楽訓 / 巻之上・総論
凡閑中つねに樂多し。いとまなき人も、をりをり閑を求めて、心をやしなふべし。心閑ならざれば、樂は得がたし。されど閑靜に專らにして、動作をきらふは、正道にあらず。心安く身閑にして、獨坐するも、また貧居の樂なり。世俗の宴遊をこのみ、さわがしき友多きにまされり。學好まざる人のとひ來ぬは、かへつて情あり。心なき人の、己がつれづれといとまあるまゝに、とひ來りて長居するはわびし。されどかゝる人を白眼にして見るはなさけなし。禮を失ふべからず。淸福といふ事あり。樂をこのめる人、必これを知るべし。是識者の樂む所にして、俗人は知らず。此故に、我が身に淸福を得て、大なる幸あれども、是を知りて樂める人まれなり。たとへば寳の山に入りても、寶を知らざれば、手を空しくして歸るが如し。
新字:凡閑中つねに楽多し。いとまなき人も、をりをり閑を求めて、心をやしなふべし。心閑ならざれば、楽は得がたし。されど閑静に専らにして、動作をきらふは、正道にあらず。心安く身閑にして、独坐するも、また貧居の楽なり。世俗の宴遊をこのみ、さわがしき友多きにまされり。学好まざる人のとひ来ぬは、かへつて情あり。心なき人の、己がつれづれといとまあるまゝに、とひ来りて長居するはわびし。されどかゝる人を白眼にして見るはなさけなし。礼を失ふべからず。清福といふ事あり。楽をこのめる人、必これを知るべし。是識者の楽む所にして、俗人は知らず。此故に、我が身に清福を得て、大なる幸あれども、是を知りて楽める人まれなり。たとへば宝の山に入りても、宝を知らざれば、手を空しくして帰るが如し。
書き下し
凡閑中つねに楽多し。いとまなき人も、をりをり閑を求めて、心をやしなふべし。心閑ならざれば、楽は得がたし。されど閑静に専らにして、動作をきらふは、正道にあらず。心安く身閑にして、独坐するも、また貧居の楽なり。世俗の宴遊をこのみ、さわがしき友多きにまされり。学好まざる人のとひ来ぬは、かへつて情あり。心なき人の、己がつれづれといとまあるままに、とひ来りて長居するはわびし。されどかかる人を白眼にして見るはなさけなし。礼を失ふべからず。清福といふ事あり。楽をこのめる人、必これを知るべし。是識者の楽む所にして、俗人は知らず。此故に、我が身に清福を得て、大なる幸あれども、是を知りて楽める人まれなり。たとへば宝の山に入りても、宝を知らざれば、手を空しくして帰るが如し。
現代語訳
およそ静かな暇の中には、いつも楽しみが多いものです。暇のない人も、折々に閑を求めて心を養うべきです。心が静かでなければ、楽しみは得がたいのです。しかし閑静ばかりにして、働くことを嫌うのは正しい道ではありません。心安く身は静かにして一人で座っているのも、また貧しい暮らしの楽しみです。世俗の宴や遊びを好み、騒がしい友が多いのにまさります。学問を好まない人が訪ねて来ないのは、かえって情けがあるというものです。心ない人が、自分の退屈と暇のあるのにまかせて訪ねて来て長居するのはわびしいものです。しかしそのような人を冷たい目で見るのは情けがありません。礼を失ってはなりません。清福ということがあります。楽しみを好む人は、必ずこれを知るべきです。これは識者の楽しむところで、俗人は知りません。ですから、自分の身に清福を得て大きな幸いがあっても、それを知って楽しむ人はまれです。たとえば宝の山に入っても、宝を知らなければ手をむなしくして帰るようなものです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『武士道』第六章 禮儀・礼道の要は心を練るにあり予も亦た、或はスペンサー氏の社会学論理法に倣ひて、我国の礼法の源頭に溯り、其由つて来れる進化の次第経路を繹ぬるを得ん。されどかくの如きは本書の任とする所にあらずして、予はただここに、礼を厳守することの含有せる徳育を主眼として、之を説かんとするものなり。既に云へるが如く、礼の道は精緻を極めて、委曲繊巧となりたるよりして、遂に作法を異にせる多岐の流派を生ずるに至りたりと雖、此等は要するに其大旨に於て、ついに帰を同じうせざるは無く、其極意は、小笠原流礼法の宗家たる小笠原清務氏の語る所によりて明かなり。曰く、『礼道の要は、心を練るにあり。礼を以て端坐すれば、兇人、剣を取りて向ふとも、害を加ふること能はず』と。
