楽訓 / 巻之上・総論
一小人の、われに思ひかけぬ惡しきしわざを爲して、情なく、ひが事を施せる横逆の者あるも、また昔よりおほき世の習なれば、衆人はさこそ有るべけれと思ひやりて、うらみ怒るべからず。堯舜の聖も、我が子の不肖なるを如何ともしがたし。我が子弟親戚など敎へても從はずんば、責め咎めて、和を失ふべからず。人の生れつきて不肖なるも、我が身の斯る人にあひて不幸なるも、皆天命なれば、自ら苦み、人を怒りて、樂を失ふべからず。一心こゝに在らざれば、見れども見えず、目のまへにみちみちて、樂むべき有樣あるをも知らず。春秋にあひても感ぜず、月花を見ても情なく、聖賢の書に向ひても好まず。唯私慾にふけりて、身を苦め、不仁にして人を苦め、さがなく賤しきわざをのみ行ひて、わづかなる命の内を、はかなく月日を送ること、をしむべし。
新字:一小人の、われに思ひかけぬ悪しきしわざを為して、情なく、ひが事を施せる横逆の者あるも、また昔よりおほき世の習なれば、衆人はさこそ有るべけれと思ひやりて、うらみ怒るべからず。堯舜の聖も、我が子の不肖なるを如何ともしがたし。我が子弟親戚など教へても従はずんば、責め咎めて、和を失ふべからず。人の生れつきて不肖なるも、我が身の斯る人にあひて不幸なるも、皆天命なれば、自ら苦み、人を怒りて、楽を失ふべからず。一心こゝに在らざれば、見れども見えず、目のまへにみちみちて、楽むべき有様あるをも知らず。春秋にあひても感ぜず、月花を見ても情なく、聖賢の書に向ひても好まず。唯私慾にふけりて、身を苦め、不仁にして人を苦め、さがなく賤しきわざをのみ行ひて、わづかなる命の内を、はかなく月日を送ること、をしむべし。
書き下し
一小人の、われに思ひかけぬ悪しきしわざを為して、情なく、ひが事を施せる横逆の者あるも、また昔よりおほき世の習なれば、衆人はさこそ有るべけれと思ひやりて、うらみ怒るべからず。堯舜の聖も、我が子の不肖なるを如何ともしがたし。我が子弟親戚など教へても従はずんば、責め咎めて、和を失ふべからず。人の生れつきて不肖なるも、我が身の斯る人にあひて不幸なるも、皆天命なれば、自ら苦み、人を怒りて、楽を失ふべからず。一心ここに在らざれば、見れども見えず、目のまへにみちみちて、楽むべき有様あるをも知らず。春秋にあひても感ぜず、月花を見ても情なく、聖賢の書に向ひても好まず。唯私慾にふけりて、身を苦め、不仁にして人を苦め、さがなく賤しきわざをのみ行ひて、わづかなる命の内を、はかなく月日を送ること、をしむべし。
現代語訳
小人が自分に思いがけない悪い仕打ちをして、情けなく道理に外れたことを仕掛けてくる横暴な者がいるのも、昔から多い世の習いですから、普通の人はそういうものだと思いやって、恨み怒ってはなりません。堯や舜のような聖人でも、わが子が愚かなのはどうしようもありませんでした。自分の子弟や親戚などが教えても従わないなら、責めとがめて和を失ってはなりません。人が生まれつき愚かなのも、自分がそういう人に会って不幸なのも、みな天命ですから、自ら苦しみ人に怒って楽しみを失ってはなりません。心がここになければ、見ても見えず、目の前に満ちている楽しむべきありさまにも気づきません。春や秋に出会っても感じず、月や花を見ても情がなく、聖賢の書に向かっても好みません。ただ私欲にふけって身を苦しめ、不仁で人を苦しめ、意地悪く卑しい行いばかりして、わずかな命のうちをはかなく月日を送るのは、惜しむべきことです。
解説
この章句が説くこと
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