弁名 / 義
如曰君臣有義也。主臣言之。葢君統其全者也。先王之道。在安民。是以非仁人則不能任道矣。故曰爲人君止於仁。臣亦任先王之道者也。然君統其全。而臣任其分。各有官守。各有所事。千差萬別。非義則不能。故以義爲臣之道也。如敎子以義方。亦謂敎臣之道也。各有官守。彼不通此。是之謂方。唯義爲爾。論語曰。君子之仕也。行其義也。又曰。行義以達其道。謂仕以行其所學先王之義也。
新字:如曰君臣有義也。主臣言之。葢君統其全者也。先王之道。在安民。是以非仁人則不能任道矣。故曰為人君止於仁。臣亦任先王之道者也。然君統其全。而臣任其分。各有官守。各有所事。千差万別。非義則不能。故以義為臣之道也。如教子以義方。亦謂教臣之道也。各有官守。彼不通此。是之謂方。唯義為爾。論語曰。君子之仕也。行其義也。又曰。行義以達其道。謂仕以行其所学先王之義也。
書き下し
「君臣義有り」と曰ふが如きは、臣を主として之を言ふ。蓋し君は其の全を統ぶる者なり。先王の道は民を安んずるに在り。是を以て仁人に非ずんば則ち道に任ずること能はず。故に曰く、「人君と為りては仁に止まる」と。臣も亦た先王の道に任ずる者なり。然れども君は其の全を統べて、臣は其の分に任ず。各〻官守有り、各〻事とする所有り、千差万別、義に非ずんば則ち能はず。故に義を以て臣の道と為すなり。「子を教ふるに義方を以てす」の如きも、亦た臣の道を教ふるを謂ふなり。各〻官守有りて、彼は此に通ぜず、是れ之を方と謂ふ。唯だ義のみ爾りと為す。論語に曰く、「君子の仕ふるや、其の義を行ふなり」と。又曰く、「義を行ひて以て其の道を達す」と。仕へて以て其の学ぶ所の先王の義を行ふを謂ふなり。
現代語訳
「君臣の間には義がある」と言うのは、臣を主にして言ったものである。思うに君主は全体を統べる者である。先王の道は民を安んじることにある。だから仁ある人でなければ道を担うことはできない。それで「人の君となっては仁にとどまる」と言う。臣もまた先王の道を担う者である。しかし君主は全体を統べ、臣はその一部分を担う。それぞれに官の持ち場があり、それぞれ務めがあって千差万別であり、義がなければ務まらない。だから義を臣の道とするのである。「子を義方をもって教える」というのも、臣としての道を教えることを言う。それぞれに持ち場があって、あちらとこちらは互いに通用しない。これを「方」という。ただ義だけがそうである。『論語』に「君子が仕えるのは、その義を行うためである」とあり、また「義を行って自分の道を実現する」とある。仕えて、学んだ先王の義を行うことを言うのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『童子問』卷下問ふ、老氏の虚無と、釈氏の寂滅と、亦異なる所有りや。曰く、浅深有るがごとしと雖も、然れども其の帰は則ち一なり。老氏は天地万物を以て皆虚無と為し、釈氏は天地万物を以て総べて寂滅と為す。後漢書に云ふ、其の道虚無を以て宗と為すと。是れのみ。其の他種種奇特神通を説くは、皆方便の説のみ。老氏に至つては反つて之無し。仏は慈悲済度を以て主と為す。禅に至つては、則ち一向に棄て去る。理を説くこと至つて高ければ、必ず此に到らざることを得ず。其の慈悲済度を主とするは、仁に似たり。然れども義を知らざるは、則ち一なり。殊に知らず、義は天下の大路にして、一日も離るべからざることを。老氏も亦然り。
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『五常訓』巻之四・義一尚書に、礼を以て心を制し、義を以て事を制すといへり。礼は敬のみ。敬して心の私曲を制するなり。義を以て事を制すとは、万事を行ふに、其事に宜しく制するなり。制すとは、たとへば長きを断ちてよき程にし、多きをへらしてよき程にするが如し。物を裁判してよきやうにするを云ふ。是仁をたすくるなり。一年の功も、春夏生長するは仁なり。秋冬収蔵するは義なり。収蔵とは、草木零落し、生気をさまりて、根にかへるを云ふ。仁ありて、義なければ、たとへば春夏の生長するばかりにて、秋冬の収蔵なければ、万物成就せざるが如し。子を育つる一事を以ていはば、子を愛するは仁なり。子の悪を戒むるは義なり。愛せざれば、恩なくして他人の如し。愛のみにて戒めざれば、其子不義にながれ、悪におち入りて、わざはひとなる故、姑息して愛するが、かへりてあたとなりて、真の愛にあらず。
