礼記 / 射義
孔子射於矍相之圃,蓋觀者如堵牆。射至於司馬,使子路執弓矢,出延射曰:「賁軍之將,亡國之大夫,與為人後者不入,其餘皆入。」蓋去者半,入者半。又使公罔之裘,序點,揚觶而語。公罔之裘揚觶而語曰:「幼壯孝弟,耆耋好禮,不從流俗,修身以俟死者,不,在此位也。」蓋去者半,處者半。序點又揚觶而語曰:「好學不倦,好禮不變,旄期稱道不亂者,不,在此位也。」蓋㢙有存者。
新字:孔子射於矍相之圃,蓋観者如堵牆。射至於司馬,使子路執弓矢,出延射曰:「賁軍之将,亡国之大夫,与為人後者不入,其余皆入。」蓋去者半,入者半。又使公罔之裘,序点,揚觶而語。公罔之裘揚觶而語曰:「幼壮孝弟,耆耋好礼,不従流俗,修身以俟死者,不,在此位也。」蓋去者半,処者半。序点又揚觶而語曰:「好学不倦,好礼不変,旄期称道不乱者,不,在此位也。」蓋㢙有存者。
書き下し
孔子、矍相(かくしょう)の圃(ほ)に射る。蓋し観る者堵牆(としょう)の如し。射、司馬に至り、子路をして弓矢を執りて出でて射を延(すす)めしめて曰く、「賁軍(ふんぐん)の将、亡国の大夫、人の後と為るに与(あずか)る者は入らざれ。其の余は皆入れ」と。蓋し去る者半ば、入る者半ばなり。又公罔之裘(こうもうしきゅう)・序点(じょてん)をして觶を揚げて語らしむ。公罔之裘、觶を揚げて語りて曰く、「幼壮にして孝弟、耆耋(きてつ)にして礼を好み、流俗に従わず、身を修めて以て死を俟(ま)つ者は、不(いな)や。此の位に在れ」と。蓋し去る者半ば、処(お)る者半ばなり。序点又觶を揚げて語りて曰く、「学を好みて倦まず、礼を好みて変ぜず、旄期(ぼうき)にして道を称して乱れざる者は、不や。此の位に在れ」と。蓋し僅(わず)かに存する者有り。
現代語訳
孔子が矍相(かくしょう、魯の城内の地名)の畑で射礼を行ったとき、見物人が垣根のように取り巻いた。射礼が司馬(しば、射の進行を司る役)の段取りまで進むと、孔子は子路に弓矢を持たせて外に出し、射を望む者を招き入れさせて、こういわせた。「戦に敗れて軍を覆した将軍、国を滅ぼした大夫、財を目当てに他人の跡継ぎとして割り込んだ者は入ってはならない。その他の者は皆入れ」。すると去った者が半分、入った者が半分であった。さらに公罔之裘(こうもうしきゅう)と序点(じょてん)に觶を掲げて語らせた。公罔之裘は觶を掲げていった。「若い頃から壮年まで親に孝行し年長者に従い、老いてからも礼を好み、世の流れに押し流されず、身を修めて死ぬまでそれを守り通そうとする者はいるか。いればこの席にとどまれ」。すると去った者が半分、とどまった者が半分であった。序点がまた觶を掲げていった。「学問を好んで倦むことなく、礼を好んで変わることなく、八十、九十、百歳になっても道を説いて乱れない者はいるか。いればこの席にとどまれ」。すると、わずかにとどまる者がいるだけであった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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史記 仲尼弟子列伝子路蒲の大夫と為り、孔子に辞す。孔子曰く、「蒲は壮士多く、又治め難し。然れども吾汝に語げん。恭にして以て敬なれば、以て勇を執るべし。寛にして以て正なれば、以て衆に比すべし。恭正にして以て静なれば、以て上に報ゆべし」と。初め、衛の霊公に寵姫有り南子と曰ふ。霊公の太子蕢聵南子に過を得、誅を懼れて出奔す。霊公卒するに及び夫人公子郢を立てんと欲す。郢肯んぜず、曰く、「亡人太子の子輒在り」と。是に於いて衛輒を立てて君と為す、是れ出公為り。出公立つこと十二年、其の父蕢聵外に居り、入るを得ず。子路衛の大夫孔悝の邑宰と為る。蕢聵乃ち孔悝と乱を作し、謀りて孔悝の家に入り、遂に其の徒と出公を襲ひ攻む。出公魯に奔り、而して蕢聵入りて立つ、是れ荘公為り。孔悝乱を作すに方りて、子路外に在り、之を聞きて馳せ往く。子羔の衛の城門を出づるに遇ふ、子路に謂ひて曰く、「出公去れり、而して門已に閉づ、子還るべし、空しく其の禍を受くる毋かれ」と。子路曰く、「其の食を食む者は其の難を避けず」と。子羔卒に去る。使者の城に入る有り、城門開く、子路随ひて入る。蕢聵に造る、蕢聵孔悝と台に登る。子路曰く、「君焉んぞ孔悝を用ひん。請ふ得て之を殺さん」と。蕢聵聴かず。是に於いて子路台を燔かんと欲す、蕢聵懼れ、乃ち石乞・壺黶を下して子路を攻めしめ、子路の纓を撃ち断つ。子路曰く、「君子は死すとも冠は免がず」と。遂に纓を結びて死す。孔子衛の乱を聞きて、曰く、「嗟乎、由死せん」と。已にして果たして死す。故に孔子曰く、「吾由を得てより、悪言耳に聞こえず」と。是の時子貢魯の為に斉に使ひす。
