礼記 / 問喪
親始死,雞斯徒跣,扱上衽,交手哭。惻怛之心,痛疾之意,傷腎乾肝焦肺,水漿不入口,三日不舉火,故鄰里為之糜粥以飲食之。夫悲哀在中,故形變於外也。痛疾在心,故口不甘味,身不安美也。
新字:親始死,鶏斯徒跣,扱上衽,交手哭。惻怛之心,痛疾之意,傷腎乾肝焦肺,水漿不入口,三日不舉火,故鄰里為之糜粥以飲食之。夫悲哀在中,故形変於外也。痛疾在心,故口不甘味,身不安美也。
書き下し
親始めて死すれば、雞斯(けいし)し徒跣(とせん)し、上衽(じょうじん)を扱(さしはさ)み、手を交えて哭す。惻怛(そくだつ)の心、痛疾の意、腎を傷(やぶ)り肝を乾かし肺を焦がし、水漿(すいしょう)口に入れず、三日火を挙げず。故に隣里これが為に糜粥(びじゅく)を為(つく)りて以てこれに飲食せしむ。夫れ悲哀中に在り、故に形外に変ず。痛疾心に在り、故に口味を甘しとせず、身美に安んぜざるなり。
現代語訳
親が息を引き取ったばかりのとき、子は冠を脱いで笄(こうがい、髪留め)と纚(し、髪を包む布)だけの頭になり、はだしになり、深衣(しんい、上下続きの衣)の前裾を帯にはさみ、手を胸の前で交えて哭く。いたましく悲しむ心、痛み苦しむ思いは、腎を傷め肝を干上がらせ肺を焦がすほどであり、水も飲み物も口にせず、三日のあいだ火をおこして煮炊きをしない。そこで隣近所の人々がその家のために粥をつくって飲み食いさせる。そもそも悲しみが内にあるから、姿かたちが外に変わって現れるのである。痛み苦しみが心にあるから、口は味をうまいと感じず、身は美しい衣服にも安らがないのである。
解説
問喪篇の冒頭である。この篇は、喪の礼の一つ一つがなぜそうなっているのかを、問いに答える形で説き明かしていく。最初の段は、親が亡くなった直後の子の姿を描く。鄭玄は「雞斯」を「笄纚」の音の誤りとし、冠を脱いで髪留めと髪包みだけになることと解する。はだしになり、衣の裾をからげ、手を交えて哭くのは、身なりを整える余裕もないほど取り乱した姿である。腎を傷め肝を乾かし肺を焦がすという誇張した表現は、悲しみが身体そのものを損なうことを言う。三日火を起こさず、隣人が粥を運ぶという描写には、共同体が遺族の食事を支える習わしが見える。結びの「悲哀中に在り、故に形外に変ず」がこの篇の主題で、喪の作法は外から押しつけた決まりではなく、内の悲しみが自然に形をとったものだ、というのである。今も、葬儀の後しばらく遺族に食事を届ける習慣が残る地域がある。悲しむ人が食べられないときに周りが食を支えるという知恵は、時代を越えて通じている。
この章句が説くこと
礼記問喪喪礼悲哀孝
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