礼記 / 表記
子言之:仁有數,義有長短小大。中心憯怛,愛人之仁也:率法而強之,資仁者也。《詩》云:「豐水有芑,武王豈不仕,詒厥孫謀,以燕翼子,武王烝哉。」數世之仁也。《國風》曰:「我今不閱,皇恤我後。」終身之仁也。
新字:子言之:仁有数,義有長短小大。中心憯怛,愛人之仁也:率法而強之,資仁者也。《詩》云:「豊水有芑,武王豈不仕,詒厥孫謀,以燕翼子,武王烝哉。」数世之仁也。《国風》曰:「我今不閲,皇恤我後。」終身之仁也。
書き下し
子これを言う、仁に数有り、義に長短小大有り。中心憯怛(さんだつ)するは、人を愛するの仁なり。法に率(したが)いてこれを強うるは、仁を資(と)る者なり。《詩》に云う、「豊水に芑(き)有り、武王豈に仕(こと)とせざらんや。厥(そ)の孫に謀を詒(のこ)し、以て子を燕翼(えんよく)す。武王烝(きみ)なるかな」と。数世の仁なり。《国風》に曰く、「我が今閲(い)れられず、皇(いとま)あらんや我が後を恤(うれ)うるに」と。終身の仁なり。
現代語訳
孔子は言った。仁には程度の多少があり、義には長短・大小がある。心の底から痛み悲しんで人を思うのは、人を愛する生まれつきの仁である。法に従ってつとめて仁を行うのは、仁を外から取り入れる者である。『詩経』に「豊水のほとりには芑(き、枸杞)が茂る。武王がどうして天下の事を思わないことがあろうか。その子孫によい謀を遺して、子を安らかに助けた。君たるかな武王」とある。これは数世代に及ぶ仁である。『国風』に「わが身すら今は受け入れられないのに、後のことを憂える暇などあろうか」とある。これは一生限りの仁である。
解説
仁と義に大小・長短の差があることを説く段である。孔穎達の疏は、仁に数があり義に長短小大があるというのは互いに言い換えたもので、生まれつき仁義を備えた者はその度合いが長く大きく、努めて取り入れる者は短く小さいと説く。心の底から痛み悲しんで人を愛するのが本性からの仁であり、法に従ってつとめて行うのは仁を外から取り入れる者である。引かれる詩は『詩経』大雅・文王有声の句で、武王が子孫によい謀を遺したことを、数世代に及ぶ仁の例とする。これに対し『国風』の句は邶風・谷風の一節で、鄭玄は、毛詩では「我今」を「我躬」に作ると注する。わが身さえ受け入れられないのに後を憂える暇はないという嘆きは、自分一代で尽きる仁の例とされる。周の礎を子孫に遺した武王と、一身の保全で精一杯の者を並べる対比は鮮やかである。次の世代に何を遺せるかという問いは、家業や組織を率いる者にとって今も重い。
この章句が説くこと
礼記表記仁武王子孫
関連する章句
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