礼記 / 投壺
左右告矢具,請拾投。有入者,則司射坐而釋一筭焉。賓黨於右,主黨於左。 卒投,司射執筭曰:「左右卒投,請數。二筭為純,一純以取,一筭為奇。」遂以奇筭告曰:「某賢於某若干純。奇則曰奇,鈞則曰左右鈞。」
新字:左右告矢具,請拾投。有入者,則司射坐而釈一筭焉。賓党於右,主党於左。 卒投,司射執筭曰:「左右卒投,請数。二筭為純,一純以取,一筭為奇。」遂以奇筭告曰:「某賢於某若干純。奇則曰奇,鈞則曰左右鈞。」
書き下し
左右、矢の具わるを告げ、拾投(しゅうとう)せんことを請う。入る者有れば、則ち司射坐して一筭を釈く。賓の党は右に於いてし、主の党は左に於いてす。 投げ卒(お)われば、司射筭を執りて曰く、「左右投げ卒われり。請う数えん。二筭を純(じゅん)と為し、一純ずつ以て取り、一筭を奇と為す」と。遂に奇筭を以て告げて曰く、「某は某より賢ること若干純」と。奇なれば則ち奇と曰い、鈞(ひと)しければ則ち左右鈞しと曰う。
現代語訳
左右の組がそれぞれ矢の準備が整ったことを告げ、交互に投げることを願い出る。矢が壺に入れば、司射は座って算木を一本置く。客の側の算木は右に、主人の側の算木は左に置く。 全員が投げ終わると、司射は算木を手に取っていう。「左右とも投げ終わりました。数えさせてください。算木二本を一純(じゅん、一組)とし、一純ずつ取り上げ、余った一本を奇(き、はんぱ)とします」。数え終わると、余りの算木をかざして告げる。「どちらの側がどちらの側より何純まさっております」。はんぱが出れば「奇」といい、同数であれば「左右ひとしい」という。
解説
投壺の競技の進め方と、勝敗の数え方を述べる段である。左右の組は交互に矢を投げ、入るたびに司射が算木を一本ずつ置く。客の組は右、主人の組は左と置き場所を分け、終わると二本を一組として数え、差を告げる。勝敗の告げ方にも工夫があり、「某は某より賢ること若干純」と、勝ちを「賢い」「まさる」という穏やかな言葉で表している。はんぱがあれば「奇」、同数なら「左右ひとし」と、どの結果にも決まった言い方が用意されている。数え方と告げ方を定めておくのは、勝ち負けをめぐる言い争いを未然に防ぐためであり、判定を公の役である司射に委ねることで、当事者どうしが直接ぶつからないようにしている。交互に投げるという規則も、一方だけが続けて目立つことを避け、機会を平等に分けるためのものである。競技や評価の場で、判定の手順と言葉づかいを前もって決めておくことは、今の職場の評価制度を考えるうえでも示唆に富む。
この章句が説くこと
礼記投壺算公正勝負
関連する章句
-
『呻吟語』外篇・治道・公正の二字公正の二字は是れ世界を撐持し底る。這の二字沒し了はれば、便ち天を塌さん。
-
『臣軌』卷上 公正章人を理むるの道は万端なるも、之を行う所以は一に在り。一とは何ぞや。公のみ。唯だ公心のみ以て国を奉ず可く、唯だ公心のみ以て家を理む可し。公道行わるれば、則ち神明労せずして邪自ずから息み、私道行わるれば、則ち刑罰繁くして邪禁ぜられず。故に公の道為るや、言甚だ少なくして用甚だ博し。夫れ心なる者は、神明の主、万理の統なり。動きて正を失わざれば、天地も感ず可し、而るを況んや人に於いてをや。故に古の君子は、先ず其の心を正す。
-
説苑・說叢命を知る者は天を怨みず、己を知る者は人を怨みず。人にして愛せざれば則ち仁なる能わず、佞にして巧ならざれば則ち信なる能わず。善を言うに身に及ぶ毋かれ、惡を言うに人に及ぶ毋かれ。上清くして欲無ければ、則ち下正しくして民樸なり。來事は追うべきなり、往事は及ぶべからず。思慮の心無ければ則ち達せず、談說の辭無ければ則ち樂しからず。
