史記 / 魯周公世家
二公命國人,凡大木所偃,盡起而筑之。歲則大孰。於是成王乃命魯得郊祭文王。魯有天子禮樂者,以襃周公之德也。周公卒,子伯禽固已歬受封,是爲魯公。
新字:二公命国人,凡大木所偃,尽起而筑之。歳則大孰。於是成王乃命魯得郊祭文王。魯有天子礼楽者,以褒周公之徳也。周公卒,子伯禽固已歬受封,是為魯公。
書き下し
二公、国人に命じて、凡そ大木の偃れし所は、尽く起して之を築かしむ。歳則ち大いに孰す。是に於て成王乃ち魯に命じて文王を郊祭するを得しむ。魯に天子の礼楽有るは、以て周公の徳を褒むるなり。周公卒し、子の伯禽固より已に前に封を受く。是れを魯公と為す。
現代語訳
太公と召公の二公は国の人々に命じて、倒れた大木はすべて起こして根元に土を盛って固めさせた。その年は大豊作となった。そこで成王は魯に命じて、文王を郊祭することを許した。魯に天子と同じ礼楽があるのは、周公の徳をたたえるためである。周公が亡くなったとき、子の伯禽はすでにそれ以前に封を受けていた。これが魯公である。
解説
金縢の書によって周公の真心が明らかになった後日談です。倒れた大木を起こして土を盛ると、その年は大豊作となりました。成王は周公の徳をたたえ、本来は天子だけに許される郊祭(天を祭る儀礼)を魯で行うことを認めます。魯が諸侯の国でありながら天子の礼楽を用いたのは、この特別な許しによるものでした。後に孔子が生まれ育った魯が「礼の国」として知られるようになった背景には、周公の徳への敬意があったのです。周公の子の伯禽は、父に代わって早くから魯に封じられ、その初代の君主となりました。一人の人物の誠実な生き方が、その後数百年にわたる国の性格まで形づくったことが分かります。組織の文化もまた、創業期の人物の振る舞いによって長く方向づけられるものです。
関連する章句
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史記 魯周公世家是に於て卒に成王に相として、而して其の子伯禽をして代りて封に魯に就かしむ。
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