるでしょう。花を見ている間は世の塵も心の汚れも忘れられた、と自然の癒やしの力を語り、老いてあと何度花を見られるかと思うと春が一層惜しいと述べます。それでも嘆きに沈まず、残りの春を酒で楽しみ、老いの憂いを忘れよと結ぶのが楽訓らしいところです。過ぎていく時間を惜しむ気持ちを、今を楽しむ力に変える知恵がここにあります。

この章句が説くこと

楽しみ老い時間春憂い

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