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楽訓 / 巻之中・節序

門田の稻葉朝露にうるほひ、夕の風おとづれてそよぐけしき、殊更早稻晩禾の先立ちおくれて、穗に出でたるありさま、皆見るに堪へたる眺なり。秋の最中になりぬれば、一年を經て待ち得たる月明けきは、凡あめつちの間に竝なきついでひとつの見ものなれば、よろづのうるはしき景物は、皆其下なるべし。このゆふべ此景にあへるこそ、うき世の中の面白さもあはれさも、殘らぬ折なれ。年のはに、一とせの内、月ごとに上の弓張より、居まちの比まで、空はれぬれば、夜ごとに心を樂ましめ、目を悅ばしむる事、さらに數なし。ことさら三秋の間、折々のいみじき光を、年ごとに心にまかせて見る事、まことに福おほき此世なり。およそ天が下の君は、八すみをしろしめして、天地は皆其領し給へる國の內なれど、賤しきわが輩まで、天つみ空に唯ひとつかゝれる月を、己がものとして、恣にあふぎ見るも、いともかしこく、身にし餘りて、いみじき幸なり。

新字:門田の稲葉朝露にうるほひ、夕の風おとづれてそよぐけしき、殊更早稲晩禾の先立ちおくれて、穂に出でたるありさま、皆見るに堪へたる眺なり。秋の最中になりぬれば、一年を経て待ち得たる月明けきは、凡あめつちの間に並なきついでひとつの見ものなれば、よろづのうるはしき景物は、皆其下なるべし。このゆふべ此景にあへるこそ、うき世の中の面白さもあはれさも、残らぬ折なれ。年のはに、一とせの内、月ごとに上の弓張より、居まちの比まで、空はれぬれば、夜ごとに心を楽ましめ、目を悦ばしむる事、さらに数なし。ことさら三秋の間、折々のいみじき光を、年ごとに心にまかせて見る事、まことに福おほき此世なり。およそ天が下の君は、八すみをしろしめして、天地は皆其領し給へる国の内なれど、賤しきわが輩まで、天つみ空に唯ひとつかゝれる月を、己がものとして、恣にあふぎ見るも、いともかしこく、身にし余りて、いみじき幸なり。

書き下し

門田の稲葉朝露にうるほひ、夕の風おとづれてそよぐけしき、殊更早稲晩禾の先立ちおくれて、穂に出でたるありさま、皆見るに堪へたる眺なり。秋の最中になりぬれば、一年を経て待ち得たる月明けきは、凡あめつちの間に並なきついでひとつの見ものなれば、よろづのうるはしき景物は、皆其下なるべし。このゆふべ此景にあへるこそ、うき世の中の面白さもあはれさも、残らぬ折なれ。年のはに、一とせの内、月ごとに上の弓張より、居まちの比まで、空はれぬれば、夜ごとに心を楽ましめ、目を悦ばしむる事、さらに数なし。ことさら三秋の間、折々のいみじき光を、年ごとに心にまかせて見る事、まことに福おほき此世なり。およそ天が下の君は、八すみをしろしめして、天地は皆其領し給へる国の内なれど、賤しきわが輩まで、天つみ空に唯ひとつかかれる月を、己がものとして、恣にあふぎ見るも、いともかしこく、身にし余りて、いみじき幸なり。

現代語訳

門前の田の稲葉が朝露にうるおい、夕風が訪れてそよぐ景色、とりわけ早稲と晩稲が先に後にと穂を出している有様は、みな見るにたえる眺めです。秋の最中になると、一年を経て待ち得た月の明るいのは、およそ天地の間に並ぶもののない、一年に一度の見ものなので、あらゆる美しい景物はみなその下になるでしょう。この夕べこの景色に出会うことこそ、浮き世の面白さもあわれさも残らず味わえる折です。年ごとに、一年のうち月ごとに上弦の頃から居待ち月の頃まで、空が晴れれば、夜ごとに心を楽しませ目を喜ばせることは、さらに数え切れません。ことに秋の三か月の間、折々のすばらしい月の光を、毎年心のままに見られるのは、まことに福の多いこの世です。およそ天下の君主は八方を治め、天地はみなその領する国の内ですが、賤しい私たちまで、大空にただ一つかかっている月を、自分のものとして心のままに仰ぎ見られるのも、たいそう畏れ多く、身に余る幸せです。

解説

中秋の名月を讃える段です。実る稲穂から名月へと目を移し、年に一度の月を「天地の間に並びなき見もの」と言います。天下は君主の領地であっても、空の月は身分の低い者でも自分のものとして仰ぎ見られると述べ、それを身に余る幸せと感じる心が楽訓の核心です。益軒は福岡藩の儒者として仕えた人ですが、ここでは富や地位と無関係に誰にでも開かれた楽しみを強調します。月を見上げるのにお金はかかりません。与えられている恵みに気づき、感謝することが幸福感の土台になるという教えです。

この章句が説くこと

楽しみ秋月感謝幸い

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