礼記 / 祭統
昔者,周公旦有勳勞於天下。周公既沒,成王、康王追念周公之所以勳勞者,而欲尊魯,故賜之以重祭。外祭,則郊社是也;內祭,則大嘗禘是也。夫大嘗禘,升歌《清廟》,下而管《象》;朱干玉戚,以舞《大武》;八佾,以舞《大夏》。此天子之樂也。康周公,故以賜魯也。子孫纂之,至於今不廢,所以明周公之德而又以重其國也。
新字:昔者,周公旦有勲労於天下。周公既没,成王、康王追念周公之所以勲労者,而欲尊魯,故賜之以重祭。外祭,則郊社是也;内祭,則大嘗禘是也。夫大嘗禘,升歌《清廟》,下而管《象》;朱干玉戚,以舞《大武》;八佾,以舞《大夏》。此天子之楽也。康周公,故以賜魯也。子孫纂之,至於今不廃,所以明周公之徳而又以重其国也。
書き下し
昔者、周公旦、天下に勲労有り。周公既に没し、成王・康王、周公の勲労せし所以の者を追念して、魯を尊ばんと欲す。故にこれに賜うに重祭を以てす。外祭は、則ち郊社是れなり。内祭は、則ち大嘗禘是れなり。夫れ大嘗禘は、清廟を升歌し、下にして象を管し、朱干玉戚、以て大武を舞い、八佾(はちいつ)、以て大夏を舞う。此れ天子の楽なり。周公を康(おお)いにす、故に以て魯に賜うなり。子孫これを纂(つ)ぎ、今に至るまで廃せず。周公の徳を明らかにして又た以てその国を重んずる所以なり。
現代語訳
昔、周公旦は天下に大きな勲功と労苦があった。周公が亡くなると、成王と康王は周公が勲功を立てたゆえんを追慕して魯を尊ぼうとし、そこで重い祭りを行うことを許した。外の祭りとしては郊(天の祭り)と社(地の祭り)がそれであり、内の祭りとしては大嘗と禘がそれである。そもそも大嘗・禘の祭りでは、堂上で『清廟』(文王をたたえる頌の詩)を歌い、堂下で管楽器を吹いて『象』の舞を舞い、朱い盾と玉の斧を執って『大武』(武王の舞)を舞い、八佾(八列六十四人)で『大夏』(禹の舞)を舞う。これは天子の音楽である。周公の功を大いに褒めたたえるために、これを魯に賜ったのである。子孫はこれを受け継ぎ、今に至るまで廃していない。周公の徳を明らかにし、またそれによって自国を重んじるためである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
礼記・明堂位是を以て魯の君は、孟春に大路に乗り、弧韣(こどく)を載す。旗は十有二旒、日月の章あり。帝を郊に祀り、配するに后稷を以てす。天子の礼なり。季夏六月、禘の礼を以て周公を大廟に祀る。牲は白牡を用い、尊は犠象・山罍(さんらい)を用い、鬱尊は黄目を用い、灌は玉瓚(ぎょくさん)・大圭を用い、薦は玉豆・雕篹(ちょうさん)を用い、爵は玉琖(ぎょくさん)を用い、仍(よ)りて雕し、加うるに璧散・璧角を以てす。俎は梡嶡(かんけつ)を用う。升りて《清廟》を歌い、下に《象》を管す。朱干玉戚、冕して《大武》を舞い、皮弁素積、裼(せき)して《大夏》を舞う。《昧》は、東夷の楽なり。《任》は、南蛮の楽なり。夷蛮の楽を大廟に納るるは、魯を天下に広むるを言うなり。
-
史記 魯周公世家二公、国人に命じて、凡そ大木の偃れし所は、尽く起して之を築かしむ。歳則ち大いに孰す。是に於て成王乃ち魯に命じて文王を郊祭するを得しむ。魯に天子の礼楽有るは、以て周公の徳を褒むるなり。周公卒し、子の伯禽固より已に前に封を受く。是れを魯公と為す。
-
