礼記 / 祭統
故衛孔悝之鼎銘曰:「六月丁亥,公假於大廟。公曰:『叔舅!乃祖莊叔,左右成公。成公乃命莊叔,隨難於漢陽,即宮於宗周,奔走無射。啟右獻公。獻公乃命成叔,纂乃祖服。乃考文叔,興舊耆欲,作率慶士,躬恤衛國,其勤公家,夙夜不解,民咸曰休哉!』公曰:『叔舅!予女銘,若纂乃考服。』悝拜稽首曰:『對揚以辟之,勤大命施於烝彝鼎。』」此衛孔悝之鼎銘也。古之君子,論譔其先祖之美,而明著之後世者也。以比其身,以重其國家;如此。子孫之守宗廟社稷者:其先祖無美而稱之,是誣也;有善而弗知,不明也;知而弗傳,不仁也。此三者,君子之所恥也。
新字:故衛孔悝之鼎銘曰:「六月丁亥,公仮於大廟。公曰:『叔舅!乃祖荘叔,左右成公。成公乃命荘叔,随難於漢陽,即宮於宗周,奔走無射。啓右献公。献公乃命成叔,纂乃祖服。乃考文叔,興旧耆欲,作率慶士,躬恤衛国,其勤公家,夙夜不解,民咸曰休哉!』公曰:『叔舅!予女銘,若纂乃考服。』悝拝稽首曰:『対揚以辟之,勤大命施於烝彝鼎。』」此衛孔悝之鼎銘也。古之君子,論譔其先祖之美,而明著之後世者也。以比其身,以重其国家;如此。子孫之守宗廟社稷者:其先祖無美而称之,是誣也;有善而弗知,不明也;知而弗伝,不仁也。此三者,君子之所恥也。
書き下し
故に衛の孔悝(こうかい)の鼎銘に曰く、「六月丁亥、公、大廟に假(いた)る。公曰く、『叔舅(しゅくきゅう)よ。乃(なんじ)の祖荘叔(そうしゅく)、成公を左右(さゆう)す。成公乃ち荘叔に命じて、難に漢陽に随い、宮に宗周に即き、奔走して射(いと)う無し。献公を啓右(けいゆう)す。献公乃ち成叔に命じて、乃の祖の服を纂(つ)がしむ。乃の考文叔、旧耆欲(きゅうしよく)を興し、慶士を作率し、躬ら衛国を恤(うれ)え、その公家に勤め、夙夜解(おこた)らず、民咸な曰く、休(よ)きかなと』。公曰く、『叔舅よ。予、女(なんじ)に銘す。若(なんじ)乃の考の服を纂げ』と。悝、拝稽首して曰く、『対揚して以てこれを辟(あき)らかにし、大命に勤めて烝彝鼎(じょういてい)に施さん』」と。此れ衛の孔悝の鼎銘なり。古の君子は、その先祖の美を論譔して、而してこれを後世に明著する者なり。以てその身を比し、以てその国家を重んず。此くの如し。子孫の宗廟社稷を守る者、その先祖に美無くしてこれを称するは、是れ誣(し)うるなり。善有りて知らざるは、明ならざるなり。知りて伝えざるは、仁ならざるなり。此の三者は、君子の恥ずる所なり。
現代語訳
そこで衛の孔悝(こうかい)の鼎の銘にはこうある。「六月丁亥の日、公(衛の荘公)は大廟に至られた。公は言われた。『叔舅(しゅくきゅう、異姓の重臣への尊称)よ。そなたの祖先の荘叔(孔達)は成公を補佐した。成公は荘叔に命じて、漢水の北へ逃れる難儀に随わせ、また宗周(周の都)で幽閉されたときも従わせたが、荘叔は奔走して倦むことがなかった。その功は献公を助け開いた。献公はそこで成叔に命じて、そなたの祖先の務めを継がせた。そなたの亡き父文叔は、祖先が旧く好み願った徳を興し、立ち上がって善き事に従い、自ら衛の国を憂え、公室のために勤め、朝から晩まで怠らなかったので、民はみな「立派なことだ」といった』。公はまた言われた。『叔舅よ、そなたに銘を与えよう。そなたは亡き父の務めを継げ』。悝は再拝して額を地につけていった。『君命を奉じて顕揚し、先祖の徳を明らかにし、大いなる命に勤めて、これを烝祭の彝鼎(いてい、祭器)に刻みます』」。これが衛の孔悝の鼎銘である。昔の君子は、先祖の美点を論じて記し、それを後世に明らかに示したのである。そこに自分の身を並べ、それによって自分の国家を重んじる。このようであった。宗廟社稷を守る子孫は、先祖に美点がないのにたたえるのは偽りであり、善があるのに知らないのは明察を欠くことであり、知っているのに伝えないのは仁を欠くことである。この三つは君子の恥じるところである。
解説
この章句が説くこと
