酔古堂剣掃 / 集倩・明月故人に減ぜず
幽堂晝密,清風忽來好伴;虛窗夜朗,明月不減故人。
新字:幽堂昼密,清風忽来好伴;虚窗夜朗,明月不減故人。
書き下し
幽堂晝密かにして、清風忽ち來たりて好伴となる。 虛窗夜朗らかにして、明月故人に減ぜず。
現代語訳
静かな部屋は昼もひっそりと閉ざされていますが、清らかな風がふとやってきてよい連れになってくれます。何もない窓辺は夜になると明るく、明月は古い友に少しも劣りません。
解説
一人暮らしの静けさの中で、風と月を友とする心を描いた一則です。幽堂は奥まった静かな部屋、昼密は昼でもひっそりと閉ざされていることです。人の訪れのない部屋に、清風がふいに入ってきて、よい連れになってくれるというのです。虚窓は何もさえぎるもののない窓、あるいはがらんとした部屋の窓で、夜朗は夜に明るく照らされていることです。故人は、今の日本語とは違い、古くからの友人を意味します。明るい月は、長年の友に少しも劣らない、心の通う相手だと言います。人と会わない日が続いても、自然の中に友を見いだせる人は孤独に負けません。窓を開けて風を入れ、夜には月を見上げるという小さな習慣が、一人の時間を豊かなものに変えてくれるでしょう。
この章句が説くこと
孤独清風月友閑適
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