礼記 / 仲尼燕居
子曰:「禮者何也?即事之治也。君子有其事,必有其治。治國而無禮,譬猶瞽之無相與?倀倀乎其何之?譬如終夜有求於幽室之中,非燭何見?若無禮則手足無所錯,耳目無所加,進退揖讓無所制。是故,以之居處,長幼失其別,閨門三族失其和,朝廷官爵失其序,田獵戎事失其策,軍旅武功失其制,宮室失其度,量鼎失其象,味失其時,樂失其節,車失其式,鬼神失其饗,喪紀失其哀,辨說失其黨,官失其體,政事失其施;加於身而錯於前,凡眾之動,失其宜。如此,則無以祖洽於眾也。」
新字:子曰:「礼者何也?即事之治也。君子有其事,必有其治。治国而無礼,譬猶瞽之無相与?倀倀乎其何之?譬如終夜有求於幽室之中,非燭何見?若無礼則手足無所錯,耳目無所加,進退揖譲無所制。是故,以之居処,長幼失其別,閨門三族失其和,朝廷官爵失其序,田猟戎事失其策,軍旅武功失其制,宮室失其度,量鼎失其象,味失其時,楽失其節,車失其式,鬼神失其饗,喪紀失其哀,弁説失其党,官失其体,政事失其施;加於身而錯於前,凡衆之動,失其宜。如此,則無以祖洽於衆也。」
書き下し
子曰く、「礼なる者は何ぞや。即ち事の治なり。君子其の事有れば、必ず其の治有り。国を治めて礼無きは、譬えば猶お瞽(こ)の相(たすけ)無きがごときか。倀倀乎(ちょうちょうこ)として其れ何くにか之(ゆ)かん。譬えば終夜幽室の中に求むること有るが如し、燭に非ずんば何をか見ん。若し礼無ければ、則ち手足錯(お)く所無く、耳目加うる所無く、進退揖譲制する所無し。是の故に、これを以て居処すれば、長幼其の別を失い、閨門三族其の和を失い、朝廷官爵其の序を失い、田猟戎事其の策を失い、軍旅武功其の制を失い、宮室其の度を失い、量鼎其の象を失い、味其の時を失い、楽其の節を失い、車其の式を失い、鬼神其の饗を失い、喪紀其の哀を失い、辨説其の党を失い、官其の体を失い、政事其の施を失う。身に加えて前に錯けば、凡そ衆の動き、其の宜しきを失う。此くの如くなれば、則ち以て衆を祖洽(そこう)すること無きなり」と。
現代語訳
孔子は言った。「礼とは何か。事に当たってそれを正しく治めることである。君子は何か事があれば、必ずそれを治める筋道をもつ。国を治めるのに礼がないのは、たとえば目の見えない人に手を引く介添えがいないようなものであろうか。途方に暮れて、いったいどこへ行けばよいのか。またたとえば、夜通し暗い部屋の中で物を探すようなもので、灯火がなければ何が見えようか。もし礼がなければ、手足の置きどころがなく、耳目を向ける先がなく、進退や揖譲(会釈とへりくだり)のけじめもつけられない。それゆえ、礼なしに日々の暮らしに臨めば、長幼はその区別を失い、家庭の三族はその和を失い、朝廷の官職と爵位はその秩序を失い、狩猟と戦の備えはその方策を失い、軍隊と武功はその統制を失い、宮殿や家屋はその規模を失い、量器や鼎はその形を失い、料理は季節を失い、音楽は節度を失い、車はその様式を失い、神々は供え物を受けられず、喪はその悲しみを失い、議論はその筋道を失い、官吏はその職分を失い、政治はその施しを失う。そうしたものを身に負い、目の前の事に当てはめれば、あらゆる人々の行いが、そのよろしさを失う。こうなっては、人々をまとめ和合させることはできない」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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説苑・奉使晉楚の君相與に好會を宛丘の上に爲す。宋人をして往かしむ。晉楚の大夫曰く、「趣かに天子の禮を以て吾が君に見えよ、我子の爲に見えん。」使者曰く、「冠弊ると雖も、宜しく其の上に加うべし。履新たなりと雖も、宜しく其の下に居るべし。周室微なりと雖も、諸侯未だ之を易うる能わざるなり。師宋城に升るとも、猶お臣の服を更めざるなり。」揖して之を去る。諸大夫瞿然とし、遂に諸侯の禮を以て之に見ゆ。