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礼記・祭統夫れ鼎に銘有り。銘は、自ら名づくるなり。自ら名づけて、以てその先祖の美を称揚し、而してこれを後世に明著する者なり。先祖為る者、美有らざるは莫く、悪有らざるは莫し。銘の義は、美を称して悪を称せず。此れ孝子・孝孫の心なり。唯だ賢者のみこれを能くす。銘は、その先祖の徳善・功烈・勲労・慶賞・声名有りて、天下に列する者を論譔(ろんせん)し、而してこれを祭器に酌(く)み、自らその名を成して、以てその先祖を祀る者なり。先祖を顕揚するは、孝を崇ぶ所以なり。身の比(なら)ぶは、順なり。明らかに後世に示すは、教えなり。夫れ銘は、一たび称して上下皆得るのみ。是の故に、君子の銘を観るや、既にその称する所を美とし、又たその為す所を美とす。これを為る者は、明は以てこれを見るに足り、仁は以てこれに与(くみ)するに足り、知は以てこれを利するに足る。賢と謂うべし。賢にして伐らず、恭と謂うべし。
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礼記・坊記子云う、「祭祀の尸(し)有り、宗廟の主有るは、民に事うる有るを示すなり。宗廟を修め、祀事を敬するは、民に追孝を教うるなり。此を以て民を坊ぐも、民猶お其の親を忘る」と。 子云う、「敬すれば則ち祭器を用う。故に君子は菲(うす)きを以て礼を廃せず、美を以て礼を没せず。故に食礼に、主人親ら饋(すす)むれば、則ち客祭る。主人親ら饋めざれば、則ち客祭らず。故に君子苟も礼無ければ、美なりと雖も食らわず。《易》に曰く、『東隣の牛を殺すは、西隣の禴祭(やくさい)して、実に其の福を受くるに如かず』と。《詩》に云う、『既に酔わしむるに酒を以てし、既に飽かしむるに徳を以てす』と。此を以て民に示すも、民猶お利を争いて義を忘る」と。
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礼記・坊記子云う、「客階より升り、弔を賓位に受くるは、民に追孝を教うるなり。未だ喪を没(お)えざれば君と称せざるは、民に争わざるを示すなり。故に魯の《春秋》に晋の喪を記して曰く、『其の君の子奚齊(けいせい)と其の君卓とを殺す』と。此を以て民を坊ぐも、子猶お其の父を弑する者有り」と。 子云う、「孝以て君に事え、弟(てい)以て長に事うるは、民に貳(ふたごころ)あらざるを示すなり。故に君子は君有れば仕えんことを謀らず、唯だ卜するの日に二君と称す。父に喪すること三年、君に喪すること三年なるは、民に疑わざるを示すなり。父母在せば、敢えて其の身を有せず、敢えて其の財を私せざるは、民に上下有るを示すなり。故に天子は四海の内に客礼無く、敢えて主と為る莫し。故に君其の臣に適けば、阼階より升り、堂に位に即くは、民に敢えて其の室を有せざるを示すなり。父母在せば、饋献車馬に及ばざるは、民に敢えて専らにせざるを示すなり。此を以て民を坊ぐも、民猶お其の親を忘れて其の君に貳す」と。
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礼記・檀弓下公叔文子卒す、其の子戍(じゅ)謚(おくりな)を君に請いて、曰く、「日月時(とき)有り、将に葬らんとす。請う其の名を易(か)うる所以の者を」と。君曰く、「昔者衛国凶饑(きょうき)す、夫子粥を為(つく)りて国の餓えたる者に与う、是れ亦た恵ならずや。昔者衛国に難有り、夫子其の死を以て寡人を衛(まも)る、亦た貞ならずや。夫子衛国の政を聴き、其の班制を脩(おさ)め、以て四隣と交わり、衛国の社稷辱められず、亦た文ならずや。故に夫子を貞恵文子と謂う」と。
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礼記・表記子曰く、先王は諡(おくりな)して以て名を尊くし、節するに一恵を以てするは、名の行に浮かぶを恥ずればなり。是の故に君子は自ら其の事を大とせず、自ら其の功を尚ばず、以て情に処(お)らんことを求む。過行は率(したが)わず、以て厚に処らんことを求む。人の善を彰らかにして人の功を美とし、以て賢に下らんことを求む。是の故に君子は自ら卑しと雖も、民これを敬尊す。
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礼記・礼器是の故に君子の礼を行うや、慎まざるべからざるなり。衆の紀なり、紀散じて衆乱る。孔子曰く、「我戦えば則ち克ち、祭れば則ち福を受く。蓋し其の道を得たり」と。君子曰く、「祭祀は祈らず、蚤(はや)きを麾(き)とせず、葆大(ほうだい)を楽しまず、嘉事(かじ)を善しとせず、牲は肥大に及ばず、薦は多品を美とせず」と。
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