五常訓 / 巻之四・礼
一禮は未發にいましむ。人の情慾の、いまだ起らざる先に、早く戒むれば、邪惡にいたらず。故に禮の敎は、目に見えぬ所に、大に益ありて、日々に善にうつり、罪に遠ざかりて、みづから知らず。是禮のたふとぶべき所なり。法は旣に惡事いで來て、後に禁ず。其しるし目に見えて、其益少しなり。男女の別ありて、禮法正しければ、淫亂にいたらず。凡淫亂は、必初に禮法なきよりおこる。若き子弟のともがら、早く禮を敎へ、内外の別きびしければ、かゝる惡事におもむかず。朋友の交、禮ありて敬へば、諍鬪に至らず。凡鬪諍は、必無禮よりおこる。君は臣をつかふに禮あれば、そむき離るゝにいたらず。禮の、人に益あること、かくの如し。故に禮の敎は本なり。法のいましめは末なり。たとへば無病の時、身をつゝしめば、病おこらず。病おこりて、藥をのみ、灸をするは、末なり。邵子の詩に、病後能く藥を服せんより、病前よくみづから防がんにはしかじと云へるが如し。又人家に、火災出來たる時、力をつくして防がんよりは、兼て火用心きびしければ、火災なきが如し。
新字:一礼は未発にいましむ。人の情慾の、いまだ起らざる先に、早く戒むれば、邪悪にいたらず。故に礼の教は、目に見えぬ所に、大に益ありて、日々に善にうつり、罪に遠ざかりて、みづから知らず。是礼のたふとぶべき所なり。法は既に悪事いで来て、後に禁ず。其しるし目に見えて、其益少しなり。男女の別ありて、礼法正しければ、淫乱にいたらず。凡淫乱は、必初に礼法なきよりおこる。若き子弟のともがら、早く礼を教へ、内外の別きびしければ、かゝる悪事におもむかず。朋友の交、礼ありて敬へば、諍闘に至らず。凡闘諍は、必無礼よりおこる。君は臣をつかふに礼あれば、そむき離るゝにいたらず。礼の、人に益あること、かくの如し。故に礼の教は本なり。法のいましめは末なり。たとへば無病の時、身をつゝしめば、病おこらず。病おこりて、薬をのみ、灸をするは、末なり。邵子の詩に、病後能く薬を服せんより、病前よくみづから防がんにはしかじと云へるが如し。又人家に、火災出来たる時、力をつくして防がんよりは、兼て火用心きびしければ、火災なきが如し。
書き下し
一礼は未発にいましむ。人の情慾の、いまだ起らざる先に、早く戒むれば、邪悪にいたらず。故に礼の教は、目に見えぬ所に、大に益ありて、日々に善にうつり、罪に遠ざかりて、みづから知らず。是礼のたふとぶべき所なり。法は既に悪事いで来て、後に禁ず。其しるし目に見えて、其益少しなり。男女の別ありて、礼法正しければ、淫乱にいたらず。凡淫乱は、必初に礼法なきよりおこる。若き子弟のともがら、早く礼を教へ、内外の別きびしければ、かかる悪事におもむかず。朋友の交、礼ありて敬へば、諍闘に至らず。凡闘諍は、必無礼よりおこる。君は臣をつかふに礼あれば、そむき離るるにいたらず。礼の、人に益あること、かくの如し。故に礼の教は本なり。法のいましめは末なり。たとへば無病の時、身をつつしめば、病おこらず。病おこりて、薬をのみ、灸をするは、末なり。邵子の詩に、病後能く薬を服せんより、病前よくみづから防がんにはしかじと云へるが如し。又人家に、火災出来たる時、力をつくして防がんよりは、兼て火用心きびしければ、火災なきが如し。
現代語訳
礼は、まだ起こらないうちに戒めます。人の情欲がまだ起こらない先に早く戒めれば、邪悪に至りません。ゆえに礼の教えは、目に見えないところで大いに益があって、日々に善に移り、罪から遠ざかって、自分でも気づかないのです。これが礼の尊ぶべきところです。法は、すでに悪事が起こった後に禁じます。そのしるしは目に見えますが、その益は少ないのです。男女の別があって礼法が正しければ、淫乱に至りません。およそ淫乱は、必ず初めに礼法がないことから起こります。若い子弟たちに早く礼を教え、内外の別が厳しければ、そのような悪事に向かいません。朋友の交わりに礼があって敬えば、争いに至りません。およそ争いは、必ず無礼から起こります。君が臣を使うのに礼があれば、背き離れるには至りません。礼が人に益のあることはこのようです。ゆえに礼の教えは本です。法の戒めは末です。たとえば病のないときに身を慎めば、病は起こりません。病が起こってから薬を飲み、灸をすえるのは末です。邵子の詩に「病の後によく薬を飲むより、病の前によく自ら防ぐにはしかない」というようなものです。また人家に火災が起こったとき、力を尽くして防ぐよりは、かねて火の用心を厳しくしておけば火災がないようなものです。
解説
この章句が説くこと
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