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礼記 / 問喪

或問曰:「冠者不肉袒何也?」曰:「冠、至尊也。不居肉袒之體也,故為之免以代之也」。 然則禿者不免,傴者不袒,跛者不踴,非不悲也:身有錮疾,不可以備禮也。故曰:「喪禮唯哀為主矣。」女子哭泣悲哀,擊胸傷心;男子哭泣悲哀,稽顙觸地無容,哀之至也。

新字:或問曰:「冠者不肉袒何也?」曰:「冠、至尊也。不居肉袒之体也,故為之免以代之也」。 然則禿者不免,傴者不袒,跛者不踴,非不悲也:身有錮疾,不可以備礼也。故曰:「喪礼唯哀為主矣。」女子哭泣悲哀,撃胸傷心;男子哭泣悲哀,稽顙触地無容,哀之至也。

書き下し

或るひと問いて曰く、「冠する者の肉袒(にくたん)せざるは何ぞや」と。曰く、「冠は至尊なり。肉袒の体に居(お)かざるなり。故にこれが為に免(ぶん)して以てこれに代うるなり」と。 然らば則ち禿(とく)なる者は免せず、傴(う)なる者は袒せず、跛(は)なる者は踊せず。悲しまざるに非ざるなり。身に錮疾(こしつ)有りて、以て礼を備うべからざるなり。故に曰く、「喪礼は唯だ哀しみを主と為す」と。女子は哭泣悲哀して、胸を撃ち心を傷む。男子は哭泣悲哀して、稽顙(けいそう)して地に触れ容(かたち)無し。哀しみの至りなり。

現代語訳

ある人が尋ねた。「冠をかぶる身分の者が、肌をあらわにして袒しないのは、なぜか」。答えて言う。「冠は最も尊い装いである。肌をあらわにした体の上に冠をのせておくわけにはいかない。そこで冠を外し、代わりに免(ぶん、布で髪を束ねるもの)を着けるのである」。 そうであるから、髪の抜けた者は免を着けず、背の曲がった者は袒せず、足の不自由な者は踊をしない。悲しんでいないのではない。体に治らない障りがあって、礼を備えて行うことができないのである。だから「喪礼はただ哀しみを主とする」という。女性は哭き泣いて悲しみ、胸を打って心を痛める。男性は哭き泣いて悲しみ、額を地につけて稽顙(けいそう、頭を地に打ちつける拝)し、姿かたちを飾ることもない。それが哀しみの極みである。

解説

喪の作法に例外があることと、その根本が何かを説いた段である。前半は、冠をかぶる者がなぜ肌を脱がないのかという問いに、冠は最も尊い装いなので、肌をあらわにした体に冠を載せられない、だから冠の代わりに免を着けるのだ、と答える。鄭玄は、免の形は冠に似て幅一寸であると注している。後半では話が広がり、髪の抜けた者は免を着けず、背の曲がった者は肌脱ぎせず、足の不自由な者は踊をしないとする。体の事情で作法が行えないのは、悲しんでいないからではない。そこで「喪礼は唯だ哀しみを主と為す」という結論が導かれる。『論語』八佾篇の「喪はその易(おさ)めんよりは寧ろ戚(いた)め」、つまり葬儀は形を整えるより心から悲しむことが大切だ、という孔子の言葉とも響き合う。作法が守れない人を責めるのではなく、その人の悲しみそのものを見よ、というのである。葬儀の作法がわからず不安に思う人や、体の事情で思うように振る舞えない人にとって、形より心が主だという考えは今も大きな支えになる。

この章句が説くこと

礼記問喪喪礼哀しみ作法

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