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礼記 / 喪服四制

始死,三日不怠,三月不解。期悲哀,三年憂,恩之殺也。聖人因殺以制節,此喪之所以三年,賢者不得過,不肖者不得不及,此喪之中庸也,王者之所常行也。《書》曰:「高宗諒闇,三年不言」,善之也。王者莫不行此禮。何以獨善之也?曰:高宗者武丁。武丁者,殷之賢王也。繼世即位而慈良於喪,當此之時,殷衰而復興,禮廢而復起,故善之。善之,故載之書中而高之,故謂之高宗。三年之喪,君不言,《書》云:「高宗諒闇,三年不言」,此之謂也。然而曰「言不文」者,謂臣下也。

新字:始死,三日不怠,三月不解。期悲哀,三年憂,恩之殺也。聖人因殺以制節,此喪之所以三年,賢者不得過,不肖者不得不及,此喪之中庸也,王者之所常行也。《書》曰:「高宗諒闇,三年不言」,善之也。王者莫不行此礼。何以独善之也?曰:高宗者武丁。武丁者,殷之賢王也。継世即位而慈良於喪,当此之時,殷衰而復興,礼廃而復起,故善之。善之,故載之書中而高之,故謂之高宗。三年之喪,君不言,《書》云:「高宗諒闇,三年不言」,此之謂也。然而曰「言不文」者,謂臣下也。

書き下し

始めて死して、三日怠らず、三月解(おこた)らず、期に悲哀し、三年に憂う。恩の殺(さい)なり。聖人は殺に因りて以て節を制す。此れ喪の三年なる所以にして、賢者も過ぐるを得ず、不肖者も及ばざるを得ず。此れ喪の中庸なり。王者の常に行う所なり。書に曰く、「高宗諒闇(りょうあん)、三年言わず」と。これを善みするなり。王者此の礼を行わざるは莫し。何を以て独りこれを善みするや。曰く、高宗なる者は武丁なり。武丁なる者は、殷の賢王なり。世を継ぎて位に即き、喪に慈良なり。此の時に当たりて、殷衰えて復た興り、礼廃れて復た起こる。故にこれを善みす。これを善みす、故にこれを書中に載せてこれを高しとす。故にこれを高宗と謂う。三年の喪、君は言わず。書に云う、「高宗諒闇、三年言わず」とは、此れの謂なり。然り而して「言文(かざ)らず」と曰う者は、臣下を謂うなり。

現代語訳

親が亡くなった当初は、三日の間は哭(こく)することを怠らず、三か月の間は衣を解かずに過ごし、一年の間は悲しみ嘆き、三年の間は憂いに沈む。これは恩の情がしだいに薄らいでいく段階である。聖人はこの薄らぎに合わせて節目を定めた。これが喪が三年である理由であり、賢い者もこれを超えることはできず、愚かな者もこれに及ばないことは許されない。これが喪の中庸であり、王者が常に行うところである。『書』に「高宗は諒闇(りょうあん、喪中に籠もる仮屋)にあって、三年ものを言わなかった」とある。これはそれを褒めたのである。王者でこの礼を行わない者はいない。それなのに、なぜ高宗だけを褒めるのか。答えていう。高宗とは武丁である。武丁は殷の賢王である。先王の世を継いで位に即き、喪に服して慈しみ深く善良であった。その当時、殷は衰えていたのに再び興り、礼は廃れていたのに再び起こった。だからこれを褒めたのである。褒めたからこそ、これを『書』に載せて高く称え、そのため高宗と呼んだのである。三年の喪の間、君主はものを言わない。『書』に「高宗は諒闇にあって、三年ものを言わなかった」とあるのは、このことをいうのである。それなのに「言葉を飾らない」というのは、臣下のことをいうのである。

解説

喪がなぜ三年なのかを説明し、殷の高宗武丁の故事でそれを裏づける段である。死の直後の三日、三か月、一年、三年と、悲しみの深さはしだいに殺(へ)っていく。聖人はその自然な変化に合わせて節目を定めたので、賢者も越えられず、不肖者も及ばずにはすまない。これを「喪の中庸」と呼ぶ。続いて『書』の「高宗諒闇、三年言わず」を引く。鄭玄は諒闇を喪中に籠もる廬(いおり)のことと注している。すべての王が三年の喪を行うのに、なぜ高宗だけが称えられるのか。それは衰えていた殷を再興し、廃れていた礼を復興した賢王だったからで、その喪の慎みが特に記録されたのだと説く。悲しみの深さに見合った期間を社会が認めるという発想は、忌引きや喪中の過ごし方を考えるうえでも一つの基準を示している。

この章句が説くこと

礼記喪服四制三年喪中庸高宗

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