導師導古典を学びたいすべての人に

礼記 / 問喪

或問曰:杖者以何為也?曰:孝子喪親,哭泣無數,服勤三年,身病體羸,以杖扶病也。則父在不敢杖矣,尊者在故也。堂上不杖,辟尊者之處也。堂上不趨,示不遽也。此孝子之志也,人情之實也,禮義之經也,非從天降也,非從地出也,人情而已矣。

新字:或問曰:杖者以何為也?曰:孝子喪親,哭泣無数,服勤三年,身病体羸,以杖扶病也。則父在不敢杖矣,尊者在故也。堂上不杖,辟尊者之処也。堂上不趨,示不遽也。此孝子之志也,人情之実也,礼義之経也,非従天降也,非従地出也,人情而已矣。

書き下し

或るひと問いて曰く、「杖は何を以て為すや」と。曰く、「孝子親を喪えば、哭泣数無く、服勤三年、身病み体羸(つか)る。杖を以て病を扶くるなり。則ち父在れば敢えて杖つかず、尊者在るが故なり。堂上に杖つかざるは、尊者の処を辟(さ)くるなり。堂上に趨(はし)らざるは、遽(あわ)ただしからざるを示すなり。此れ孝子の志なり、人情の実なり、礼義の経なり。天より降るに非ざるなり、地より出づるに非ざるなり、人情のみ」と。

現代語訳

ある人が尋ねた。「杖をつくのは、何のためか」。答えて言う。「孝子は親を失うと、数え切れないほど哭き泣き、三年のあいだ喪に服して務めるので、身は病み体はやつれる。杖によってその病んだ体を支えるのである。だから(母の喪で)父が存命であれば、あえて杖をつかない。尊い人がいるからである。堂の上で杖をつかないのは、尊い人のいる場所を避けるためである。堂の上で小走りしないのは、慌ただしくないことを示すためである。これは孝子の志であり、人の情のまことの姿であり、礼義の大本である。天から降ってきたものでもなく、地から湧き出たものでもない。人の情にほかならないのである」。

解説

問喪篇の結びで、杖の意味を問い、篇全体の主題を明らかにしている。杖は、哭き続け三年の喪に服してやつれた体を支えるためのものだという。形式ではなく、実際の必要から生まれた道具なのである。そのうえで、父が存命なら母の喪でも杖をつかない、堂の上では杖をつかない、堂の上では小走りしない、という細則が続く。尊い人の前では、自分の悲しみのための道具をしまい、慌ただしい姿も見せない。悲しみの中でも、周りの人への配慮を忘れないのである。そして結びの「天より降るに非ず、地より出づるに非ず、人情のみ」が、この篇全体の結論となる。喪の礼は神や自然が命じたものではなく、人の情から生まれたものだという。冒頭の「悲哀中に在り、故に形外に変ず」と首尾照応しており、『荀子』礼論篇が三年の喪を「情を称りて文を立つ」と説いたのとも通じる。弔いの作法を堅苦しい決まりと感じる人も多いが、その一つ一つが悲しむ人の心と体を支えるために生まれたと知れば、形の意味も違って見えてくるだろう。

この章句が説くこと

礼記問喪杖人情孝

関連する章句

古典の入門書『人生の教科書』の表紙

人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。

古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。

本の中身を見る
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)+師導1か月=700円 本を見る