楽訓 / 巻之上・総論
一人を恨み怒り、自らほこり、人をそしり、人の小なる過をせめ、人の言をとがめ、無禮をいかるは、其器小なり。是皆樂を失へるわざなり。怒と慾とをこらへ、心を廣くして、人を責め咎めざるは、器大なるなり。是和氣をたもちて、樂を失はざる道なり。一世の人のひが事多きは、うき世の習なれば、如何ともしがたし。敎へても從はざるは愚人なり。聖人といへど、力に及ばず。人の愚なるによりて怒りて、我が心をなやますべからず。人の惡しく生れつきたるは、其人の不幸なり。あはれむべし。我が心にあづかりて、恨み咎め、自ら苦むべからず。人の惡しきゆゑ、我が心の樂を失ふは愚なり。
新字:一人を恨み怒り、自らほこり、人をそしり、人の小なる過をせめ、人の言をとがめ、無礼をいかるは、其器小なり。是皆楽を失へるわざなり。怒と慾とをこらへ、心を広くして、人を責め咎めざるは、器大なるなり。是和気をたもちて、楽を失はざる道なり。一世の人のひが事多きは、うき世の習なれば、如何ともしがたし。教へても従はざるは愚人なり。聖人といへど、力に及ばず。人の愚なるによりて怒りて、我が心をなやますべからず。人の悪しく生れつきたるは、其人の不幸なり。あはれむべし。我が心にあづかりて、恨み咎め、自ら苦むべからず。人の悪しきゆゑ、我が心の楽を失ふは愚なり。
書き下し
一人を恨み怒り、自らほこり、人をそしり、人の小なる過をせめ、人の言をとがめ、無礼をいかるは、其器小なり。是皆楽を失へるわざなり。怒と慾とをこらへ、心を広くして、人を責め咎めざるは、器大なるなり。是和気をたもちて、楽を失はざる道なり。一世の人のひが事多きは、うき世の習なれば、如何ともしがたし。教へても従はざるは愚人なり。聖人といへど、力に及ばず。人の愚なるによりて怒りて、我が心をなやますべからず。人の悪しく生れつきたるは、其人の不幸なり。あはれむべし。我が心にあづかりて、恨み咎め、自ら苦むべからず。人の悪しきゆゑ、我が心の楽を失ふは愚なり。
現代語訳
人を恨み怒り、自分を誇り、人を悪く言い、人の小さな過ちを責め、人の言葉をとがめ、無礼に怒るのは、器が小さいのです。これらはみな楽しみを失う行いです。怒りと欲をこらえ、心を広くして人を責めとがめないのは、器が大きいのです。これが和やかな気を保って楽しみを失わない道です。世の人に間違ったことが多いのは、この世の習いですからどうしようもありません。教えても従わないのは愚かな人です。聖人でも力が及びません。人が愚かであることに腹を立てて、自分の心を悩ませてはなりません。人が悪く生まれついているのは、その人の不幸です。哀れむべきことです。自分の心にかかわらせて恨みとがめ、自ら苦しんではなりません。人が悪いからといって自分の心の楽しみを失うのは愚かなことです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『楽訓』巻之上・総論一小人の、われに思ひかけぬ悪しきしわざを為して、情なく、ひが事を施せる横逆の者あるも、また昔よりおほき世の習なれば、衆人はさこそ有るべけれと思ひやりて、うらみ怒るべからず。堯舜の聖も、我が子の不肖なるを如何ともしがたし。我が子弟親戚など教へても従はずんば、責め咎めて、和を失ふべからず。人の生れつきて不肖なるも、我が身の斯る人にあひて不幸なるも、皆天命なれば、自ら苦み、人を怒りて、楽を失ふべからず。一心ここに在らざれば、見れども見えず、目のまへにみちみちて、楽むべき有様あるをも知らず。春秋にあひても感ぜず、月花を見ても情なく、聖賢の書に向ひても好まず。唯私慾にふけりて、身を苦め、不仁にして人を苦め、さがなく賤しきわざをのみ行ひて、わづかなる命の内を、はかなく月日を送ること、をしむべし。
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『楽訓』巻之上・総論一天地の御恵をうけて人となり、天地の御心をうけて心とせし人にしあれば、天地の御心にしたがひ、我が仁心をたもちて、常に楽み、温和慈愛にして情ふかく、人をあはれみ恵み、善を行ふを以て楽とすべし。人の悪を戒めんため、怒り詈るは、已む事を得ざればなり。常には和楽にして、其気を養ふべし。されど又和に専一にして礼なければ、一偏に流れ乱れて、楽をうしなふ。
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『楽訓』巻之下・後論一老いては弥人をむさぼらず、物ごとに慮ふかくして、人を妄にそしらず、いからず、人の妨とならず、人の我に無礼不仁なるをこらへて怒りうらみず、人ごとに君子ならざれば、かくこそあるべけれと思ひて、心にかけて苦みうれへず、貧賤を甘んじて、身やすく心閑にして楽むべし。
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『大和俗訓』巻之四・心術下一心は天君にて、身の主なり。つねに楽ましむべし、くるしむべからず。わが身貧賤にして、或は不意の禍ありとも、これ天命なれば、うれふべからず。楽を失ふべからず。又人の我に悪しきをば、忍びてゆるすべし。うれふべからず。かくの如くすれば、心のくるしみなく、楽多し。身のまどしきをうれひ、又みだりに人をいかり悪みて、わが心を苦めそこなふべからず。人の無礼にして、我ををかしあなどるとも、おろかなる故と思ひ、いかり悪むべからず。子弟のともがら、我におろそかなりとも道を知らざる故と思ひ、いかるべからず。心をくるしめて益なし。下部などは、に習はし悪しければ、おろかにしてさとしがたし。その悪しきを、いましめ教ふるはよし、怒りせめて、言と色とをはげしくすべからず。我が心の和楽をやぶり、人のうらみをとる。言と顔色とはげしからざれども、わが行正しく、言にたはぶれなければ人自らおそれて侮らず。
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『大和俗訓』巻之八・応接一凡人倫に交りて、其はじまる所の人、われに対し施し行へること、もし礼義にあたらずして、わが心に叶はずとも、人聖賢にあらざれば、事ごとに礼義にあたるべからず。是即凡人の常にして、古今天下の世の習はしぞと思ひなだめて、心に掛くべからず。いはんや恨み怒るべけんや。わが身さへ、我が思ふ如くに行ひがたし。何ぞ人われに施す所、わが心の如くならんや。わが身さへ道に違はずば、人の我に施すこと道にかなはざるは、わが身にあづからざる事なれば、心に掛くべからず。我がうれふべき事にあらず。人倫の内、我より位たかき君父と兄夫の、われに無礼なるは、言ふに及ばず、わが子弟臣僕のともがら、我よりいやしき者、我に礼義なくとも、礼ををしへ、其罪をいましむるは然るべし、心に掛けて、深く怒り恨むべからず。是わが身ををさめ人に交るに、みづから心を安くし、楽を失はずして、よく世にをるの道なり。
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『楽訓』巻之上・総論もし此理を知れらば、身の上につきて楽み、外を願ふべからず。貧賤にしても、患難にあひても、時となく所として、楽あらずといふ事なかるべし。坐には坐の楽あり、立には立の楽あり、行にも、臥にも、飲食にも、見るにも、きくにも、ものいふにも、楽あらずといふ事なし。楽はもとより心に生れつきて、身にそへるものなればなり。されど此楽を知りて楽む人すくなし。理くらければ楽を知らず、欲ふかければ楽をうしなふ。
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