礼記 / 仲尼燕居
子曰:「慎聽之!女三人者,吾語女,禮猶有九焉。大饗有四焉。苟知此矣,雖在畎畝之中事之,聖人已。兩君相見;揖讓而入門,入門而縣興,揖讓而升堂,升堂而樂闋。下管《象》《武》《夏》籥序興。陳其薦俎,序其禮樂,備其百官。如此,而後君子知仁焉。行中規,還中矩,和鸞中《采齊》,客出以《雍》,徹以《振羽》。是故,君子無物而不在禮矣。入門而金作,示情也;升歌《清廟》,示德也;下而管《象》,示事也。是故,古之君子,不必親相與言也,以禮樂相示而已。」
新字:子曰:「慎聴之!女三人者,吾語女,礼猶有九焉。大饗有四焉。苟知此矣,雖在畎畝之中事之,聖人已。両君相見;揖譲而入門,入門而県興,揖譲而升堂,升堂而楽闋。下管《象》《武》《夏》籥序興。陳其薦俎,序其礼楽,備其百官。如此,而後君子知仁焉。行中規,還中矩,和鸞中《采斉》,客出以《雍》,徹以《振羽》。是故,君子無物而不在礼矣。入門而金作,示情也;升歌《清廟》,示徳也;下而管《象》,示事也。是故,古之君子,不必親相与言也,以礼楽相示而已。」
書き下し
子曰く、「慎みてこれを聴け。女ら三人の者、吾女に語らん。礼に猶お九有り。大饗に四有り。苟もこれを知らば、畎畝(けんぽ)の中に在りてこれを事とすと雖も、聖人のみ。両君相見(まみ)ゆるに、揖譲して門に入り、門に入りて県(けん)興り、揖譲して堂に升り、堂に升りて楽闋(や)む。下に《象》《武》を管し、《夏》籥(やく)序(つい)で興る。其の薦俎(せんそ)を陳ね、其の礼楽を序し、其の百官を備う。此くの如くにして、而る後に君子仁を知る。行くこと規に中り、還ること矩に中り、和鸞(からん)《采齊(さいせい)》に中り、客出づるに《雍》を以てし、徹するに《振羽》を以てす。是の故に、君子は物として礼に在らざる無し。門に入りて金作るは、情を示すなり。升りて《清廟》を歌うは、徳を示すなり。下りて《象》を管するは、事を示すなり。是の故に、古の君子は、必ずしも親しく相与に言わず、礼楽を以て相示すのみ」と。
現代語訳
孔子は言った。「よく心して聴け。お前たち三人に話そう。礼にはなお九つの要目があり、そのうち大饗(諸侯を迎えてもてなす盛大な宴)には四つがある。もしこれを知れば、たとえ田畑の中でそれを行っていても、聖人と変わらない。二人の君主が会見するときには、会釈しへりくだりあって門に入り、門を入ると懸けた鐘や磬(けい、石の打楽器)が鳴り出し、また会釈しへりくだりあって堂に上り、堂に上ると音楽が止む。堂下では管で《象》《武》(武王の功をたたえる楽舞)を奏し、《夏》(禹の楽)の籥(やく、笛を持って舞う文舞)が順に起こる。供物と俎(まないた、肉を載せる台)を並べ、礼と楽の順序を整え、多くの役人をそろえる。こうしてはじめて、君子は仁のあり方を知るのである。歩めばコンパスの円にかない、向きを変えれば定規の直角にかない、車の鈴(和鸞)は楽曲《采齊》の拍子にかない、客が退出するときには《雍》を奏し、膳を下げるときには《振羽》を奏する。それゆえ、君子にとって礼の中にないものは何一つない。門を入ると金属の楽器が鳴るのは、歓迎の情を示すのである。堂に上って《清廟》(文王をたたえる詩)を歌うのは、徳を示すのである。堂下で《象》を奏するのは、功業を示すのである。それゆえ、古の君子は、必ずしも直接ことばを交わさなくとも、礼と楽によって互いの意を示し合ったのである」。
解説
この章句が説くこと
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『墨子』三辯程繁、子墨子に問いて曰く、「『聖王は樂を為さず』と。昔、諸侯は聴治に倦めば、鍾鼔の樂に息い、士大夫は聴治に倦めば、竽瑟の樂に息い、農夫は春に耕し夏に耘り、秋に斂め冬に蔵むれば、聆缶の樂に息う。今、夫子は『聖王は樂を為さず』と曰う。此れ之を譬うるに猶お馬駕して稅かず、弓張りて弛めざるがごとし。乃ち血氣有る者の至る能わざる所に非ざる無からんや」と。子墨子曰く、「昔者、堯舜に《第期》なる者有り、且つ以て禮と為し、且つ以て樂と為す。湯、桀を大水に放ち、天下を環りて自ら立ちて以て王と為り、事成り功立ちて、大いなる後患無し。自ら樂を作り、命じて《九招》と曰う。武王、殷に勝ち紂を殺し、天下を環りて自ら立ちて以て王と為り、事成り功立ちて、大いなる後患無し。先王の樂に因り、又た自ら樂を作り、命じて《象》と曰う。周の成王は先王の樂に因り、命じて《騶虞》と曰う。周の成王の天下を治むるや、武王に若かず。武王の天下を治むるや、成湯に若かず。成湯の天下を治むるや、堯舜に若かず。故に其の樂の逾いよ繁き者は、其の治、逾いよ寡し。此れより之を觀れば、樂は天下を治むる所以に非ざるなり」と。
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