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史記 高祖本紀高祖長く雒陽に都せんと欲す、斉人劉敬説き、乃ち留侯上に勧めて関中に入り都せしむ、高祖是の日駕して、入りて関中に都す。六月、天下に大赦す。十月、燕王臧荼反し、代の地を攻め下す。高祖自ら将として之を撃ち、燕王臧荼を得たり。即ち太尉盧綰を立てて燕王と為す。丞相噲をして兵を将ゐて代を攻めしむ。其の秋、利幾反す、高祖自ら兵を将ゐて之を撃つ、利幾走る。利幾は、項氏の将なり。項氏敗れ、利幾陳公為り、項羽に随はず、亡げて高祖に降る、高祖之を潁川に侯とす。高祖雒陽に至り、通侯の籍を挙げて之を召す、而して利幾恐る、故に反す。六年、高祖五日に一たび太公に朝す、家人の父子の礼の如くす。太公の家令太公に説きて曰く、「天に二日無く、土に二王無し。今高祖子なりと雖も、人主なり。太公父なりと雖も、人臣なり。柰何ぞ人主をして人臣を拝せしめん。此くの如くならば、則ち威重行はれず。」と。後に高祖朝す、太公篲(ほうき)を擁し、門に迎へて卻行す。高祖大いに驚き、下りて太公を扶く。太公曰く、「帝は、人主なり、柰何ぞ我を以て天下の法を乱さん。」と。是に於て高祖乃ち太公を尊びて太上皇と為す。心に家令の言を善しとし、金五百斤を賜ふ。十二月、人変事を上りて楚王信の謀反を告ぐる有り、上左右に問ふ、左右争ひて之を撃たんと欲す。陳平の計を用ゐ、乃ち偽りて雲夢に遊び、諸侯を陳に会す、楚王信迎ふ、即ち因りて之を執ふ。是の日、天下に大赦す。田肯賀し、因りて高祖に説きて曰く、「陛下韓信を得、又秦中を治む。秦は、形勝の国なり、河山の険を帯び、県隔すること千里、戟を持つもの百万、秦百に二を得たり。地勢便利にして、其の以て兵を諸侯に下すこと、譬へば猶ほ高屋の上に居りて瓴水を建(くつがへ)すがごときなり。夫れ斉は、東に瑯邪・即墨の饒有り、南に泰山の固有り、西に濁河の限有り、北に勃海の利有り。
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尚書・盤庚上網の綱に在るが若く、条有りて紊れず。
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人物志・流業是を主道得られて臣道序すと謂い、官方を易えずして、太平用て成る。
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論語・八佾篇子曰く、『夷狄の君有るは、諸夏の亡きに如かず。』
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『春秋左氏伝』昭公七年 普天の下、王土に非ざる莫し七年春、王の正月、齊と平らぐ。齊之を求むるなり。癸巳、齊侯虢に次る。燕人成を行ひて曰く、「敝邑罪を知る、敢へて命を聽かざらんや。先君の敝器もて、請ふ以て罪を謝せん」と。公孫皙曰く、「服を受けて退き、釁を俟ちて動くは、可なり」と。二月、戊午、濡上に盟ふ。燕人燕姬を歸(とつ)がしめ、賂ふに瑤罋・玉櫝・斝耳を以てす。克たずして還る。楚子の令尹為るや、王の旌を為りて以て田す。芋尹無宇之を斷ちて曰く、「一國に兩君あらば、其れ誰か之に堪へん」と。即位するに及び、章華の宮を為り、亡人を納れて以て之を實たす。無宇の閽焉に入る。無宇之を執ふ。有司與へずして曰く、「人を王宮に執ふ、其の罪大なり」と。執へて諸を王に謁す。王將に酒を飲まんとす。無宇辭して曰く、「天子は經略し、諸侯は封を正す、古の制なり。封略の内、何か君の土に非ざる。土の毛を食む、誰か君の臣に非ざる。故に詩に曰く、『普天の下、王土に非ざる莫く、率土の濱、王臣に非ざる莫し』と。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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