礼記・明堂位昔、殷紂天下を乱し、鬼侯を脯(ほじし)にして以て諸侯に饗す。是を以て周公、武王を相(たす)けて以て紂を伐つ。武王崩じ、成王幼弱なれば、周公、天子の位を践(ふ)みて以て天下を治む。六年にして、諸侯を明堂に朝せしめ、礼を制し楽を作り、度量を頒(わか)ちて、天下大いに服す。七年にして、政を成王に致す。成王、周公を以て天下に勲労有りと為し、是を以て周公を曲阜に封ず。地は方七百里、革車千乗、魯公に命じて世々周公を祀るに天子の礼楽を以てせしむ。
-
礼記・礼運孔子曰く、「於呼(ああ)哀しいかな。我周の道を観るに、幽・厲之を傷(そこな)えり。吾魯を舎(す)てて何(いず)くにか適かん。魯の郊・禘(てい)は、礼に非ざるなり。周公其れ衰えたるかな。杞の郊や、禹なり。宋の郊や、契(せつ)なり。是れ天子の事守なり。故に天子は天地を祭り、諸侯は社稷を祭る。
-
礼記・祭統入舞に及びては、君は干戚(かんせき)を執りて舞位に就き、君は東上と為る。冕して干を総(と)り、その群臣を率いて、以て皇尸(こうし)を楽しましむ。是の故に、天子の祭るや、天下とこれを楽しむ。諸侯の祭るや、竟内(きょうない)とこれを楽しむ。冕して干を総り、その群臣を率いて、以て皇尸を楽しましむ。此れ竟内とこれを楽しむの義なり。
-
礼記・楽記子曰く、「居(お)れ。吾汝に語らん。夫れ楽なる者は、成れるを象(かたど)る者なり。干(たて)を総(と)りて山立するは、武王の事なり。発揚蹈厲(とうれい)するは、大公の志なり。武の乱に皆坐するは、周・召の治なり。且つ夫れ武は、始めて北に出で、再成して商を滅ぼす。三成して南し、四成して南国是れ疆(さかい)し、五成して分かちて周公は左し召公は右し、六成して綴(てい)に復して以て崇ぶ。天子これを夾みて振い、駟伐(しばつ)するは、威を中国に盛んにするなり。分かち夾みて進むは、事早く済(な)るなり。久しく綴に立つは、以て諸侯の至るを待つなり。且つ女(なんじ)独り未だ牧野の語を聞かざるか。武王殷に克ちて商に反(およ)ぶ。未だ車を下るに及ばずして黄帝の後を薊(けい)に封じ、帝堯の後を祝に封じ、帝舜の後を陳に封ず。車を下りて夏后氏の後を杞に封じ、殷の後を宋に投ず。王子比干の墓を封じ、箕子の囚を釈き、これをして商容に行かしめてその位に復す。庶民は政を弛(ゆる)め、庶士は禄を倍す。河を済(わた)りて西し、馬はこれを華山の陽に散じて、復た乗らず。牛はこれを桃林の野に散じて、復た服せず。車甲は釁(ちぬ)りてこれを府庫に蔵して、復た用いず。干戈を倒(さかしま)に載せ、これを包むに虎皮を以てす。将帥の士は、諸侯と為さしむ。これを名づけて建櫜(けんこう)と曰う。然る後に武王の復た兵を用いざるを知るなり。軍を散じて郊射し、左に貍首(りしゅ)を射、右に騶虞(すうぐ)を射て、革を貫くの射息む。裨冕(ひべん)して笏を搢(はさ)みて、虎賁(こほん)の士剣を説(と)く。明堂に祀りて民孝を知る。朝覲して然る後に諸侯臣たる所以を知り、藉を耕して然る後に諸侯敬する所以を知る。五者は、天下の大教なり。三老五更に大学に食(し)せしめ、天子袒(はだぬ)ぎて牲を割き、醤を執りて饋(すす)め、爵を執りて酳(いん)し、冕して干を総るは、諸侯の弟(てい)を教うる所以なり。此くの若くなれば則ち周道四達し、礼楽交通す。則ち夫れ武の遅久なる、亦宜ならずや」と。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る