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『弁名』義孟子諸家の意も、亦た夫の義に差別有るに従ひて其の為さざる所有るの意を見、又諸を人心に推して悪を悪むの心の義為るを見、遂に諸を仁に配して以て道に命ず。蓋し其の初めは仁義を以て礼を賛す、則ち物尚ほ在り。其の卒は直ちに仁義を以て諸を道に命ず、則ち遂に其の物を失ふ。学者徒らに仁義の名を以て道を求むるが故なり。亦た其の時論説方に盛んにして、喜びて其の精微を言ひ、義は礼を離れて孤行し、古言漸く廃るるに由るのみ。此れより後、仁義の道、遂に千万世の儒者の常言と為る。亦た諸を古に稽へざるの失なり。彼の後世の君子、宋の諸老先生の若き者を観るに、其の学を語るや、務めて善を修めて悪を去り、天理を拡めて人欲を遏むるを言ひて、先王の教は唯だ其の善を導きて悪自ら消ゆるを知らず。其の治を語るや、務めて君子を賞して悪人を罰するを言ひて、先王の道は唯だ仁者を挙げて不仁者自ら遠ざかるに在るを知らず。其の人を論ずるや、務めて其の長短得失を備へて、先王の道は唯だ其の長を用ひて天下に棄才無きに在るを知らず。其の源を察すれば、亦た未だ必ずしも孟子より之を導かずんばあらず。則ち毫釐千里の差、豈に忽にすべけんや。学者之を審らかにせよ。
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『慎思録』巻之一仲虺の誥に曰く、克く寛に克く仁に、信を兆民に彰かにすと。六経の仁信を言ふは、此に始まる。又曰く、義を以て事を制し、礼を以て心を制すと。六経の義礼を言ふは、此に始まる。又曰く、天乃ち王に勇智を錫ふと。六経の智勇を言ふは、此に始まる。湯誥に曰く、惟れ皇いなる上帝、衷を下民に降す。恒の性有るに若ひ、克く厥の猷を綏んずるは、惟れ后なりと。六経の性を言ふは、此に始まる。太甲に曰く、鬼神は常に享くること無し、克く誠なるに享くと。六経の誠を言ふは、此に始まる。
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『童子問』卷中問ふ。仁義を孔孟学問の宗旨と為すは、何ぞや。曰く、孟子の書は、論語の旨を述ぶる者なり。而して仁義の二字は、是れ開巻第一義なり。七篇の書、言言句句、仁義の功を説くに非ざるは莫し。其の性善を言ふは、仁義の実に己に有るを明らかにするなり。浩然の気を言ふは、仁義の功用を論ずるなり。千言万語至つて多端なりと雖も、仁義の二字に総括せざるは莫し。親を親しむより之を充てて、朋友・郷党・識る所の疎薄の人に至り、慈愛の心、周遍浹洽して、底らざる所無く、而して一毫残忍忮害の念無き者、之を仁と謂ふ。一取舎の間より之を充てて、辨別分明、苟も其の義に非ざれば、則ち之に禄するに天下を以てすとも顧みざる者、之を義と謂ふ。他の卓行偉績、取るべき有りと雖も、然れども少しく仁に於て闕くること有れば、則ち皆徳と為すに足らず。義に於て欠くこと有れば、亦之を称するに足らず。智とは、斯の二者を知りて去らざる、是れなり。礼とは、斯の二者を節文する、是れなり。皆仁義の推なり。仁義の孔孟学問の宗旨たる所以は、此を以てなり。
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孟子・離婁章句下孟子曰く、「君仁なれば仁ならざる莫く、君義なれば義ならざる莫し。」
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