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孔子家語・致思子路蒲の宰と為る。水備を為し、其の民と溝瀆を修む。民の労煩苦しむを以て、人に一簞の食、一壺の漿を与う。孔子之を聞き、子貢をして之を止めしむ。 子路忿りて悦ばず、孔子に見えて曰わく、「由や暴雨将に至らんとするを以て、水災有らんことを恐れ、故に民と溝洫を修めて以て之に備う。而して民に匱餓する者多し、是を以て簞食壺漿もて之に与う。夫子賜をして之を止めしむ、是れ夫子由の仁を行うを止むるなり。夫子仁を以て教えて其の行いを禁ず、由受けざるなり。」 孔子曰わく、「汝民を以て餓うと為さば、何ぞ君に白して倉廩を発きて以て之を賑わさざる。而して私に爾の食を以て之に饋る、是れ汝君の恵無きを明らかにし、而して己の徳の美を見わすなり。汝速やかに已めば則ち可なり、然らずんば則ち汝の罪せらるること必せり。」
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論語・雍也篇季康子問う、「仲由は政に従わしむ可きか。」子曰く、「由や果、政に従うに於いて何か有らん。」曰く、「賜は政に従わしむ可きか。」曰く、「賜や達、政に従うに於いて何か有らん。」曰く、「求は政に従わしむ可きか。」曰く、「求や芸、政に従うに於いて何か有らん。」
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史記 仲尼弟子列伝仲由、字は子路、卞の人なり。孔子より少きこと九歳。子路は性鄙にして、勇力を好み、志伉直、雄鶏を冠し、豭豚を佩び、孔子を陵暴す。孔子礼を設けて稍く子路を誘ふ、子路後に儒服して質を委ね、門人に因りて弟子と為らんことを請ふ。子路政を問ふ、孔子曰く、「之に先んじ、之を労へ」と。益を請ふ。曰く、「倦むこと無かれ」と。子路問ふ、「君子は勇を尚ぶか」と。孔子曰く、「義を之れ上と為す。君子勇を好みて義無ければ則ち乱し、小人勇を好みて義無ければ則ち盗す」と。子路聞くこと有りて、未だ之を行ふ能はざれば、唯だ聞くこと有るを恐る。孔子曰く、「片言以て獄を折むべき者は、其れ由なるか」と。「由や勇を好むこと我に過ぎたり、材を取る所無し」と。「由の若きは、其の死を得ざらん」と。「敝れたる縕袍を衣て、狐貉を衣る者と立ちて、恥ぢざる者は、其れ由なるか」と。「由や堂に升れり、未だ室に入らざるなり」と。季康子問ふ、「仲由は仁なるか」と。孔子曰く、「千乗の国其の賦を治めしむべし、其の仁を知らず」と。
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孔子家語・始誅孔子魯の司寇と為り、相の事を摂行し、喜色有り。仲由問いて曰く、「由聞く、君子禍至るも懼れず、福至るも喜ばず、と。今夫子位を得て喜ぶは、何ぞや。」孔子曰く、「然り、是の言有るなり。貴を以て人に下るを楽しむと曰わずや。」
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孔子家語・致思子路孔子に見えて曰わく、「重きを負い遠きを渉るには、地を択ばずして休み、家貧しく親老いては、禄を択ばずして仕う。昔者由や、二親に事うるの時、常に藜藿の実を食らい、親の為に米を負うこと百里の外にす。親歿するの後、南のかた楚に遊ぶ。従車百乗、粟を積むこと万鐘、茵を累ねて坐し、鼎を列ねて食らう。藜藿を食らい、親の為に米を負わんと願欲すれども、復た得可からざるなり。枯魚索に銜まるるは、幾何ぞ蠹せざらん。二親の寿は、忽として隙を過ぐるが若し。」 孔子曰わく、「由や親に事うるは、生きては事えて力を尽くし、死しては事えて思いを尽くす者と謂う可し。」
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