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楽訓 / 巻之中・節序

すべて春の景色は、一とせの内すぐれていと艶なり。其うるはしきありさま、言ひつくすべくもあらねば、かゝる拙き詞には、この片端だにかたはらいたし。雨風に花はあとなくなりはてゝ、空しき枝をのみ形身と見ぬれど、猶春の色は空に殘りて、面影去らぬも、情ふかし。藤は又春にひとり立ちおくれ、夏に咲きかゝりて、傍にならぶ花なければにや、ひとへに興ある樣に見えて、春にわかれし物思も、すこし忘らるゝ心地ぞし侍る。

新字:すべて春の景色は、一とせの内すぐれていと艶なり。其うるはしきありさま、言ひつくすべくもあらねば、かゝる拙き詞には、この片端だにかたはらいたし。雨風に花はあとなくなりはてゝ、空しき枝をのみ形身と見ぬれど、猶春の色は空に残りて、面影去らぬも、情ふかし。藤は又春にひとり立ちおくれ、夏に咲きかゝりて、傍にならぶ花なければにや、ひとへに興ある様に見えて、春にわかれし物思も、すこし忘らるゝ心地ぞし侍る。

書き下し

すべて春の景色は、一とせの内すぐれていと艶なり。其うるはしきありさま、言ひつくすべくもあらねば、かかる拙き詞には、この片端だにかたはらいたし。雨風に花はあとなくなりはてて、空しき枝をのみ形身と見ぬれど、猶春の色は空に残りて、面影去らぬも、情ふかし。藤は又春にひとり立ちおくれ、夏に咲きかかりて、傍にならぶ花なければにや、ひとへに興ある様に見えて、春にわかれし物思も、すこし忘らるる心地ぞし侍る。

現代語訳

すべて春の景色は、一年のうちで特に優れて艶やかです。その麗しい有様は言い尽くせるものではないので、このような拙い言葉では、その片端を言うのさえ気恥ずかしいことです。雨風に花は跡形もなくなり果てて、空しい枝だけを形見と見るけれども、なお春の色は空に残って、面影が去らないのも情け深いことです。藤はまた春に一人遅れて夏にかかって咲き、傍らに並ぶ花がないからでしょうか、ひときわ趣があるように見えて、春に別れた物思いも少し忘れられる心地がいたします。

解説

春の段を締めくくる一節です。益軒は春の美しさは自分の拙い言葉では片端も言い尽くせないと謙遜しつつ、花が散った後の枝にも、空に残る春の気配にも心を寄せています。そして季節の境目に咲く藤を、並ぶ花がないからこそ趣深いと見て、春を惜しむ寂しさを慰めてくれるものとしています。終わったものの名残を大切にし、次に来るものに目を移すこの感じ方は、別れや節目の多い人生において、喪失の悲しみを和らげる心の持ち方として参考になります。

この章句が説くこと

楽しみ春藤名残心

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