弁名 / 心志意
且心者動物也。故孔子曰。操則存。舍則亡。出入無時。莫知其郷。惟心之謂與。是言雖操則存。操之不可久。不得不舍。舍則亡。操之無益於存也。何則心者不可二者也。夫方其欲操心也。其欲操之者亦心也。心自操心。其勢豈能久哉。故六經論語。皆無操心存心之言。書曰。以禮制心。是先王之妙術。心不待操而自存。心不待治而自正。擧天下治心之方。莫以尙焉。後世儒者僅知心之可貴。而不知遵先王之道。妄作種種工夫。求以存其心。謬之大者也。學者思諸。
新字:且心者動物也。故孔子曰。操則存。舎則亡。出入無時。莫知其郷。惟心之謂与。是言雖操則存。操之不可久。不得不舎。舎則亡。操之無益於存也。何則心者不可二者也。夫方其欲操心也。其欲操之者亦心也。心自操心。其勢豈能久哉。故六経論語。皆無操心存心之言。書曰。以礼制心。是先王之妙術。心不待操而自存。心不待治而自正。挙天下治心之方。莫以尚焉。後世儒者僅知心之可貴。而不知遵先王之道。妄作種種工夫。求以存其心。謬之大者也。学者思諸。
書き下し
且つ心は動物なり。故に孔子曰く、「操れば則ち存し、舎つれば則ち亡ぶ。出入時無く、其の郷を知る莫し。惟れ心の謂か」と。是れ操れば則ち存すと雖も、之を操ること久しかるべからず、舎てざるを得ず、舎つれば則ち亡ぶを言ふ。之を操るも存するに益無し。何となれば則ち心は二つにすべからざる者なり。夫れ方に其の心を操らんと欲するや、其の之を操らんと欲する者も亦た心なり。心自ら心を操る、其の勢豈に能く久しからんや。故に六経・論語、皆操心存心の言無し。書に曰く、「礼を以て心を制す」と。是れ先王の妙術なり。心操るを待たずして自ら存し、心治むるを待たずして自ら正し。天下の心を治むるの方を挙ぐるに、以て焉より尚きは莫し。後世の儒者僅かに心の貴ぶべきを知りて、先王の道に遵ふを知らず、妄りに種種の工夫を作し、以て其の心を存せんことを求む。謬の大なる者なり。学者諸を思へ。
現代語訳
しかも心は動くものである。だから孔子は「握れば保たれ、手放せば失われる。出入りに時がなく、どこにいるのかわからない。これは心のことであろうか」と言った。これは、握れば保たれるといっても長くは握っていられず、手放さざるをえず、手放せば失われる、ということを言っている。握っても保つ役には立たない。なぜなら心は二つに分けられないものだからである。心を握ろうとするとき、握ろうとしているのもまた心である。心が自分で心を握るのだから、その勢いがどうして長続きしようか。だから六経や『論語』には、心を握る、心を保つという言葉はない。『書経』に「礼によって心を制する」とある。これこそ先王のすぐれた方法である。心は握らなくても自然に保たれ、治めなくても自然に正しくなる。天下の心を治める方法として、これにまさるものはない。後世の儒者は心が貴いことだけを知って、先王の道に従うことを知らず、みだりにさまざまな工夫をこしらえて心を保とうとした。大きな誤りである。学ぶ者はよく考えよ。
解説
この章句が説くこと
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