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礼記 / 射義

射之為言者繹也,或曰舍也。繹者,各繹己之志也。故心平體正,持弓矢審固;持弓矢審固,則射中矣。故曰:「為人父者,以為父鵠;為人子者,以為子鵠;為人君者,以為君鵠;為人臣者,以為臣鵠。」故射者各射己之鵠。故天子之大射謂之射侯。射侯者,射為諸侯也。射中則得為諸侯,射不中則不得為諸侯。

新字:射之為言者繹也,或曰舎也。繹者,各繹己之志也。故心平体正,持弓矢審固;持弓矢審固,則射中矣。故曰:「為人父者,以為父鵠;為人子者,以為子鵠;為人君者,以為君鵠;為人臣者,以為臣鵠。」故射者各射己之鵠。故天子之大射謂之射侯。射侯者,射為諸侯也。射中則得為諸侯,射不中則不得為諸侯。

書き下し

射の言たる者は繹(えき)なり、或いは曰く舎(しゃ)なりと。繹なる者は、各々己の志を繹(たず)ぬるなり。故に心平らかに体正しく、弓矢を持つこと審固なり。弓矢を持つこと審固なれば、則ち射て中つ。故に曰く、「人の父たる者は、以て父の鵠(こく)と為し、人の子たる者は、以て子の鵠と為し、人の君たる者は、以て君の鵠と為し、人の臣たる者は、以て臣の鵠と為す」と。故に射る者は各々己の鵠を射る。故に天子の大射はこれを射侯と謂う。射侯なる者は、諸侯を射為すなり。射て中れば則ち諸侯為るを得、射て中らざれば則ち諸侯為るを得ず。

現代語訳

射という言葉は「繹(えき、たずね究める)」の意味であり、あるいは「舎(しゃ、放つ)」の意味だともいう。繹とは、それぞれが自分の志をたずね究めることである。だから心が平らかで体が正しく、弓矢を確かにしっかりと持つ。弓矢を確かにしっかりと持てば、射て的に当たる。だからこういわれる。「人の父である者は、的を父としての的と思い定め、人の子である者は子としての的と思い定め、人の君である者は君としての的と思い定め、人の臣である者は臣としての的と思い定める」。だから射る者は、それぞれ自分の鵠(こく、的の中心)を射るのである。それゆえ天子の大射(たいしゃ、祭祀に先立って士を選ぶ射)を射侯という。射侯とは、諸侯としての資格を射当てることである。射て当たれば諸侯となることができ、射て当たらなければ諸侯となることはできない。

解説

射という字の意味を「繹」すなわち自分の志をたずね究めることと解き、そこから射の精神を説く段である。心平らかに体正しくして弓を審固に持てば的に当たるという道理を踏まえ、父は父の鵠、子は子の鵠、君は君の鵠、臣は臣の鵠を射ると述べる。鄭玄の注によれば、射る者は的を見据える時に、これは父としての自分の鵠であると念じ、当たれば人として成り、当たらなければ成らないと心に定めるのだという。的はただの標的ではなく、自分がその立場で果たすべき責めを映したものなのである。一本の矢に自分の役割のすべてを賭けるというこの感覚は、日々の仕事の一つ一つを、自分の立場の責めを果たしているかどうかの試しとして受け止める姿勢に通じる。

この章句が説くこと

礼記射義志役割鵠

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