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楽訓 / 巻之上・総論

一天地に風雷の變あれども和氣を失はず、人に患難ありとも和樂を失ふべからず。人もし身は沈み、位みじかくなり、時世うつろひぬとも、天命を安じ、心を自ら寬くすべし。土御門院の御歌に、うき世にはかゝれとてこそ生れけめ、理知らぬわがなみだかな。又古歌に、うき事は世をふるほどの習ひぞと、思ひも知らで何なげくらん。又曰ならひぞと思ひなしてや慰まん、我が身ひとつのうき世ならねば。とよめるが如し。うき世に住めば、心にかなはざる事多し。是世のならひなり。いかなる大富貴なる幸あつき人も、身に病なく、いのち長く、親戚にうれひなく、五福そなはり、思ふ事心にかなへる人はまれなり。かゝる世のためしを知らで、世變のために心を苦むるは、愚なるかな。

新字:一天地に風雷の変あれども和気を失はず、人に患難ありとも和楽を失ふべからず。人もし身は沈み、位みじかくなり、時世うつろひぬとも、天命を安じ、心を自ら寛くすべし。土御門院の御歌に、うき世にはかゝれとてこそ生れけめ、理知らぬわがなみだかな。又古歌に、うき事は世をふるほどの習ひぞと、思ひも知らで何なげくらん。又曰ならひぞと思ひなしてや慰まん、我が身ひとつのうき世ならねば。とよめるが如し。うき世に住めば、心にかなはざる事多し。是世のならひなり。いかなる大富貴なる幸あつき人も、身に病なく、いのち長く、親戚にうれひなく、五福そなはり、思ふ事心にかなへる人はまれなり。かゝる世のためしを知らで、世変のために心を苦むるは、愚なるかな。

書き下し

一天地に風雷の変あれども和気を失はず、人に患難ありとも和楽を失ふべからず。人もし身は沈み、位みじかくなり、時世うつろひぬとも、天命を安じ、心を自ら寛くすべし。土御門院の御歌に、うき世にはかかれとてこそ生れけめ、理知らぬわがなみだかな。又古歌に、うき事は世をふるほどの習ひぞと、思ひも知らで何なげくらん。又曰ならひぞと思ひなしてや慰まん、我が身ひとつのうき世ならねば。とよめるが如し。うき世に住めば、心にかなはざる事多し。是世のならひなり。いかなる大富貴なる幸あつき人も、身に病なく、いのち長く、親戚にうれひなく、五福そなはり、思ふ事心にかなへる人はまれなり。かかる世のためしを知らで、世変のために心を苦むるは、愚なるかな。

現代語訳

天地に風や雷の変事があっても和やかな気を失わないように、人にも災難があっても和やかな楽しみを失ってはなりません。人がたとえ身を落とし、位が低くなり、時世が移り変わっても、天命に安んじて、心を自らゆったりと保つべきです。土御門院の御歌に「うき世にはかかれとてこそ生れけめ、理知らぬわがなみだかな(つらい世にはこうあれと思って生まれてきたのだろうに、その道理を知らずに流れる私の涙よ)」とあります。また古歌に「うき事は世をふるほどの習ひぞと、思ひも知らで何なげくらん(つらいことは世を生きる限りの習いだと悟らずに、何を嘆くのだろう)」とあり、また「ならひぞと思ひなしてや慰まん、我が身ひとつのうき世ならねば(それが世の習いだと思って慰めよう、自分一人だけのつらい世ではないのだから)」と詠んだようなものです。つらい世に住めば、心にかなわないことが多いものです。これが世の習いです。どんな大富貴で幸いの厚い人でも、身に病がなく、命が長く、親戚に憂いがなく、五福がそろい、思うことが心にかなう人はまれです。こうした世の例を知らずに、世の変化のために心を苦しめるのは愚かなことです。

解説

土御門院は鎌倉時代の天皇で、承久の乱の後に自ら土佐へ移られた方です。その御歌を引いて、益軒はつらいことは世の習いであり、自分一人のものではないと説きます。『書経』洪範篇の五福(長寿・富・健康・徳を好む・天寿を全うする)がすべてそろう人はまれだという指摘も、慰めになります。思いどおりにならない出来事に出会ったとき、「これも世の習い」と受け止められると、心の和らぎを失わずにすみます。嘆きを否定せず、しかし引きずらない知恵です。

この章句が説くこと

天命憂い和楽和歌五福

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