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楽訓 / 巻之中・節序

宿わかず、賤しきちまたをも同じく照らせる、いとめでたし。年々に、月と花とをあくまで見るは、まことに思出おほき此世なりと云ふべし。あたら夜の月なれば、同じくは、心知れらん人と共に見んこそ本意なれど、同じ心に見ゆる人稀なれば、西行が、ひとりぞ月は見るべかりけるとよめるも、むべなり。もろこしの人も、秋月は俗士と見るべからずといへり。李白は、今人は古時の月を見ずといへれど、むかし世々の人の眺め來しも、此月なれば、古人のかたみとなれるも、昔おぼえて忍ばし。古今の人の世をさり行くは、流水の行きてかへらざるが如し。唯月の光のみ、古今かはる事なきこそ、こよなうめでたく貴ふべけれ。月の梧桐の上にいたり、風の楊柳の邊に來るは、心を洗ひ興をもよほして、えもいはぬ快き折ふしなり。

新字:宿わかず、賤しきちまたをも同じく照らせる、いとめでたし。年々に、月と花とをあくまで見るは、まことに思出おほき此世なりと云ふべし。あたら夜の月なれば、同じくは、心知れらん人と共に見んこそ本意なれど、同じ心に見ゆる人稀なれば、西行が、ひとりぞ月は見るべかりけるとよめるも、むべなり。もろこしの人も、秋月は俗士と見るべからずといへり。李白は、今人は古時の月を見ずといへれど、むかし世々の人の眺め来しも、此月なれば、古人のかたみとなれるも、昔おぼえて忍ばし。古今の人の世をさり行くは、流水の行きてかへらざるが如し。唯月の光のみ、古今かはる事なきこそ、こよなうめでたく貴ふべけれ。月の梧桐の上にいたり、風の楊柳の辺に来るは、心を洗ひ興をもよほして、えもいはぬ快き折ふしなり。

書き下し

宿わかず、賤しきちまたをも同じく照らせる、いとめでたし。年々に、月と花とをあくまで見るは、まことに思出おほき此世なりと云ふべし。あたら夜の月なれば、同じくは、心知れらん人と共に見んこそ本意なれど、同じ心に見ゆる人稀なれば、西行が、ひとりぞ月は見るべかりけるとよめるも、むべなり。もろこしの人も、秋月は俗士と見るべからずといへり。李白は、今人は古時の月を見ずといへれど、むかし世々の人の眺め来しも、此月なれば、古人のかたみとなれるも、昔おぼえて忍ばし。古今の人の世をさり行くは、流水の行きてかへらざるが如し。唯月の光のみ、古今かはる事なきこそ、こよなうめでたく貴ふべけれ。月の梧桐の上にいたり、風の楊柳の辺に来るは、心を洗ひ興をもよほして、えもいはぬ快き折ふしなり。

現代語訳

月は宿を選ばず、賤しい町の辻をも同じように照らしているのは、たいそう結構なことです。毎年、月と花を存分に見られるのは、まことに思い出の多いこの世と言うべきです。惜しい夜の月なので、同じことなら心を知り合った人と一緒に見たいのが本意ですが、同じ心で見る人は稀なので、西行が「ひとりぞ月は見るべかりける」と詠んだのももっともです。中国の人も「秋の月は俗人と見るべきではない」と言いました。李白は「今の人は古の月を見ない」と言いましたが、昔から代々の人が眺めてきたのもこの月なので、古人の形見となっているのも、昔が偲ばれて慕わしいものです。古今の人がこの世を去っていくのは、流れる水が行って帰らないようです。ただ月の光だけは古今変わることがないのこそ、この上なく結構で貴ぶべきです。月が梧桐の上に至り、風が楊柳のあたりに来るのは、心を洗い興を催して、何とも言えない快いひとときです。

解説

月を通して古今を思う段です。月が貧しい町も等しく照らすことを讃え、友と見たいが心を同じくする人は稀なので、西行のように一人で見るのもよいと言います。李白の「把酒問月」の「今人不見古時月」を踏まえ、昔の人が見たのもこの同じ月だから古人の形見だと受け止め直すところに、古典を読み継ぐ儒者益軒の心が表れています。人は流れる水のように去っていくが、月の光は変わらないという対比は、はかなさと永遠を同時に感じさせます。一人の時間にも、古人とつながる楽しみを見出せるという教えです。

この章句が説くこと

楽しみ月孤独古典無常

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