礼記 / 射義
天子將祭,必先習射於澤。澤者,所以擇士也。已射於澤,而後射於射宮。射中者得與於祭,不中者不得與於祭。不得與於祭者有讓,削以地;得與於祭者有慶,益以地。進爵絀地是也。
新字:天子将祭,必先習射於沢。沢者,所以択士也。已射於沢,而後射於射宮。射中者得与於祭,不中者不得与於祭。不得与於祭者有譲,削以地;得与於祭者有慶,益以地。進爵絀地是也。
書き下し
天子将に祭らんとすれば、必ず先ず射を沢(たく)に習う。沢なる者は、士を択(えら)ぶ所以なり。已に沢に射て、而る後に射宮に射る。射て中る者は祭に与るを得、中らざる者は祭に与るを得ず。祭に与るを得ざる者は譲有り、削るに地を以てす。祭に与るを得る者は慶有り、益すに地を以てす。爵を進め地を絀(しりぞ)くること是れなり。
現代語訳
天子が祭祀を行おうとするときには、必ずまず沢(たく、射を習う宮の名)で射を習わせる。沢とは、士を択(えら)ぶための所である。沢で射終えてから、射宮で射る。射て的に当たった者は祭祀に参加でき、当たらなかった者は祭祀に参加できない。祭祀に参加できなかった者を出した君主には譴責があり、領地を削られる。祭祀に参加できた者を出した君主には褒賞があり、領地を増やされる。爵位を進めたり領地を減らしたりするというのは、このことである。
解説
天子が祭祀に先立って行う選士の射を述べる段である。まず沢と呼ばれる宮で射を習い、次いで射宮で射て、その的中によって祭祀に参加できるかどうかが決まる。「沢」と「択」を音で通じさせ、沢の宮は士を択ぶ場所であると説くのは、この篇に多い音による意味づけの一つである。鄭玄は沢を宮の名とし、ここで射る士とは朝見に来た諸侯とその臣下、そして貢がれた士であると注している。成績は推薦した君主への賞罰となり、鄭玄によれば慶のある者はまず爵を進め、譲のある者はまず地を削るという。祭祀という最も神聖な場に誰を立たせるかを、事前の試しによって決めるという発想は、大切な場面ほど人選に手間をかけるべきだという、今の組織運営にも通じる心得である。
この章句が説くこと
礼記射義祭祀選士賞罰
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