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童子問 / 卷下

問。老氏之虛無。與釋氏之寂滅。亦有所異乎。曰。雖若有淺深。然其歸則一也。老氏以天地萬物皆爲虛無。釋氏以天地萬物總爲寂滅。後漢書云。其道以虛無爲宗。是巳。其他說種種奇特神通。皆方便說耳。至老氏反無之。佛以慈悲濟度爲主。至於禪。則一向棄去。說理至高。必不得不到於此。其主慈悲濟度。似乎仁。然不知義。則一也。殊不知義者。天下之大路。不可一日離也。老氏亦然。

新字:問。老氏之虚無。与釈氏之寂滅。亦有所異乎。曰。雖若有浅深。然其帰則一也。老氏以天地万物皆為虚無。釈氏以天地万物総為寂滅。後漢書云。其道以虚無為宗。是巳。其他説種種奇特神通。皆方便説耳。至老氏反無之。仏以慈悲済度為主。至於禅。則一向棄去。説理至高。必不得不到於此。其主慈悲済度。似乎仁。然不知義。則一也。殊不知義者。天下之大路。不可一日離也。老氏亦然。

書き下し

問ふ、老氏の虚無と、釈氏の寂滅と、亦異なる所有りや。曰く、浅深有るがごとしと雖も、然れども其の帰は則ち一なり。老氏は天地万物を以て皆虚無と為し、釈氏は天地万物を以て総べて寂滅と為す。後漢書に云ふ、其の道虚無を以て宗と為すと。是れのみ。其の他種種奇特神通を説くは、皆方便の説のみ。老氏に至つては反つて之無し。仏は慈悲済度を以て主と為す。禅に至つては、則ち一向に棄て去る。理を説くこと至つて高ければ、必ず此に到らざることを得ず。其の慈悲済度を主とするは、仁に似たり。然れども義を知らざるは、則ち一なり。殊に知らず、義は天下の大路にして、一日も離るべからざることを。老氏も亦然り。

現代語訳

問う。老子の虚無と仏教の寂滅とには、違うところがあるのか。答える。深浅の違いはあるようだが、その帰着するところは同じである。老子は天地万物をみな虚無とし、仏教は天地万物をすべて寂滅とする。後漢書に「その道は虚無を宗とする」とあるのがそれである。そのほか種々の奇特な神通を説くのは、みな方便の説にすぎない。老子にはかえってそういうものはない。仏教は慈悲による済度を主とするが、禅になるとそれさえ一切棄て去る。理を説くことがきわめて高くなれば、必ずここに行き着かざるをえない。仏教が慈悲済度を主とするのは仁に似ている。しかし義を知らない点では(老子と)同じである。義が天下の大路であって、一日も離れてはならないものだということを全く知らないのだ。老子もまたそうである。

解説

老子の虚無と仏教の寂滅の違いを問われ、仁斎は浅深の差はあっても帰するところは一つだと答える。仏教の慈悲済度は仁に似ているが、禅に至るとそれさえ棄て去り、理を高く説くほど虚無に行き着く。そして両者に共通する欠落として仁斎が挙げるのが「義」である。義は天下の大路であって一日も離れられないものだという孟子の言葉が、ここでの物差しになっている。思いやりや優しさだけでは、筋目を通すべきところで流されてしまう。人に寄り添う気持ちと、譲ってはならない義とを両輪として持つことが、信頼される仕事の条件である。

この章句が説くこと

義仁虚無仏教老子大路

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