-
『呻吟語』内篇・修身・圭角を露はすは大病痛才かに一段の公直の氣有りて、言を出だし事を做すに便ち圭角を露はすは、是れ大病痛なり。
-
史記 蒙恬列伝趙高は、諸趙の疏遠の属なり。趙高の昆弟数人、皆隠宮に生まれ、其の母刑僇せられ、世世卑賤なり。秦王、高の彊力にして獄法に通ずるを聞き、挙げて以て中車府令と為す。高既に私かに公子胡亥に事へ、之に決獄を喩す。高大罪有り。秦王蒙毅をして法もて之を治めしむ。毅敢て法を阿らず、高の罪死に当つとし、其の宦籍を除く。帝、高の事に敦きを以て、之を赦し、其の官爵を復す。始皇天下に游ばんと欲し、九原に道して、直ちに甘泉に抵らんとし、乃ち蒙恬をして道を通ぜしむ。九原より甘泉に抵るまで、山を塹り谷を堙むること、千八百里。道未だ就らず。始皇の三十七年冬、行きて出でて会稽に游び、海上に并ひて、北のかた瑯邪に走る。道にて病み、蒙毅をして還りて山川に禱らしむ。未だ反らず。始皇沙丘に至りて崩ず。之を秘し、群臣知る莫し。是の時丞相李斯・公子胡亥・中車府令趙高常に従ふ。高雅より胡亥に幸せられ、之を立てんと欲す。又蒙毅の法もて之を治めて己の為にせざるを怨む。因りて賊心有り、乃ち丞相李斯・公子胡亥と陰謀し、胡亥を立てて太子と為す。太子已に立ち、使者を遣はして罪を以て公子扶蘇・蒙恬に死を賜ふ。扶蘇已に死す。蒙恬疑ひて復た之を請ふ。使者蒙恬を以て吏に属し、更めて置く。胡亥、李斯の舎人を以て護軍と為す。使者還りて報ず。胡亥已に扶蘇の死を聞き、即ち蒙恬を釈さんと欲す。趙高、蒙氏の復た貴くして事を用ひんことを恐れ、之を怨む。毅還りて至る。趙高因りて胡亥の為に忠計すると為し、以て蒙氏を滅ぼさんと欲し、乃ち言ひて曰く、「臣聞く、先帝賢を挙げて太子を立てんと欲すること久し。而るに毅諫めて曰く『不可なり』と。若し賢を知りて俞ほ立てずんば、則ち是れ不忠にして主を惑はすなり。臣の愚意を以てすれば、之を誅するに若かず」と。胡亥聴きて蒙毅を代に系ぐ。前に已に蒙恬を陽周に囚ふ。喪咸陽に至り、已に葬り、太子立ちて二世皇帝と為る。而して趙高親近し、日夜蒙氏を毀悪し、其の罪過を求め、之を挙劾す。
-
『春秋左氏伝』宣公十六年 民の多幸は国の不幸十六年春、晉の士會師を帥ゐて赤狄の甲氏及び留吁・鐸辰を滅ぼす。三月、狄の俘を獻ず。晉侯王に請ひ、戊申、黻冕を以て士會に命じて中軍に將とし、且つ大傅と為す。是に於て晉國の盜、逃れて秦に奔る。羊舌職曰く、「吾之を聞く、禹善人を稱げて、不善人遠ざかると。此の謂なり。夫れ詩に曰く、『戰戰兢兢として、深淵に臨むが如く、薄冰を履むが如し』と。善人上に在るなり。善人上に在れば、則ち國に幸民無し。諺に曰く、『民の幸多きは、國の不幸なり』と。是れ善人無きの謂なり」と。夏、成周の宣榭火あり、人之に火するなり。凡そ火は、人火を火と曰ひ、天火を災と曰ふ。秋、郯の伯姬來り歸る、出されたるなり。毛・召の難の故の為に、王室復た亂る。王孫蘇晉に奔る、晉人之を復す。冬、晉侯士會をして王室を平がしむ。定王之を享し、原襄公禮を相く。殽烝す。武子私かに其の故を問ふ。王之を聞き、武子を召して曰く、「季氏、而聞かざるか。王の享には體薦有り、宴には折俎有り。公は享に當り、卿は宴に當る、王室の禮なり」と。武子歸りて典禮を講求し、以て晉國の法を脩む。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る