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礼記 / 経解

故禮之教化也微,其止邪也於未形。使人日徙善遠罪而不自知也,是以先王隆之也。易曰:「君子慎始,差若豪釐,繆以千里。」此之謂也。

新字:故礼之教化也微,其止邪也於未形。使人日徙善遠罪而不自知也,是以先王隆之也。易曰:「君子慎始,差若豪釐,繆以千里。」此之謂也。

書き下し

故に礼の教化や微(び)なり。その邪を止むるや未だ形(あら)われざるに於いてす。人をして日に善に徙(うつ)り罪に遠ざかりて自ら知らざらしむるなり。是を以て先王これを隆ぶなり。易に曰く、「君子は始めを慎む。差(たが)うこと豪釐(ごうり)の若(ごと)くなれば、繆(あやま)ること千里を以てす」と。此れの謂いなり。

現代語訳

だから礼による教化はかすかなものである。邪悪を止めるのに、それがまだ形に現れないうちに止める。人が日ごとに善に移り罪から遠ざかりながら、自分ではそれと気づかないようにさせるのである。それゆえ先王は礼を尊んだのである。『易』に「君子は始めを慎む。はじめに毛筋ほど違えば、やがて千里の誤りとなる」とあるのは、このことをいうのである。

解説

経解篇の結びで、礼の教化の特質を「微」の一字で言い表す段である。礼は罰のように過ちが起きてから働くのではなく、邪悪がまだ形をとらないうちに止める。しかも人は日々善に移り罪から遠ざかりながら、自分ではそれと気づかない。孔穎達の疏は、礼は事がまだ微かなうちに前もって教え、しかもあからさまに指さして責めないのだと説く。鄭玄は「始め」を事の微かな時と注す。引用の「差うこと豪釐の若くなれば、繆ること千里を以てす」は今の易経の本文には見えない句で、易の緯書に出るとされ、史記の太史公自序などにも引かれて広く知られた。前段の堤防のたとえと合わせて読めば、礼とは大きな災いを小さな兆しのうちに防ぐ仕組みだということがわかる。子育てや職場の指導でも、叱って直すより、日々の習慣のなかで知らぬ間に善い方へ向かう仕掛けを整えることの大切さを教える一句である。

この章句が説くこと

礼記経解教化慎始習慣

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