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礼記 / 射義

其節:天子以《騶虞》為節,諸侯以《貍首》為節,卿大夫以《采蘋》為節,士以《采蘩》為節。《騶虞》者,樂官備也;《貍首》者,樂會時也。《采蘋》者,樂循法也;《采蘩》者,樂不失職也。是故天子以備官為節,諸侯以時會天子為節,卿大夫以循法為節,士以不失職為節。故明乎其節之志,以不失其事,則功成而德行立,德行立則無暴亂之禍矣。功成則國安。故曰:「射者,所以觀盛德也。」

新字:其節:天子以《騶虞》為節,諸侯以《貍首》為節,卿大夫以《采蘋》為節,士以《采蘩》為節。《騶虞》者,楽官備也;《貍首》者,楽会時也。《采蘋》者,楽循法也;《采蘩》者,楽不失職也。是故天子以備官為節,諸侯以時会天子為節,卿大夫以循法為節,士以不失職為節。故明乎其節之志,以不失其事,則功成而徳行立,徳行立則無暴乱之禍矣。功成則国安。故曰:「射者,所以観盛徳也。」

書き下し

其の節は、天子は騶虞(すうぐ)を以て節と為し、諸侯は貍首(りしゅ)を以て節と為し、卿大夫は采蘋(さいひん)を以て節と為し、士は采蘩(さいはん)を以て節と為す。騶虞は、官の備わるを楽しむなり。貍首は、会の時なるを楽しむなり。采蘋は、法に循(したが)うを楽しむなり。采蘩は、職を失わざるを楽しむなり。是の故に天子は官を備うるを以て節と為し、諸侯は時に天子に会するを以て節と為し、卿大夫は法に循うを以て節と為し、士は職を失わざるを以て節と為す。故に其の節の志に明らかにして、以て其の事を失わざれば、則ち功成りて徳行立つ。徳行立てば則ち暴乱の禍無し。功成れば則ち国安し。故に曰く、「射は、盛徳を観る所以なり」と。

現代語訳

射の節(ふし、矢を放つ拍子を取る楽曲)については、天子は「騶虞(すうぐ)」を、諸侯は「貍首(りしゅ)」を、卿・大夫は「采蘋(さいひん)」を、士は「采蘩(さいはん)」を節とする。「騶虞」は官職に人材が備わることを楽しむ詩である。「貍首」は諸侯が時節に従って天子のもとに会することを楽しむ詩である。「采蘋」は法度に従うことを楽しむ詩である。「采蘩」は職務を怠らないことを楽しむ詩である。だから天子は官職に人材を備えることを節とし、諸侯は時節に従って天子に会することを節とし、卿・大夫は法度に従うことを節とし、士は職務を怠らないことを節とする。それゆえ、それぞれの節に込められた志をよく理解して、自分の務めを失わなければ、功績が成って徳行が確立する。徳行が確立すれば、暴力や乱れの災いはなくなる。功績が成れば国は安らかになる。だから「射は盛んなる徳を観るためのものである」といわれるのである。

解説

射礼で矢を放つ拍子を取るために奏される楽曲が、身分によって異なることを述べる段である。天子は騶虞、諸侯は貍首、卿大夫は采蘋、士は采蘩を用い、それぞれの詩の主題がその身分の務めに対応している。鄭玄の注によれば、騶虞・采蘋・采蘩は『毛詩』の篇名で、貍首は今に伝わらない逸詩であり、次の段に引かれる「曾孫侯氏」の詩がそれにあたるという。天子は賢者を官に備えること、諸侯は時に従って天子に朝すること、卿大夫は法度に従うこと、士は職を失わないことを、それぞれ音楽の拍子として身に刻みながら弓を引くのである。立場ごとの使命を、日々の習慣やリズムに溶け込ませる工夫は、組織の役割意識を育てるうえでも参考になる。

この章句が説くこと

礼記射義詩経職分礼楽

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