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『家道訓』巻之六・用財下一人におくり物するは、心を用ふべきことなり。すべてあしき物を贈るは、贈らざるにおとりてはづかし。魚のあざれ、肉のやぶれ、餅餌醬醢などのつくりなせる物、味変じ色あしく臭あしき、又菓など、いまだ熟せざる物の、時ならずして人に害あるもの、皆人に贈るべからず。贈物によりて人の心のうすきあつきあらはる。下部に任せてはうしろめたし。みづからえらぶべし。
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『五常訓』巻之四・礼一君子は、耳に非礼の音楽淫声をきかず。目に非礼なる見物を見ず。口に非礼の事をいはず。身に非礼のうごきをなさず。飲食を慎み、節にして過さず。皆是礼の制する所なり。一口の過なきより、身の過なきは難く、身の過なきより、心の過なき事は難し。三のもの、ともに礼を以て正さずんばあるべからず。
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『和俗童子訓』巻之一・総論上一礼は天地の常にして、人の則なり。即人の作法を云へり。礼なければ、人間の作法にあらず、禽獣に同じ。故に幼より礼をつつしみて守るべし。人のわざ、事ごとに皆礼あり。万の事、礼あればすぢめよくして行はれ易く、心も亦定りて安し。礼なければ、筋目違ひ乱れて行はれず、心も亦安からず。故に礼を行はずんばあるべからず。小児の時より、和礼の法に従ひて、立居振舞飲食酒茶の礼、拝礼など教ふべし。
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言志四録・言志後録 第百七十五条 物は人の心を以て心と為す物に心無し、人の心を以て心と為す。故に人の贈る所の物は、必ず其の人と気を同じくす。失意の人物を贈れば、物は失意を以て心と為す。豪奢の人物を贈れば、物は豪奢を以て心と為す。喪人物を贈れば、物は喪を以て心と為す。佞人物を贈れば、物は佞を以て心と為す。但だ名有るの贈遺は、受けざるを得ず。而れども其の物と其の心と感通すること是くの如くなれば、則ち我屑しとして受けざる所有り。唯だ君父の賜ふ所、正人君子の贈る所は、微物と雖も甚だ敬重するに足るのみ。
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『大和俗訓』巻之八・応接一凡人倫に交りて、其はじまる所の人、われに対し施し行へること、もし礼義にあたらずして、わが心に叶はずとも、人聖賢にあらざれば、事ごとに礼義にあたるべからず。是即凡人の常にして、古今天下の世の習はしぞと思ひなだめて、心に掛くべからず。いはんや恨み怒るべけんや。わが身さへ、我が思ふ如くに行ひがたし。何ぞ人われに施す所、わが心の如くならんや。わが身さへ道に違はずば、人の我に施すこと道にかなはざるは、わが身にあづからざる事なれば、心に掛くべからず。我がうれふべき事にあらず。人倫の内、我より位たかき君父と兄夫の、われに無礼なるは、言ふに及ばず、わが子弟臣僕のともがら、我よりいやしき者、我に礼義なくとも、礼ををしへ、其罪をいましむるは然るべし、心に掛けて、深く怒り恨むべからず。是わが身ををさめ人に交るに、みづから心を安くし、楽を失はずして、よく世にをるの道なり。
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