導師導古典を学びたいすべての人に

礼記 / 表記

子曰:以德報怨,則寬身之仁也;以怨報德,則刑戮之民也。 子曰:無欲而好仁者,無畏而惡不仁者,天下一人而已矣。是故君子議道自己,而置法以民。 子曰:仁有三,與仁同功而異情。與仁同功,其仁未可知也;與仁同過,然後其仁可知也。仁者安仁,知者利仁,畏罪者強仁。仁者右也,道者左也。仁者人也,道者義也。厚於仁者薄於義,親而不尊;厚於義者薄於仁,尊而不親。道有至,義有考。至道以王,義道以霸,考道以為無失。

新字:子曰:以徳報怨,則寛身之仁也;以怨報徳,則刑戮之民也。 子曰:無欲而好仁者,無畏而悪不仁者,天下一人而已矣。是故君子議道自己,而置法以民。 子曰:仁有三,与仁同功而異情。与仁同功,其仁未可知也;与仁同過,然後其仁可知也。仁者安仁,知者利仁,畏罪者強仁。仁者右也,道者左也。仁者人也,道者義也。厚於仁者薄於義,親而不尊;厚於義者薄於仁,尊而不親。道有至,義有考。至道以王,義道以覇,考道以為無失。

書き下し

子曰く、徳を以て怨に報ゆれば、則ち寛身の仁なり。怨を以て徳に報ゆれば、則ち刑戮の民なり。 子曰く、欲無くして仁を好む者、畏れ無くして不仁を悪む者は、天下一人のみ。是の故に君子は道を議するに己よりし、而して法を置くに民を以てす。 子曰く、仁に三有り、仁と功を同じくして情を異にす。仁と功を同じくするは、其の仁未だ知るべからざるなり。仁と過ちを同じくして、然る後に其の仁知るべきなり。仁者は仁に安んじ、知者は仁を利とし、罪を畏るる者は仁を強(し)う。仁は右なり、道は左なり。仁は人なり、道は義なり。仁に厚き者は義に薄く、親しみて尊ばれず。義に厚き者は仁に薄く、尊ばれて親しまれず。道に至有り、義に考有り。至道以て王たり、義道以て霸たり、考道以て失無しと為す。

現代語訳

孔子は言った。徳をもって怨みに報いるのは、わが身を寛く保とうとする仁である。怨みをもって徳に報いるのは、刑罰で罰せられるべき民である。 孔子は言った。欲得なしに仁を好み、畏れからでなく不仁を憎む者は、天下にただ一人いるかどうかである。それゆえ君子は、道を論ずるときは自分の尽くせるところを基準とし、法を定めるときは民にできるところを基準とする。 孔子は言った。仁には三通りあり、仁と同じ功をあげても、その本心は異なる。仁と同じ功をあげているだけでは、その仁はまだわからない。仁と同じ過ちを犯したときにこそ、その仁がわかるのである。仁者は仁に安んじ、知者は仁を利として行い、罪を畏れる者は無理に仁を行う。仁は右であり、道は左である(互いに助け合って成る)。仁とは人に恩を施すことであり、道とは事の宜しきによって断ずる義である。仁に厚い者は義に薄く、親しまれるが尊ばれない。義に厚い者は仁に薄く、尊ばれるが親しまれない。道には至るところがあり、義には成し遂げるところがある。至道によって王者となり、義道によって覇者となり、考道(仁義の一方を成し遂げる道)によって過ちのない者となる。

解説

仁の種類と、仁と義の関係を論じた段である。まず徳で怨みに報いるのは寛い仁、怨みで徳に報いるのは刑に値する民だとする。欲も畏れもなく仁を好み不仁を憎む者は天下に一人いるかどうかだと言い、鄭玄はこれを稀であることのたとえと注する。それゆえ君子は自らには高い道を課しつつ、法は民が行える水準に置く。続く「仁に三有り」は、鄭玄によれば安仁・利仁・強仁の三つで、功は同じでも本心が異なる。功は誰もが欲しがるから仁らしく見えやすいが、過ちの中にこそ本心が現れるので、過ちを見て初めて仁かどうかがわかる。『論語』里仁篇の「仁者は仁に安んじ、知者は仁を利す」「過ちを観て斯に仁を知る」とも重なる。末尾の「道に至有り、義に考有り」を、鄭玄は「有」の字が一つ脱けたものとみて、至・義・考の三つの道と読む。うまくいっているときより失敗したときの振る舞いに人柄が出るという洞察は、人を見る目として今もそのまま使える。

この章句が説くこと

礼記表記仁義過ち

関連する章句

古典の入門書『人生の教科書』の表紙

人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。

古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。

本の中身を見る
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)+師導1か月=700円 本を見る